誤解していた摂理の管理
摂理ではよく信仰の幼い人を管理しなさいと言われます。
私は管理と聞くと、堅苦しく無機質なイメージがあって嫌でした。
なんか愛情がないような感じがしていました。
しかし、これは私の誤解だったと気づいたのは実際に管理をしてみた時。
ある指導者に人を管理するということは愛のお世話をすることだと教えてもらい、観が変わりました。
管理は愛がなければできないことなのです。
そして、最終的には神様の愛と主を悟らせてあげること。
無理矢理ではなくて、自らが悟るように一緒に実践しながら、です。
愛があれば、その人の好きなこと、興味や関心事、嫌いなことなどどんなことでも知りたいと思うはずです。
サーバーが事細かに管理されているのを見て、命を管理するということはこういう細やかなところまで人に気遣うことなのだと感じました。
人が多くなればなるほど管理は行き渡らなくなりそうですが、愛があれば大変でも苦労しても管理します。
先生が模範となってくださいました。
今も数万といる全世界の摂理の人々に関心を払ってくださっています。
御言葉を毎日のように送ってくださり、祈ってくださり、時には個人にも手紙を送ってくださったり…
愛以外のなにものでもありません。
管理はテクニックも必要ですが、最も重要なことは愛ですね。
誰でも「以前よくできていた人」なら、今はよくできなくても、またやれば、よくできる。「よい感情と希望を持っている人」だ。
2017年5月10日 明け方の箴言 鄭明析総裁
この箴言、先生の愛を感じます。]]>