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あれから4年経って思うこと

皆さんも御存知かと思いますが、今日で3.11から丸4年が経ちました。 月日が経つのは早いものです。
4年前、私はまだ教会に通っていない頃でした。 思い出すだけでぞっとしてきます。 というのも、実家が岩手県なので、家族がとても心配でした。 連絡もとれず。ニュースを見れば、ガソリンスタンドもストップし、店の食料も底をつき… 実家は、幸いにも海から離れていたので、津波に巻き込まれるという心配は無かったのですが、
それでも、仕事がなくなれば収入がなくなるので、大変なことには変わりありません。 しばらくして、連絡が取れるようになり、ひと安心しました。
当時はテレビで津波の映像を見ていました。 信じられないと言う感じで、言葉では表現できませんでした。 小さい頃は、陸前高田の松林を見たり、近くの青少年の家にも行きました。
また、気仙沼にも毎年何回か足を運んでいました。 そんな身近なところが、あんなにも一瞬にして無残な姿になってしまうなんて誰が考えていたでしょう。 映像は別世界のようでした。
1年位後に、現地を見に行き、ようやくこれが現実なんだと実感することが出来ました。
(もちろん、実際起きたことだと思ってはいました。) 私は聖書を通して、「全てのことには意味がある」ことを学びました。 神樣の働きには必ず意味があります。 この震災も必ず意味があるはずです。
日本の全国民がこの震災を通して何かしら考えることがあったと思います。
震災直後、CMは同じものが繰り返され、電車の広告はほとんど撤去され、夜の街は東京都は思えないほど暗くなりました。 今はどうでしょうか? 全く違います。 それを見て、腹が立ちそうになることがあります。 でも、神樣はどうでしょうか? 困った時、神頼みするのに、普段は神樣を考えることすらしないで生きる人々。
神樣の立場になって考えてみてはどうでしょうか。
東北では、今も毎日のように震災関連のニュースが流れています。 復興を目指し、希望を持って生きる姿に、自分も力を受けます。 自分も復興のためにできることがあれば力になりたいです。
そして、1日でも早く復興することを祈ります。

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