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摂理のサッカー

近況…。 こんばんは、satoです。 2014年になりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私は、ほぼ毎日「早朝サッカー」をしています!というのも、去年何回か体調を崩して思うように動けなかったことがありまして、「やはり体を鍛練して体力をつけなければ!」と思い、今年は「肉体の鍛練」を目標の一つにしたからです。牧師先生の御言葉でも「肉体の鍛練をしなさい、毎日2kmは走らなければならない」とおっしゃっていたのですが、なかなか決心ができずあまりできていなかったので…汗 元々「体力がない」と思って運動することが苦手だった私。サッカーは高校の時、授業でやっていましたが、遠くに蹴れず、コントロールもできず、とても苦手な競技でした。 そんな私が摂理に来てからサッカーをするようになって早5年。体力がないのは相変わらずですが、それでも最後まで走れるようになってきました。あと、ボールも大分強く蹴れるようになり、コントロールもついてきました。最も、今のように冬は「雪の上で」サッカーするので思うようにはいきませんが…。雪国ならではですね笑 このように続けて行うことで、自分を作っていきたいです。  

摂理人の初恋。

こんばんは、satoです。 今日からしばらく私が神様から愛を感じたときのエピソードを語りたいと思います。できる限りわかりやすく、短くしようと思いますので最後まで見ていただけると幸いです(笑) 私が神様から初めて祈りが聞かれたと感じたのは、サッカーでのこと。 当時私は体力がなく、試合途中で疲れて「すいません、抜けていいですか…」と外で休むほどでした。 その日も試合途中で完全にへばってしまい、フラフラ状態でした。 しかし、みんなが走っている姿を見て… 「私も走らなきゃ!」 と感動を受けたのです。そして、 「神様、走りたいです、走りたいです。 走らせてください!」 と神様にお祈りしました。すると… さっきまで歩くのも必死だったのが… 少しずつ速くなり… 「…!」 走れるようになったのです! それで、その試合は最後まで走り続け、次の試合は休みました。いつもより体力を使って力がなくなっていたのです。 しかし、休んでいる間も神様に 「できるならもう一度試合したいです。もう一度走れるようにしてください」とお祈りしていました。その結果、試合終盤にもう一度参加できるようになりました。 …走れる人からしたら小さいことかもしれませんが、当時の自分にとっては一番神様を感じるエピソードだったのです。  

続々・摂理とオリンピック。~努力、変化、喜び~

こんばんは、satoです。 昨日は日本が注目した男子フィギュアでしたね。羽生くんがSPで史上初100点越えをするなど、日本勢が活躍しています。明日の明け方にはフリーがあって、金メダルがどうなるか注目です。 …もっとも、私は明け方の祈りがあるので見ませんけど(笑) …むしろ、3時に起きて祈りたい(泣) 彼らもそうですが、オリンピックに出ている選手たちはみんなその競技がうまく、精神も強く(そうでないと国の代表、というプレッシャーで潰される)、基礎体力もあります。 でも、彼らだって初めからできたわけではない。彼らが生まれ持っていたものももちろんあったでしょうが、やはり日々の練習の賜物と言えます。彼らが代表になれたのは「その競技を早くから専門的に取り組んでいた」ことが大きいと思います。 先生がおっしゃった御言葉の中で 「親から生まれ持ったものは少しだ。 神様から生まれ持ったものが根本だ。 生まれてから作るのが90%だ。」 というものがあります。…自分が努力して作るのが90%!? それくらい…私たちには可能性があるんです。 私も摂理でスポーツをやっています。元々は私も外で走るより漫画とかネットを部屋で見ている方が好きな人だったので、最初にサッカーをしたときには走れず、すぐにばてて、ボールも蹴れませんでした。 でも、何年も続けているうちに蹴り方とか、走り方とか、体の動かし方がわかってきます。そうやって「できなかったことができるようになる」と、最近ではサッカーをすることが楽しくなるんです。 そういう「変化」を感じることがスポーツをやっている人のやりがいなのではないかな、と思います。 スポーツに限らず、「自分が変化すること」が最高の喜びだ、と先生は言います。そんな生活を日々過ごしていきたいです。  

ワールドカップ

家庭局ママYulanです! 今日は日本対ギリシャの試合がありました! 日本は終始攻めましたが、 ギリシャの堅固な守りを破ることができませんでした(> <) チョン・ミョンソク先生は、サッカーを人生や信仰生活にたとえて 話してくださいます。 サッカーを通して様々なことを悟ることができます。 1997年にチョン・ミョンソク先生はこのように おっしゃいました。   私がサッカーをするのも力と熱心さだけで   出来るのではありません。   サッカーをするためには、長い間ボールを受ける   練習だけを数千回して、ボールを後ろに回す練習も   数千回して、ボールを早く蹴る練習も数千回しなければなりません。   これらをすべて合わせてからグラウンドに出るのです。   信仰生活もそのような緻密な計画、研究と努力で   接しなければなりません。   ただむやみにすればうまくいきそうですが、   うまくいきません。   そのように信仰生活をしている途中で座り込んでしまい   落伍者になった人たちがたくさんいます。   これは神様に接し仕えて愛する技術がないからです。 信仰生活では、ちょっとやってうまくできることはありません! チョン・ミョンソク先生も、聖書を数千回読まれたし、 それでも分からなくて聖書を地面に埋めてしまったことも あったそうです。 それでもまたイエス様に数千回質問しながら 学んでこられました。 私は今、深い祈りに挑戦中ですが、 本当に、途中で諦めそうになります 神様を愛する絶対的な愛と努力で 超人のようにご自身をつくられた先生を 見習っていきたいです  

ワールドカップ

世の中はワールドカップで盛り上がっている。 サッカーがこのように、人気が出てきたのも、強くなったのも先生のお祈りのおかげだということを知っている人はどれくらいいるのだろうか? 人々はワールドカップに関心があるが、その理由は様々だ。 ある人は、母国を応援したいから。 ある人は、サッカーが好きだから。 ある人は、経済効果が期待できるから。 ある人は、叫べるから…(笑) 今日会った知り合いの方は、日本は早く負けて欲しいと祈っているようだ。 理由は、引き上げに早く集中したいから(笑) また、仮にブラジルが予選で敗退でもすれば、暴動が起こるので、勝ってもらいたいという人もいる。 しかし、一番の関心はサッカーを通して平和が訪れることを願うことではないだろうか? 中田英寿も次のように話している。 「人間は国、環境、家族を選んで生まれてくることはできない。サッカーには、国境も、言葉も、そして貧富の差も、全てを超える力がある。サッカーが広がれば、世界はもっと平和になる。僕も本気でそう信じている」。 先生はサッカーは芸術だとおっしゃった。 芸術を通して神樣に栄光を帰す。 勝つこと負けることは関係ない。 どのような心でするかが問題だ。 サッカーを通して平和が訪れることを願う。  

途中下車の先には・・・

はれるや☆ 主の愛の海には底がない!HIRO☆PONです(´▽`) 今日も、静岡について語らせていただきます!!

鄭明析(チョンミョンソク)先生いつか静岡に来てください(*´ω) 今日は、サッカー王国静岡について紹介したいと思います(^^♪ 静岡県はプロサッカー選手の輩出率が高いです! 友達がプロ行ったとか、友達の友達がプロとか、その辺をプロサッカー選手が走ってたりとか、銭湯にいたりとか・・・ 地元の花火大会に来てたりとか笑 そんな静岡ですが、有名選手ではなくとも、息の長い選手が多かったりします。 鳴り物入りで入った選手ほど挫折してすぐにクビを切られたりすることもプロの世界ではあります。シビアです。 しかし静岡で育った選手は、プロで居続ける選手が多いようです。 これは基礎がしっかり出来ているためだそうです。 マタイによる福音書7章24節ー25節 「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行なうものを、岩の上に立てた自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家にうちつけても、倒れる事はない。岩を土台としているからである。」 基礎大事ですね。 信仰は人格から入るとおっしゃいました。何をするにしても基礎です。 今回のW杯の静岡出身選手は2名でしたね。 過去では一番少なかったです(-_-;) うっちーこと内田篤人選手とザッケローニ監督に、生まれながらのキャプテンと言われた長谷部誠選手です。

(静岡県庁訪問の様子) このようにスター選手も輩出しています(*^^*) 過去に日本代表になった選手だけで70人ぐらいいます。 これは驚きの数字ですね。 スター選手といえば、天才と言われた小野伸二、天性のFW高原直泰。 10年間代表のゴールマウスを守った川口能活、レフティモンスター名波浩、「キング」カズ、W杯日本人初ゴールの中山雅史、監督としても有名な、山本昌邦、長谷川健太、解説者としても有名な武田修宏、風間八宏などなど・・・ 他にも挙げだしたらきりがありません。 様々な方面で活躍されてます。 調べてみると、え?あの人も静岡?みたいな人いますね。

鄭明析(チョンミョンソク)先生もたくさんサッカーされましたし、サッカーの御言葉もたくさんされています。 サッカーの本質とは、神様が与えてくださった平和を成す為のスポーツだとおっしゃいました。 私も摂理に出会い、鄭明析(チョンミョンソク)先生に出会って、サッカー観が変わりました。 自分の楽しみの次元を超えて、平和の為のサッカーという、サッカーと言うスポーツの可能性を教えていただきました。 やはり摂理の御言葉で自分を作り、神様の望む通りに自分を使うならば、今までの経験や、培ってきたものがより大きく使われることを感じます(*´ω) 少し静岡に途中下車して、プロサッカー選手が周りにいないか探してみたらいかがでしょうか笑

 

途中下車する大きな御心

ハレルヤ(´∀`)∩ 決して麻薬ではないですよ。HIRO☆PONです(´▽`) 前回静岡出身のサッカー選手について記事を書かせて頂きました^^ 静岡は、Jリーグ発足のサッカーブーム到来の前からサッカーブーム(*^^*)(だったようです) 静岡のサッカーの歴史について調べた時に大きな御心を悟りました。 HIRO☆PON大興奮です。 静岡県はユース年代(主に高校生)が優秀です。 U-18静岡県選抜といえば、ぶっちゃけ県民のサッカーマンのあこがれです。 静岡県選抜の県外合宿でユニフォームが盗まれたと思ったらヤフオクに出品されていたほどです。(マジです) そんな静岡県ですが、毎年SBS杯という大会を夏に行なっています。 SBS。静岡放送局です。 ちなみに私は、東京に上京してもSBSはあると思ってました笑 そんなSBS杯ですが、海外のチームと年代別の日本代表を呼んでの親善試合をしています。

日本でサッカーの火がついたのは、鄭明析(チョンミョンソク)先生が1980年代に来日され、「これからは、サッカーをしなさい。サッカーの時代が来る」とおっしゃった少し後のJリーグ発足の時です。

このSBS杯がいつから行なわれていたかというと・・・ 1977年です。 歴史が古い! 本格的に始まったのは、1979年からですね。 しかし1977年の大会当初から海外のチームを呼んで親善試合をしていましたが、なんと相手国は韓国です。

) こんなところで日韓問題に手をつけていた静岡・・・ 先見の明がおありなのかもしれません。 最近では、U-18静岡県選抜、U-19日本代表、U-18もしくは19の海外チームの4チームリーグですね。 今となっては、韓国ばかりでもありません。 2002年以降は、日韓W杯の為に建てられたエコパスタジアムで行なわれていました。 何を隠そう、私も静岡県選抜の一員としてエコパのピッチに立ちましたよ。 スタッフとして。

選手としては地域選抜レベルでしたね セレクションだめやったんよ。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン まあそれはいいとしてSBS杯ですが、若かりし日のロナウジーニョ、クライファートをはじめとした海外の有名選手も参加していますね。 静岡県では、書ききれません笑 前回書いた人は大体出てます笑 詳しいことはこちらを参照願います。 http://www.at-s.com/youth_soccer/kataru.html そんな静岡県選抜ですが、幾度も日本代表とか撃破しちゃってます(゚ω゚) はい。静岡のサッカーを通して摂理歴史を成したい神様の御心を感じました。 摂理に来て、真のサッカーを知った私でしたが、改めて歴史を見てると静岡県でサッカーをしてきた御心を感じます(*´ω) 神様は前もって静岡に働きかけられていたのだな。 静岡に期待している歴史があるのだな。 と感じたHIRO☆PONでした。 摂理の人もそうでない人もサッカーで鄭明析(チョンミョンソク)先生を迎える足台をひそかに備えていた静岡に途中下車してくださーい*¥(^o^)/*  

ゲスト

先日、先生に近い方に会う機会を持つことが出来ました。 誰かは秘密です(笑) 先生を迎える上で何を準備すべきなのかについて話してくださいました。 答えは簡単でした。 先生に似ることです。 夫婦のたとえで話してくださいました。 (これは自分で考えた例です〜) 夫が韓国料理が好きならば、自分も韓国料理が好きになるべきですね。 それなのに、頑張って美味しいイタリア料理を作ろうと練習しても、喜んで食べてくれるでしょうか。 だから、心が合わないといけないし、好き嫌いも合わないといけません。 だから先生を知る必要があります。 先生がサッカーをしたのはどうしてなのか? それは、「神樣がやりなさい」とおっしゃったからです。  先生が好きでやってるわけではありません。 それなのに、周りの人は誤解して、もっとすべきことがあるだろう。と言いました。 表面しか見ていないからです。 外側に見えるものよりも、内側にあって見えないものの方が重要です。 先生の見えない心情を分かって差し上げたいと思いました(^^) 結論は、自分を作ることです。 今回貴重な話を聞けて、考えが変わりました。 あとは生活の中で実践☆  

摂理の初恋の思い出♪ 鄭明析牧師との出会い!

以前からずっと書きたかったブログ! 鄭明析牧師と摂理の農業人の初めての出会い! 摂理の農業人は1度だけ鄭明析牧師に直接お会いした事があります(^^)/ 今日はその初恋の思い出を書き綴ろうと思います♪ 1度には書ききれないので、何回かに分けて書こうと思います(*^-^*) 摂理の農業人が大学4年生の頃です。 と、言っても摂理の農業人が摂理と出会ったのも大学4年生の春です(^^;) 御言葉を聞きながら、4年生の12月に主日礼拝に初参加!!! 熱く摂理を走ろう!と決心して少ししての事です・・・ 教会の先輩から「海外旅行に行こう」と突然話を受けました! 卒業旅行かなと・・・ そして、教会の先輩達と楽しく海外旅行へ(^^♪ 旅行先で急に「これから先生に会えるよ」と!!! えーーーーーーーー????????? 聞いてなかったよーーーーーーーー!!!!!!!! とにかく、鄭明析牧師とお会い出来ると聞いて喜び爆発です(*´▽`*) サッカーを一緒にさせて頂けると聞いて、サッカーの服装に着替えて公園へ・・・ 農業人は摂理に導かれるまでサッカーを体育以外にした事がありません(;^ω^) ボールより人を蹴る格闘技をしていたもので・・・(;´・ω・) 周りの先輩方に聞きながらサッカーのグランドの準備をしていたら、1台の車が(@_@) 降りて来られたのは、鄭明析牧師です(*´▽`*) その瞬間、周りの空気が一瞬にして変わり(人の雰囲気と言う意味ではありませんよ!)、摂理の農業人は緊張を通り越して、息が止まる思いでした!!! 鄭明析牧師はサッカーの服装で来られて、一緒に準備をして下さりました(*^-^*) イエス様の時、病人がイエス様の衣服に触り、癒された聖句を思い出し、摂理の農業人も今まで生きてきた人生の病気。信仰の病気を癒してほしいと、幼心に先生の服にさわりました! 目に見えての変化はありませんでしたが、切実な思いを主が受け取って下さったと信じます(*´▽`*) それから、一緒にサッカーをしましたが、その話は次の機会に・・・ 主との思い出は私の一生の財産なのです!!!  

摂理の悟り スポーツでマインドコントロール?

今朝の明け方礼拝から帰ってきたら、奥様が朝ご飯でソバを出してくれました♪ 摂理の農業人はソバが大好きなのです(*^O^*) 摂理のアラカルト 皆さんはどっち派・・・? ところが、自分の好きな食べ物だからと言って、食べる事だけに夢中になり、めんつゆがスマホの画面に(;´д`) ぎゃーーーーーーーーー!!! 急いで拭きました(;>_<;) 壊れてはいませんが、若干画面操作が鈍い気が… あと、とてもめんつゆ臭のするスマホになりました(-_-;) そんな操作が鈍いスマホで今朝もブログを書いております(;^_^A 皆さんは得意なスポーツ、苦手なスポーツはありますか? 摂理の農業人は基本的にスポーツは全般的に好きです(*^.^*) うまい下手は別として…(^-^;) 摂理の農業人が所属する教会の大学生達には、「農業人さんは身体能力でスポーツをしていますね」とさりげなく言われます(; ̄ー ̄A そんな事ありませんよ! ちゃーんと信仰と鄭明析牧師に育ててもらった精神でスポーツしていますよ(*^.^*) 同じスポーツだとしても、ポジションによって得意不得意が出てきます! 良い例がサッカーです! 摂理の農業人は摂理に導かれるまでは、サッカーは体育の授業でしかやった事はありませんでした(;>_<;) なので、どう動いて良いか。何をして良いか全く分かりませんでした(^-^;) 鄭明析牧師と一度だけサッカーをさせて頂く機会でも何も出来ないまま終わってしまいました… しかし、高校生時代にバスケ部。大学生時代に武道部に所属していた農業人にピッタリのポジションがありました! そうです! ゴールキーパーですね(*^.^*) 農業人は摂理に導かれてからずっとゴールキーパーをしてきました! フィールドは下手くそですが、ゴールキーパーは下手くそレベルまでにはなりました(;^_^A ゴールキーパーをやっていると本当に自分の精神が大きく出ます! フィールドプレーヤーと違って、ずっとボールに関わったり、走る訳ではありません!!! つまり何もしない時間が圧倒的に多いのです! しかし、ボールに関わるその瞬間がゴールを死守出来るかどうかの瀬戸際になります!!! その一瞬に最高の集中力が持てる様に、常に緊張していなければなりません! 試合が終わる頃には肉体よりも、精神がヘトヘトになります(-_-) だから、農業人はいつも自分の心が強くいられる様に、試合中は祈りながら、自分の心をある意味でマインドコントロールしています! 一対一の時! シュートをうたれる瞬間の時! ゴールを死守出来るか。 失点してしまうか。 技術以上にゴールキーパーの精神が大きく左右すると、10年以上ゴールキーパーをやってきて悟ることです(^-^ゞ 自分だけだと弱くなるので、主に私の心を強くして下さいと祈りながら、摂理の農業人はゴールマウスの前に立っています! サッカーに限らず、スポーツ選手は自分の心(マインド)をどう管理(コントロール)するのか。 本当に大切だと思います(^-^)/ 以上、めんつゆ臭のするスマホで書いた今日のブログです(; ̄ー ̄A  

摂理スポーツ〜忘れていた感覚〜

摂理のスポーツと言ったら、サッカーです。 何故ならば、先生がサッカーを通して聖書を教えてきたからです。 健康管理のために始めたこともありますが、サッカーは御言葉の実践の時間になります。   最近、サッカーをする機会が多くありました。 しかし、男性だけでやると…   僕の教会は、サッカー経験者(高校や大学でサッカー部に入っていた人)が多く、レベルが高いです。 そのため、御言葉を実践するというより、 「うまくやろう!」とか「勝とう!」とか 技術や結果を優先してしまいがちになりました。 本来の摂理のサッカーは、上手い下手はそれほど関係ありません。 それよりどちらかと言うと、どのような精神でプレーしているかが重要です。 実際、先生と一緒にサッカーをした人の話を聞いたことがあります。 その人が言うには、先生と呼吸を合わせないプレーをしている人は、いくら上手いとしても交換させるそうです。 最近、がむしゃらにプレーしていたことをわかっていたのですが、どうしたらいいのかわからないでいました。 忘れていた感覚を思い出した。そのような感じがしました。 いくら、上手くやっても意味が無いです。 僕らは、サッカーでお金を稼ぐわけではないので(汗) せっかくなら、サッカーを通して学ぶことがないとですよね。 サッカーの本当の味を教えてくださって感謝します!  

誰かの足を洗ってあげたこと、ありますか?

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 皆さん毎日、お風呂に入るときには自分の体を洗いますよね。 時には、お子さんをお持ちの方はお子さんの身体も洗ってさしあげたりされているかと思います。   しかし、自分とは家族でも何でもない人の、身体、とくに足を洗ったことが有る方はいっらしゃいますでしょうか? マッサージ師などで、足に触れる職業の方はまた別ですよ^^   なかなかいらっしゃらないんじゃないかなと思います。   鄭明析先生は、よくサッカーをされます。 そして、ご自身はどんなにグランドを走り回っても足をつるということがないのですが、一緒にプレーしている若い学生や社会人の皆さんが足をつったときに、試合後よく、鄭明析先生ご自身から、一緒にプレーしていた選手の足をマッサージしたり、捻ったしまった足を快方したりするなど、「え!?先生と言われているのにそんなことまでされるんですか!?」と思ってしまったりします。 しかし、このような姿は、鄭明析先生が聖書を学び、聖書にあるキリストの精神と実践する姿から、人間を愛する愛の姿を持って実践されているのだと、感じるようになりました。 誰かに強いられてではなく、自ら、して差し上げているのです。   聖書には、このような記述があります。 『イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。』 『こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。』 『こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。』 『わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。』 (新約聖書:ヨハネによる福音書13章抜粋)   このように、本来、イエス様の弟子たちの方から、師であるイエス様に対して足を洗って差し上げるなり、体をマッサージして差し上げるなりすることが必要だったのではと考えてしまいますが、いろいろと言う前に、まずはイエス様ご自身が、弟子たちを愛されていたから、そして、弟子たちにも私イエスがしたようにお互いにして欲しいと願いをこめて、弟子たちの足をイエス様自ら手を取って洗われました。   その姿を、鄭明析牧師はいつも見せてくださっています。 誰一人、欠けることなく主の愛で接してくださるその姿に、感動を覚えます。 誰よりも多く走り、誰よりも多くボールを蹴り、誰よりも多く癒されないといけないはずなのに、そのようにされているのです。 強制されてとか、誰かに言われたからとかでやれる次元を超えています。   キリストの精神に自らを磨き作り上げられた鄭明析先生、その姿に学ぶところがとても多いです☆  

アンパンマンが顔を分けてあげるのは愛なのか?

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 私は小さい頃、アンパンマンが大好きでした♪ なんというか、あの悪をやっつけてみんなを助けるヒーローっぷりが大好きでした。 大人になった今、アンパンマンのスタイルを自分がやってみようとすると、結構大変なことなんだな、と実感するようになりました。   アンパンマンは、その名前のとおり、顔がアンパンでできていますね。 それで、お腹が空いている子には、自分の顔であるアンパンを分けてあげるんです。 少しだけなら、力がまだあって、自由に空も飛べてスーパーマンのような怪力を発揮できますが、ある時には、顔の3分の1くらいのアンパンを分けてあげて、力が出なくなってしまう時があります。(あぁ〜、アンパンマン!)と幼ごころに思ってしまうわけですが、そんな時には、ジャストタイミングとばかりに、アンパンマンの替えの顔が、ジャムおじさんによってナイススローで届けられるという素晴らしき連携プレー☆がいつも有りました^^   アンパンマンは自分の身を削って、子どもたちを生かそうとし、犠牲の実践をもって、悪を滅ぼそうとしていました。そんな姿がカッコ良かったんだと思います。 そしていま、鄭明析牧師の実践を見、その行ないの裏側に、到底言い表すことのできない、犠牲と涙の思いがつまっているんだということを、私は知るようになりました。   一緒にサッカーをしていた若者一人一人全員に、手づから果物を配って差し上げる姿、自らマッサージをして、疲れている選手たちを癒していらっしゃる姿、また、真理を慕う人々のためにと手づから開発した月明洞も、鄭明析牧師自身はほとんど使うことなく、御言葉を伝えるために世界を走り回られていらっしゃるその真実な姿。 本当に、自分を顧みない犠牲の実践をされていらっしゃる方であるということを告白せざるをえません。   また、キリストと呼ばれているイエス様も、33歳という若さで、ご自身を犠牲として十字架に捧げられるようになりました。 聖書にはこのような聖句が有ります。 『わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。 』 (新約聖書:テモテへの第2の手紙4章6節)   犠牲として自分自身を捧げるということです。 そうする時に、周りの人々が生きるようになるということです。犠牲を一言でいうと、愛の実践ですよね。 アンパンマンの姿とキリストの姿、また、鄭明析牧師の姿か重なり、その実践の力に感服せざるをえません。 私も、自らを犠牲として、周りの人々を生かせる人間になっていきたいと切に感じます。 ヒントは、キリストにあるようです。  

【摂理ツイート】ぼっちもいいじゃないか(^^

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 今日もとても良い天気ですね〜。 まさに洗濯日和です。お掃除にも精がでます^^   今日は天気が良いこともあり、サッカーをしました。 サッカーと言っても、なんと、Yo一人だけしか今日は集まらず、一人でサッカーをすることになりました。 そういえば、鄭明析牧師も良く一人でサッカーされていたなと思い出します☆   まずは、ボールと足を慣らすために感覚をつかむ練習をします。 そしてドリブルタッチ練習。 ジグザグ練習。 ここまでくると汗だくです。   そして、シュート練習。 ゴールを目の前にして様々な位置と角度からシュートを放ちました。 結局、始めてからいつの間にか1時間半が経っていました。 普通の公式試合90分と同じ時間動いていたことになります。 いやぁ、これにはYoも自分でびっくりしました(・▽・/☆   意外と一人もいいじゃないか。 よく、ぼっちは嫌だとか、twitterでつぶやいていたりするのを見かけるけれども、ぼっちだからこそ出来ることがあり、ぼっちだからこそ見えて来るものがあります。 いつまでもぼっちで良いというわけではないですが(^^;   考え方と行ない次第です☆  

【摂理の一言】考えていないとできないっ!(>▽<)

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 今日も良い天気になりました♪ 昨日に引き続き、サッカーをしました。   今日は、ぼっちではなく、多くの人と共にサッカーをしました(*^^*) もちろん、試合をしましたよ(^^ Yoは、中盤、ミドルの位置でプレーさせて頂きました。 結果的に、Yoも2アシスト2ゴールを決めることができ、昨日練習した成果が早速活かされたことを自分自身が一番感じました☆ やはり、行なった分だけ、変化することができるんだなぁと、身をもって感じました。  
鄭明析牧師の明け方の御言葉より©Mannam&Daehwa

鄭明析牧師の明け方の御言葉より©Mannam&Daehwa

『行なった分、変化するということを忘れるな。』 (鄭明析牧師の明け方の御言葉より)   また、更に更に嬉しかったのは、トップの位置にいた選手にピッタリとボールをパスできて、その選手がチョット、一足触ればゴールに入るくらいのボールを届けてあげることができ、そして、そのゴール前に立てた選手がシュートしたとき、本当に嬉しかったです。   そして、面白いのは、そのゴールに立てた選手に向かってパスやアシストをしていくと、自然に自分もシュートを決めることができるようになり、そして、ゴールに立てた選手へのパスも通りやすくなって、またまたゴールへのシュートが入りやすくなるという、Yo的にはとても凄い法則のような発見をしました☆   結果的に、後半、Yoのチームは3ゴールを決め、相手チームは1ゴールも入ることがありませんでした。もちろん、ゴールの数や結果だけがポイントなのではありません。 勝つことも嬉しいですが、試合を通して自分が得た感覚、このようにすれば上手くいくんだなぁという感覚を、実践を持って得ることができたこと。これがとても嬉しいことでした(^^   ゴールに一番近い人の考え、位置、方法に合わせて自分がその人のために最大限できる真心とプレーを果たす時、思いもよらない奇跡のようなプレーがつながり、ゴールが決まる。   そして、ゴール前に立てた選手が最後に話していたことがありました。 『ゴールだけを考えていないと、出来ない。』 と一言。 う〜ん。確かに。 いくらゴール前にいたとしても、ゴールを見てゴールを考えていなければ、シュートを決めることは出来ないです。 しかし、逆に、ゴールをひたすら考えている選手に合わせると、自然とゴールが生まれるということでも有ります。   ゴール前にいる、ゴールに一番近い方に合わせることによって、自分の目標とすることも、チームが目標とすることも、すべては達成出来るのだなと、学ばせて頂く良い時間となりました。   目標に一番近い方に自分の考えとプレーを合わせる。   スポーツ、生活、色々なところで使えそうです^^  

摂理の社会人の夏休み

昨日は、夏休みを頂き、かなり久しぶりの貴重な平日休みの時間を過ごしました。 と言っても、摂理人はやるべきことがたくさんあるので、毎日が忙しいです。 社会人は仕事があるので、休日はその他のことに時間を投資することが多いです。ほとんどは、教会への投資です。   昨日は、午後から学生中心のサッカー大会がありました。
自分も、OBということで参戦。 大学は同じといえど、話したことがあったといえど、一緒にサッカーをするのは初めてと言う人たちが集まりました。 これは、試合にならないのでは…と不安な中、 アップの時間も10分位しか持てずに、試合開始(笑) でも、終わってみれば、1勝2負。 さらに、それ以上の内容の濃い試合をすることが出来ました。   印象的だったのは、今日が2回目の参加だった新しい子です。 理由はひたすら走っていたからです。 でもそれが、選手の中で一番光っていました。 結局、彼が2ゴールを決める事にもなりました。 1点目は、滑りながら押し込んだシュート、 2点目は、ゴール前での蹴り合いから、身体にあたって入ったゴール。 どちらも綺麗なゴールとは言えませんでした。 彼は、御言葉は学んでいないのですが、「最後まで」という鄭明析牧師の精神を貫きました。 それが、結果として現れたのだと思います。   その他にも、様々なことがありました。 試合を通して変化していくチームをみて、摂理のサッカーは本当に面白いと感じました。   休日、休みたいところでしたが、サッカーに参加して良かったです(笑) また、仕事頑張ります。 週末は合宿☆  

スリル感を味わいたいあなたへ

皆さんこんにちは☆Yoです^^ これまで、Yoは『スリル』とは無縁の生活を送ってきた人間でした。 まさに『安定志向型』人間とも言うべき、『スリル』を楽しむとか良く分からない世界の話しでした。 しかし、今は『スリル』感を味わっています^^   まるで人間が変わったようです。 (変人になったのではありません(笑))   どういうところでスリル感を感じるのかと言うのですか?   色んなところで感じるようになりました☆   一言で言うと、自分が『挑戦している時』です^^ また言い換えると、『勝負している時』とも言えます☆   すなわち、職場でも、料理でも、サッカーでも、自分の目標とするところに向かって、『ココぞ!』というところで『勝負を仕掛けられる』自分に変化したということです。   これは、自分でも驚くべき変化です。 何と言うかある意味『勝負師』になったようなものです。 と言っても、博打するようなものではありません。   自分がチャレンジして、イケる! 商談がまとまる! パスが通る! シュートが入る! この味で絶妙だ! という『時』と『タイミング』の時に、『グググイッと』押せるようになったということです☆ だいぶ押していますね(笑)   この『押す』感覚、日本人は少し弱いところがある点ですよね(^^ Yoも、初めは遠慮しがちなタイプでした。まさか、自分が『押す』ようになるなんて思いもよりませんでした。   なぜ、Yoが変化するようになったのでしょうか。 絶対的に、自分自身の考えのなかでは変化することに限界がありました。 限界を超えることができるようになったのは、まさに、真理に出会えたからです☆   真理は、一言で言うと、成功する法則です。 この真理は、分かる人には宝のようなものであり、そうでない人には、つまづきの石となるようなものです。   今日も、真理によって、今まで通らなかったサッカーのパスが通るようになりました。そして、パスして速攻3タッチでゴールを決めることにつながりました☆ 人間は、何を脳に入力するかによって、行ない自体が変わってきます。 また入力した考えの強度をどれくらい強く入力し強度を上げるかによって、実際に成功するか失敗するか、考えの行ないの結果が強く左右されます。   正しい考えを持って挑戦し、できなかったことが出来るようになったとき、まさにスリルを味わう瞬間を体験しますが、そのスリルがたまらない感覚となって自分に返ってきます。 そして、そのスリルはリスクを背負うことはないのです。 賭け事ではないのですから。 今日もスリルを味わい、また明日もスリルを味わうことになるでしょう。 皆さん、『スリル』良いですよ☆    ]]>

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