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【摂理人が書く物語】あなたと私は、二人ではない その1

神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。-創世記2章2-3節 私達一人一人を存在させるために天地万物を創造した神様。 その神様のことをわかって差し上げ、感謝と栄光を捧げるためにくださった、尊い日。 神様のことを学んで知った摂理の人たちは、この主日に教会に集まり、賛美をし、御言葉を聞きます。 礼拝は、神様と自分が出会う最高の「愛の時間」なのです。 「アーメン!ハレルヤ!」 アーメンとは「私もそう思います、神様!」という同意の言葉。 ハレルヤとは「神様を褒め称えます!」という栄光を帰す言葉。 …礼拝の時間、教会には神様の言葉に同意する言葉と栄光を帰す言葉が絶えません。 しかし、同じ礼拝の時間を過ごしているとしても一人一人の心は皆違います。 様々な状況の人が摂理の礼拝に来ているのです。 「うわぁ~!ハレルヤ~♡」 神様との愛に夢中で、もっと愛するために熱心な人がいれば、 「…ふぅ、賛美すると心が癒やされるなぁ。本当に感謝」 一週間社会で信仰を守って、疲れている体と心を御言葉の力で回復し、次の一週間を走る力を受ける人、 「…うぅん…どうしよう…うまく出来なかった…。 よし、今日の礼拝はもっとしっかり捧げよう!」 うまく御言葉を行えなくてちょっと申し訳ない気持ちもありつつ、もっと決心して愛を捧げる人もいます。 「………」 また、中にはあまりに疲れているのか、それとも何も考えていないのかボーっとしながら御言葉を聞いている人、 「…よくわからないなぁ…どういうことだろう?」 何が何だかよくわからないままとりあえず礼拝に来ている人、 「…はぁ…退屈…」 人に言われてきたはいいけど、心が乗り気でない人、 「…あぁ、あの問題どうしたら…」 自分の問題に悩みすぎて、御言葉が聞けていない人…もいます。 「アーメン!!ハレルヤー\(^o^)/」 「(…あぁ、良いなぁ、Lちゃん。あんなに素直に神様の御言葉を聞いて喜んでる。 私もあぁなりたいな…)」 礼拝で恵みを受けている人が見えてしまう、そんな人もいます。 神様は、そんな一人一人をご覧になって、それぞれに相応しい御言葉を与えてくださいます。 「…『あなた自身も、命も、自分の子も、<穀物>や<さまざまな果樹>だと思って接しなさい』とおっしゃいました」 「…えっ?」 その御言葉に反応したのは、先程恵み爆発のLちゃんを見て羨ましく思っていた女の子。 今日の『物語』はそんな彼女…「Sueちゃん」のお話です。]]>

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