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愛する対象がいなくなったら

 

愛する対象なのに、対象として見ずにいたら、いないのと同じです。

愛するから嬉しいし、ドキドキするし、幸せになれます。

 

 

介護の仕事をしていると、言葉を話さなくなった人や、子どものようになって振る舞う人、魂の抜けてしまったかのような様子になってしまう人と出会うことがあります。

 

ご家族に聞いて見ると、旦那さんがお亡くなりになってから、奥様がお亡くなりになってからそのようなご様子になってしまったと。

 

あまり話さなくなってしまった。

とてもわがままを言うようになってしまった。

気力がなくなってしまった。

 

そういう事例があるんです。

最愛の存在がいなくなってしまった心の空虚感です。

資格の勉強をする時にもテキストにも載っていました。

 

 

 

また、亡くなっていなくても、認知症や脳の病気になってしまい、以前のその方の姿様子とは大きく異なり、変わってしまった姿に落ち込んでしまう人も見てきました。

「なんでこんなになっちまったんだ」と。

 

 

 

私の家族も認知症を患っているので、その姿、言動を見た時は信じられない、受け入れたくないという現実でした。

 

同時に、一緒に住む家族の困り果てた姿、介護に疲れきった姿を見た時も本当にショックでした。

 

 

これだけ、愛する存在は大きいのだなと感じる機会でした。

 

 

 

それでは、傷つきたくないから、関係を持たないようにしますか?

家族とも連絡を断ち、関係を切るのか?

結婚をしないのか?

 

 

 

 

私は家族との縁を切り、その後たくさん後悔され、たくさんの病気を患い、心体とも辛い思いを重ねてきた方とお会いする機会もありました。本当に後悔されていて、人生を間違ってはいけないよとその過去の話をお聞きしたこともあります。

 

私は臆病な性格でして、家族と距離をとったことがありました。

ある意味楽でしたが、虚しく悲しくもありました。

 

 

先日ブログにも書いたのですが、摂理に来て、神様の愛を学ぶようになって、家族を愛し、関係を取り戻していって、心から本当に良かったと思っています。

 

10年以上、まともに向き合い話すことを避けて来た親戚との付き合いもちゃんと顔を出すようになって、こんなに素敵な親戚の方に囲まれていたんだなと分かって涙しました。

 

 

愛する対象は人として生きる上で必要だと私は思います。

 

人は皆、両親の愛を受けて生まれたからです。愛の元に生まれたからです。

愛されるために生まれました。

 

親に、根本的には神様に。

 

神様をまずは愛し、敬愛するのであれば、その愛によって生きられるし、

その愛によって他人を愛することができます。

 

 

愛する対象がいますか?

家族がいませんか?恋人がいませんか?

神様をまずは愛してください。

神様はいつも共にしてくださっています。まずは神様を心から愛せるように生きたらもっと素敵な人生を歩んでいけて、虚しさとは関係のないものになれるでしょう。

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