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摂理の事件報道についての真実とは・・・?

私が大学生のときに摂理に出会って13年が経ちました。
今まで、大学生活、社会人生活、結婚、育児をしてきて色んな困難もありましたが、
たったの一度も摂理を脱会したいと思ったことはありません。

むしろ、困難を経験する度に、摂理に来て良かった!と感謝して乗り越えて来ました。

私が摂理に来て一番ショックを受けたことは、
家族から摂理を悪評するサイトの資料や、カルト宗教に関する本を突きつけられて、
摂理をやめろと言われたことです。

私にとって摂理は宗教団体ではなく、純粋に神様を信じ、愛し、
少しでも完全な生き方をしようとする人たちの集まりだったため、
摂理がカルトだと言われ、
鄭明析牧師に関する根拠のない悪評を聞いて本当に驚きました。

それを期に、
摂理と鄭明析牧師がインターネットやマスコミでどのようなことを言われているのかを知るようになり、
それらが事実とあまりにもかけはなれていることにさらに驚きました。

ここではっきりとひとつひとつの疑問に対して、真実をお伝えしたいと思います。

疑問1.摂理の人は鄭明析牧師に絶対服従しているのは本当ですか?

答え

摂理の人たちは、鄭明析牧師が伝えてくださる御言葉を絶対的に信じ、
御言葉通りに行おうと努力します。
すべての御言葉の内容の核心は「心と思いと命を尽くして神様を愛しなさい」です。
決して、鄭明析牧師に忠誠を尽くしなさいとは言われません。
そして、鄭明析師ご自身が、
実際に心と思いと命を尽くして神様を愛して生きてこられたから、
その人生において、どのようにしたら正しく神様を知って愛して生きることができるのかを悟り、
それを私たちにも教えてくださっているのです。
そして、鄭明析師は、決して強制的に何かをやらせることはなさいません。
絶対に、その人の意思を尊重します。
その人の命にかかわることならば、「行くな」、「するな」とおっしゃることもあります。

疑問2.摂理に入ると脱会できないのですか?

答え

摂理には「脱会」という概念がそもそもありませんが、
摂理の御言葉を聞くか聞かないか、
礼拝に参加するかしないかはまったくもって本人の自由です。
摂理の人たちの中に強制的に御言葉を聞いている人もいないし、
強制的に礼拝に参加している人もいないし、
強制的に結婚させられている人も絶対にいません。
人に勧められて摂理の御言葉を聞いてみたけど、よくわからないし、
時間がもったいないのでもう聞きたくないと判断するのであれば、
摂理の人たちは決して無理やり聞かせようとはしません。
ただ、必ず御言葉の価値性を悟っていつかまた聞くことができるようにと、
その人の霊魂の救いのために祈ってあげます。

疑問3.摂理は、鄭明析牧師の好みの美人とエリートばかり伝道しているのは本当ですか?

答え

神様は人をご覧になるとき、外見を見るのではなく、中心(その人の心)を見ると聖書に書いてあります。摂理でもまったく同じです。どうして美人ばかり、エリートばかり伝道する必要があるのでしょうか。
たとえ美人が多くても、その人たちがわがままで、神様を正しく信じて愛することができないなら摂理にいても意味がないし、エリート(お金持ち)がたくさんいて、摂理が経済的に潤っても、肉的なことは栄えるかもしれませんが、霊的に栄えることができず、結局その人たちの信仰は破船してしまいます。
摂理では、お金を稼ぎなさいとも言われないし、外見を磨くために投資しなさいとも言われません。
むしろ、霊的な義を積みなさい(お祈りや、賛美、御言葉を実践しなさい)とか、霊を美しく装いなさい(心を清くしなさい)と言われます。

疑問4.鄭明析牧師が今獄にいるのは性的犯罪のためですか?

答え

いくらマスコミがそのように報道したとしても、鄭明析牧師にはそのような罪はなく、事実無根の話です。

なぜそのように断言できるのかというと、鄭明析牧師が伝える御言葉を聞けば明らかです。
御言葉を聞けば、鄭明析牧師が幼いときから現在に至るまで、神様の前にいつも清い姿で進み出るためにどれほど努力されてきたのかがわかります。
鄭明析牧師ほど神様の心を知っている方はいないし、神様にうまくお仕えし、愛する方はいません。
韓国の法廷で、懲役10年の判決が下されたとき、鄭明析牧師はあまりにも無念でしたが、
「主よ、私を愛していますか?私は主を永遠に愛する人生になったから何があっても本当に幸せです。永遠な幸せが本当の幸せです」
と涙でお祈りされたそうです。

そして、今いらっしゃるところでお祈りをするときには、床の埃を手で払い、「主よ、こちらにおいでください」と言って、そこでできる最大限の真心をこめて主を迎えてお祈りされるそうです。

このように純粋に神様を愛する方が、どうやって罪を犯すことができるでしょうか。私は摂理に来て、鄭明析牧師の神様を愛する生き方を見て、こんなにも高貴な愛があるとは知らなかった、と本当に衝撃を受けました。

鄭明析牧師は神様の愛、アガペの愛を知り、実践される方です。どうしてマスコミで言われているような異性的な愛に溺れることがあるでしょうか。そのような愛は鄭明析牧師にとっては愛ではありません。

そのような異性的な愛しか知らず、興味本位で人を色眼鏡をかけて見て判断し、視聴率のために事実を歪曲し、脚色し、誇張し、間違った情報を流すマスコミに対して義憤を感じざるを得ません。

このように、事実無根のことを報道されたのだから、当然鄭明析牧師がマスコミを名誉毀損で訴えることもできるでしょうし、もっと裁判を重ねて反論し、無実を主張し続けることはできるでしょう。
しかしそのようにはなさいません。
ただひたすら、祈りと、神様の御言葉を伝えることだけに集中されています。
自分の名誉のために戦うことはなさいません。ただ神様の仕事をする時間を必要とされているからです。
摂理の御言葉を聞くこともせずに鄭明析牧師を批判する人には、本当に、摂理の御言葉を聞いて見ることをお勧めします。
そうすれば、良心で悟ることができるでしょう。(良心が生きているならば。)

もっと色んな疑問にお答えできたらと思うので、これからも記事を書いていきたいと思います!

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