主日。
7日に一回、主日が巡ってきます。
考えてみると、人生は繰り返しですよね。
世の中も毎年、決まったことを繰り返します。
毎日も同じで、リズム良く生きる人は決まった時間に寝て起きて、会社や学校に行きます。
もちろん、マンガと違うから年齢を重ねていきますので、毎年が同じではありません。
でも、社会人になった人はわかるかと思いますが、1年や2年ではそこまで、大きくは変わりませんよね?
まぁ、異動があったり、昇任したりして変化はありますが、
その中で、自分自身がどの様に変わっていくかが大事なのではないでしょうか?
会社では去年と同じレベルで仕事をしていたら、上司から怒られますよね。
年輪を重ねるたびに成長を求められるわけです。
同じミスを繰り返すにしても、頑張っているかどうかが大事ですよね。
同じようなミスでも、努力しての結果なのか?何も考えずにしてしまったミスなのか?
また、締め切りがあるのに自分を中心にして行うのか?最後まであきらめずに努力しているのか?
みなさんが後輩の面倒を見るとして、どちらが好ましいですか?
よほど、面倒見がよくない限り、答えは決まっているのではないでしょうか?
まぁ、例外的な人もいるので一概に言えない場合もありますが。。。
前のブログで掲載しましたが、今年は「実践の年」。
何を行なうのか?最後まであきらめることなく、行なっているのか?
そのために必要なことはもちろん実践です。
世の中のことで自分に該当することは自分がしないといけないこともあります。
でも、信仰を持つ私にはもっと必要なことがあります。
それは信仰を持っている人ならば、誰しもそうですが、神様とつうじることです。
つうじてこそ、その方の願っていらっしゃることがわかり、その中で自分がすべきことがわかるのです。
どうしたら、通じるのか?
そして、どの様な次元で通じるのか?
主人としもべ?親と子?恋人・新婦?
信仰生活をどのように過ごすのか?
しもべのように?子どものように?恋人・新婦のように?
そして、お祈りすることです。
お祈りは対話と言う側面があります。
自分の事情を告げて、切実な祈りあってこそ、神様は私の状況を知ってくださり、その祈りを聞いてくださいます。
みなさんは神様に何を話しますか?
今日はその事について、伝えてくださり、上記のようなことを考えるきっかけをくださった、
鄭明析の御言葉を紹介します。
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『定めた日まで、最後まで耐えて祈る人は得るだろう。
祈りの期間をどうして110日に定めたのか、実践者だけが悟る。』
[本 文]
マタイによる福音書7章7~11節
7)求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8)すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
9)あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
10)魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
11)このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
マタイによる福音書24章13節
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
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求める人、最後まで切実に祈って行なう人にもっとよいものをくださる神様でいらっしゃいます。
今年は<実践の年>です。
<実践の時>に従って最後まで祈って実践すれば、<夢>も「実体」になるし、<現実>も「実体」になります。
最~後まで祈れば三位は答えてくださり、祈ったものをくださるから、最後まで切実に熱心に祈りながら実践することを願います。
ただし、運動も長い間してこそ筋肉がつき、体格が変化するように、祈りもそれだけしなければならないと思ってしなければなりません。
3か月、4か月、5か月、一年間、真~実に、切~実に、深~く祈れば自分が願っていたことが成就すると絶対に信じて祈ることを願います。
<実践>が「答え」で、「解決策」だから、365日間「実践の火」が冷めないことを願います。