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永遠を左右する ~おおさかの摂理人、御言葉で感じたこと~

みなさんは霊と魂の存在を信じますか?

もし、霊と魂を信じないのでしたら、永遠について、考えることはしないのではないでしょうか?

肉体を、身体を持った人生は永遠ではなく、限られたものですよね。

だから、永遠なことを考えることはしないのではないでしょうか?

中には自分の事だけではなく、子孫のことを考えている人もいるかもですが、、、

政治の世界も同じではないでしょうか?

遠い将来のことを考えて活動しているのでしょうか?

目先の利権や既得権益を考えているのではないでしょうか?

最近の天下りの問題は、自分さえ、天下れたらいいと考えて、行なったのではないでしょうか?

結果的にその人が行なったことをとおして・・・

役人はその様に生きていると思われているのではないでしょうか?

中には頑張っている人もいるでしょう。そうですよね。

その様な人たちも健康には気をつけているのではないでしょうか?

そうですよね。

長生きしたくないっていう人はめずらしいのではないでしょうか?

肉体の人生しかないと思っている人は余計にそうではないかと思います。

でも、私たちには霊と魂があります。

そして、あるのでしたら、

肉体の健康を考えるように霊と魂について、考えないといけないのではないでしょうか?

肉体にとって、食べ物を食べることが大事なことですよね。

栄養を得ることによって、肉体を維持しているのですから、

霊と魂にとってはどうなのか?

イエスは答えて言われた、

「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

神様の御言葉で生きるのです。

そして、霊魂は永遠に存在します。

だからこそ、霊魂が肉体をもって生きている時に

どの様に生きてきたのかが重要なのです。

肉体を持っている時に罪を犯したなら、その罪によって、罰を受けることになったりしますよね。

そして、刑法があるように、霊魂も従うべき法があるのです。

この世での罪ならば、肉体が亡くなれば、無くなるかもしれません。

しかし、霊魂は永遠に生きますので、その罪が許されるかどうかは・・・

すべて、神様の御心ではないでしょうか?

永遠だからこそ、行なったことが罪か義なのか?によって、左右されるのです。

<罪>と<義>で「永遠な世界」が左右される。

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