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自分の眼をくもらせるモノ。 ~おおさかの摂理人、御言葉をとおして~

今日は主日でした。

主日は主の日です。そのままですね。

神様が御言葉をとおして、私たちに道を示してくださる日です。

今日は、先月伝えてくださった御言葉を紹介します。

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『罪があったら「すべきこと」が見えなくてできない。

 罪にも義にも必ず「代価と対価」が伴う。悔い改めて「罪の荷」を脱ぎ捨てなさい。』

[御言葉] 鄭明析牧師

[本 文] ルカによる福音書5章32節

『わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』

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罪を犯したら、
<罪>によって<自分のすべきこと>を悟ることができないし、実践することができません。
罪を犯すと「その罪を悔い改めるまで」は<そのことに該当すること>が見えなくなります。
<雑草>が生い茂っていたら「幼い穀物」はよく見えないでしょう?

<雑草>をきれいに取り除いてこそ<穀物>が見えるように、<罪の雑草と汚いもの>を悔い改めてきれいになくしてこそ、<自分がすべきこと>が見えます。
また罪を犯したら「罪に対する代価」を受けることで<行く道>を行くことができず、<自分のすべきこと>ができません。
だから、罪を犯したら後回しにしないで、体についた汚いものをすぐに洗ってしまうように、すぐに悔い改めて、洗ってしまわなければなりません。
一日でも早く悔い改めて、罪の主管圏から抜け出さなければなりません。

これが「主が下さる心」であり、「聖霊が下さる感動」です。
血気を出して鬱憤を晴らして命を害することをしないで、兄弟をねたみ嫉妬して憎むこともしないで、天に対して寂しく思うこともしないで、神様の御心の中でいつも感謝し、感激して、兄弟も愛し、三位も愛して生きることを祝福します。

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自分で悪いことをしたら、、、後ろめたさがありますよね。

自分ではそんなつもりはなかったとしても、いつの間にか?保身に走ります。

僕自身もそうです。

例えば、何か?しないといけないことがあったのに、自分自身に言い訳をしてしまったり。。。

みなさんにはそんなことはないですか?

故意にしたわけではないことも悔い改めることが大事です。

まずは受け止めること。

そして、それがどういうことだったのか?考えて・・・

受け止めていたことを受け入れて、自分が悪かったという事を認めないといけません。

そうしてこそ、自分の眼(考え)をくもらせていたことを取り除く第一歩だと感じます。

何ごとでも認めることと始めることはたいへんです。

一歩を踏み出せば、変化がおきます。その変化がさらなる変化を生み出します。

まずは認めて、始めて、眼を、考えをくもらせる原因を取り除きましょう。

そうすれば、スカッと雲一つない空を行く雲を引いた飛行機の様に真っ直ぐ進めるのではないでしょうか?

 

 

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