摂理好きチーナはNHKの番組を結構見て育ちました。教育テレビから、ドキュメンタリー、外国語教室や深夜のお笑いまで!!
もちろんニュースも。家庭環境も大きく影響していたので、何も疑わずに「当たり前」として、
テレビの情報を信頼していました。それで言うと、ある時期までは親の事も100%信じて疑いませんでした。
私も年を重ねて、触れる情報や人との出会いの幅も広くなりました。
信じて疑わなかった親も「完璧ではない人なんだ」と知るようになったし、
疑わずに見て読んでいた、テレビや新聞も「完璧ではない事もある」と知るようになりました。
要は、私が「無知」だっただけなんですよね。
そう私が30年生きてきて、
大きく学んだ事。
★「私は無知である」という事と、
★相手が言う情報は「完璧ではない可能性がある」という事です。
今回の報道も、好んで見ていた番組でもあるので、「完璧であって欲しい」という願望と期待はありますが、
「完璧ではなかった」という事が報道された、という事実ですね。
大好きな親を最初から疑ったりはしませんが、彼らも「人間としては成長途中」(肉体が存在する限り成長していくという考えのもと^^)ですから、間違うことだって、不完全な事もあるでしょう。
これも、私も、年を重ねるごとに分かるようになり、秀でている部分は尊敬しながらも、
不完全な部分は共に学び成長していきたいと考え、今を生きています。
情報も信じたい願望や期待が先走ったり、吟味もせずに鵜呑みにしてしまうのって、
大人としては、意識がやや乏しくないでしょうか? そうですよね。
状況や立場によっては、必要以上に注意を引くために、誇張されている場合が多いという事も
念頭においておいても、過言ではないかもしれません。
私自身、「真実」が知りたいと願っていて
「真実」に出会うようになりました。
私でさえも、得られるようになったのですから、
是非、みなさんも「真実」を分別する目や「真実」を求める心・意識を
持って頂きたいな。と、思った今日このごろです。
情報って便利でいいんですが、
必要事項を、きちんと分別し「完璧ではない可能性がある」と分かって
上手に使用しないといけませんね。