「どうして御言葉が必要なの?」と聞かれて、摂理好きチーナは交通ルールを守る事の大切さと共に、「神様を信じるため」「人間として正しく生きるため」「天国に行くため」と答えた事があるんよね(*´▽`*)
とある小学生に聞かれた時、以下のようにお話ししたものです。
「なぜ、交通ルールがあるんやろうか?」
人が死なないようにですよね?
歩く人、自転車、自動車、電車、飛行機、船…
学校に行ったり、買い物したり、
生きるためには必要な乗り物。
そして目的地に向かって進むために必要な「道」。
しかし、その乗り物も道も「安全」がなければ、「死」と隣り合わせだという事は、
みんなが、知っとるやろう?
交通ルールに慣れるまでは「面倒くさいな」「信号を待つのはいやだな」「前の車を追い越して行こうかな」「ちょっと位なら違反してもいいかな」と思った事があるかもしれんね?
でも、そのルールに慣れてしまったなら「当たり前」になり、
「信号がある事に感謝」するようになるし「ルールがある事に感謝」するようになるんよね。
なぜでしょうか?
信号が無くて事故が起きて、ケガをしたり、ルールを違反して命を亡くした人のニュースを見るように、
事故にあった本人はとても辛いし、その家族も本当に悲しい想いをする。
「生きている」こと「生きていられる」ことは本当に素晴らしいです。
ただで生きとるやろうか?
ルールに守られ、安全を与えられているから「生きている」ことを知るならば、
自分も「生きるためにルールを守る」ようになるはずやね。
これは、色んな状況や、色んな人が行き交う「交通」という道路での話ですが、
御言葉を学んで、神様を信じて生きる「信仰生活」というのは
道路を拡大した「人の社会」「地球」で
「安全に生きるための」ものです。
御言葉で教えられる、真理というルールや、神様の言葉を守って生活することは、
慣れるまでは「面倒くさいな」「お祈りをするのやめようかな」「御言葉をよまずにいようかな?」「ちょっと位なら守らなくてもいいかな?」と思うこともあるかもしれん。
しかし、
交通ルールを守らずに、衝突して事故を起こしケガをしたり、命を落とした人の姿をみるように、
真理というルールを守らずに、人と心情が合わずに衝突して、心を傷つけあったり、
恨んだり憎しみの感情(意地悪な感情)をいつも心にもって辛い生活をしたり、
みんな愛されるている貴い一人ひとりなのに、
差別をしたり、個性があって当たり前なのに、その個性を認めてあげず悲しい想いをさせたり、
時には、自分の存在価値を感じられなくなり、
あまりにも辛い体験から自殺して命を亡くしてしまう人もいる。
そうならないように、正しく考えられるように
教えてくれるのが、「御言葉」「聖書」「真理」と言われるもの。
傷つけあったり、意地悪ばかり考えて生きる人の姿は綺麗じゃないよね?
最後には、自殺までしてしまう心の状態は、本当に悲しい事であり、
その人を愛する人からしたら、本当に本当に悲しい事で、あってはならない事なんよね。
そういう人の姿をみて分かる様に、
御言葉は、
人が死なないようにしてくれるもの(*´▽`*)!!
人間として、愛情をもって生きるためにあるんよね(*´▽`*)!!
神様からの「愛」を知って、
人間(あなた)が本当に大切な存在だと知ることが出来るように!!
生れたての赤ちゃんも、小・中・高校生、大学生、社会人、親になった人、壮年した人、国籍や人種も関係ない。
色んな人が、お互いを尊重し、安全に平和を築きながら生きるために、
交通ルールならぬ、
人生のルール=御言葉=真理が必要なのです。
道で交通事故にならずに、自分を守って相手を守るように、
人生を生きていくなかで、自分を守って相手を守って、地獄に行かずに天国で楽しく暮らすために
いつも守って側にいて下さる神様に感謝をしながら生きられるように、
御言葉を学ぶんよね(*^▽^*)。
死なないように。
あなたの肉体がケガをして死なないように、
あなたの霊と魂がケガをして死なないように。
そのために、御言葉を学ぶんよ(*^▽^*)
長いですが、こんな話をした事ありました。
難しそうですが、意外と、しっかり聴いている小学生でした(*^▽^*)
よっぽど、
大人と言われる年齢の方が、無知であり、
事の重要性に鈍感で、自分が良ければいい、と言ってしまっているようにも思えます。
これから日本を担い、世界を担っていく世代に、
もっと「なぜ御言葉が必要なのか」
伝えていかないといけないな、と思います(*^▽^*)
まずは自分がしっかり、学び悟らんといけんね( *´艸`)ガンバロー♫
~知恵のことば(摂理 鄭明析)~「天国にのぼる命の道」