~神様のいらっしゃる天国の倉庫には、人間に与えるプレゼントが溢れている~
天国には、各自それぞれに該当するプレゼントが保管されている倉庫があるそうだ。
その中には、はちきれんばかりのプレゼントの山。
与えたいけれど、与えられないまま保管され続けているプレゼント…
どうしてだろうか?
① 一つ目の理由
マタイによる福音書7章7節
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」
求めないから与えられない。
与える事は神様の責任分担。
求める事は人間の責任分担。
お師匠であるチョン・ミョンソク牧師にそう教えて貰った。
(えぇ?めっちゃ求めてるんだけど…)
そういう考えが浮かんだ人もいるのではないだろうか?
聖書にはこう書いてある。
ヨハネによる福音書14章13節
「わたしの名によって願う事は、何でも叶えてあげよう」
救い主(キリスト)の名前で神様に願い求めること。
これがポイントだ。
よく教会でのお祈りでも、
「主の御名でお祈りします」
「御子主の御名でお祈りします」
そう言ってお祈りを締めくくっている。
主というのはキリストのことで、
神様はキリストを通して「人間の願い求め」を受け取られるからだ。
@ja.aliexpress
また、願った内容にも注目したい。
「千と千尋の神隠し」に出てきた「カオナシ」は、貪欲に求め続けるが満足できない現代人の象徴として描かれていた。
今まで自分が願っていたもの、求めていたものが何だったか振り返ってみてほしい。
金銭関係
飲食関係
ファッション・コスメ・美容関係
進路・就職関係
家族や友だちなどの人間関係‥‥
そういうものを願っていなかっただろうか?
ここで、二つ目の理由が出てくる。
② 二つ目の理由
マタイによる福音書6章33節
「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
ここで言う「これらのもの」というのが、「何を着ようか」「何を食べようか」という肉欲や肉体の世界に関係するものを指している。
神様は、「肉体の世界のもの」を求めるよりも先に「神の国と神の義」を求めなさいと仰っているのだ。
(え?神の国と義って?)
神の国とは天国のこと。
つまり、救い。
「義」とは、霊魂の救いの為に行なうこと。
御言葉を聞く
聖書を読む
神様に祈る
神様の願っていらっしゃる事を行なう
このようなことが「義」だ。
つまり、肉の世界の物事の為に祈る前に、あなたの霊の救いの為、神様の御心が成されるように祈り求めなさい。
それらを真実に神様に願い求める人には、肉体の事も全て添えて与えられるであろうということだ。
また、このような理由もある。
③ 三つ目の理由
伝道の書3章1節
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」
人がいくら求めたとしても、神様は「一番ふさわしい時」に与えられる。
自分の考えるタイミングではない「神様の時」だ。
@www.youtube
「自分の願っている時」までに貰えないから、
「やっぱり神様はいない」
「何も起こらないなら、祈っても無駄だ」
そう考える人。
このような人は、神様から見たら【途中で諦める人】だそうだ。
神様は一番良い時に与えようとしているのに、
もう少しだけ耐え忍べば与えられるのに…。
プレゼントを貰える「時」を目の前にして挫折する。
神様はそのような人をご覧になるたびに、とても残念に思われるそうだ。
チョン・ミョンソク牧師先生は
「神様が下さる時まで求めなさい」
「最後まで求める人に神様は必ず与えて下さる」
そう教えて下さった☆。.:*・゜
神様は、愛する人たちに必要な物を与えようと手に持っていらっしゃる。
だから、私たちが祈る事を待っていらっしゃる。
だから、それにふさわしい祈りをしなさい。
神様が待っていても祈らず、祈りの貴重さを分からずに疎かにしたら、祈っている他の人に祝福が全て回っていく。
@摂理の御言葉より抜粋
「神様からの祝福を貰う3つの方法」どうでしたか?
@item.rakuten
祈りは神様に決裁をもらうためにすることだ。
神様の決裁をもらってこそ、すべてのことを進めることができる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net