また、よく言っておく。
もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
<マタイによる福音書 18章19節>
「二人が一つになってやりなさい」というのは、
私たちの普段使う「二人が一つ(にこイチ)」という認識観とは違います。
「二人」というのは、
自分の側の二人ではなく
相手側と自分側一人ずつ
そういう意味での一つです。
より相手と一つにならなければなりません。
一つになる人は、十字架を背負わなければなりません。
「私が責任を負おう。私がやるよ」
「大変だったら、私がやるよ。」
そのようにしたら、可能性があるでしょう。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net
普段の生活でもそうだが、
学生から社会人になるとき。
バイトから正社員になるとき。
サークルや部活で、ただのメンバーから、部長になるとき。
今まで以上の「責任」がその人についてくるようになる。
「自分がやります!」
そのように考え、最後までそこで「責任を負う人」がいるかいないかで、すべてが変わる。
「責任を負う人」は、その人にかかる重圧も、その人が抱える問題も、他の人とは全然違う。
また、バラバラな思考と個性豊かな人たちを「一つ」にするのは、本当に難しい。
個人や学校・社会の単位でもそうなら、「全世界の霊魂の救いの責任を負う人」ならどれほどだろうか。
キリスト(救い主)は、全世界を救う「責任」を負った方だ。
また、神の御言葉でバラバラな世の中を「一つ」にする方だ。
私たちが救われる為には、まず、「キリストと一つ」にならないといけない。
イエス様は仰った。
「私は道であり、真理であり、命である」 ヨハネによる福音書14節6章
「私はあなた方を捨てて孤児とはしない」 ヨハネによる福音書14章18節
「全て、重荷を負うて苦労しているものは、私の元に来なさい。
・・・・私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。」 マタイによる福音書11章28~30節より抜粋
地上の罪を代わりに贖い、地上の全ての人の救いの責任を負えるのは、キリストしかできないことだ。。
キリストにしか分からない地球規模の苦痛と、それを覆いつくすほどの愛。
十字架を背負いながら、私たちが「一つ」になるように命をかけ神様へと導いて下さる唯一の使命者。
神様、地上に救い主(キリスト)を送って下さり、本当に感謝します‥‥
<神>が人間に話したら、「人間の肉」は聞き取れない。
だから神である神様と聖霊様と御子は
「ご自身が遣わした人の肉」を通して語られる。
6000年の救い歴史を見なさい。いつもそのようになさった。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net
<罪>はただで許されるのではない。
「悔い改め」て、「罪の代価」を払って、「条件」を立てなければならない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net
主がなさるように、
みんな<兄弟たちの罪>をお互いに許さなければならない。
そうすれば「実体」になって、許される。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net