今日は昨日の夜に雨が降ったことが本当かなと思うようなすがすがしい天気でした。
今日は会社で、様々なことがありました。
本当にきちんと問題がどこにあるのか?何を求められているのか?
根本的に何が原因なのかを考えないといけないと思うような出来事がありました。
同じ「言葉」でも、人によって、その「言葉」の受け取り方も考え方も違います。
その事をはっきりとわかるような出来事でした。
まぁ、言ってみたら、人によって、着眼点が違いますし、求めていることが違うこと。
立ち位置の違いからくる問題でした。
例えば、極端なたとえですが・・・
「水がほしい」とある人が言ったとしましょう。
その一言の「言葉」をどの様に受け取るでしょうか?
ある人は飲みたいのかな?と考えたでしょうし、
また、ある人は言ったその人は降雨量が少なく、水不足を心配しての発言だろうと考えました。
他にも、コンビニかどこかで、水を買って来てと考えました。
本当に同じ一言の「言葉」でも違いますよね。
年輪を重ねた夫婦ならば、あうんの呼吸で、互いの意図し手入れうことが、わかるかもしれません。
そう考えると・・・
会社って、すごいですよね。適材適所と人を配置し会社を経営しないといけません。
しかしながら、会社の組織は、その人の性格、個性等を正しく把握できているのでしょうか?
表面的なちょっとした付き合いしかない可能性もあるかもしれません。
そんな中で、本当に難しいですよね。
それなのに・・・
いかにもその人をわかったように話したりすることは出来ないのではないでしょうか?
相手のことを理解するためには、お互いに歩み寄り、その人の心がわかってこそできますよね。
この事は、宗教にも言えるのではないでしょうか?
ある人が神様について、話していたとしても、
神様のことを理解しようとしない人が、
あるいは神様について話している人を軽視しているならば、、、
その話を聞くでしょうか?
最初から、聞く気がないことと一緒ですよね。
そんな人と対話もできないし、対話以前の問題ですよね。
この事は僕自身にも、誰にも言えることではないでしょうか?
老若男女関係なく、先入観を持たずに人に接することが本当に大事ではないでしょうか?
理解しようとする心。おざなりな対応ではダメですよね。
受けいれる時に空いての話の意図がわかり、話すことができるのではないでしょうか?
神様との接し方はどうでしょうか?
<神様の心を分かってさし上げる時>「対話」がよくできる。