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「祈り」の長崎より☆なぜ「祈る」のか

お祈り」を上手に使って幸せになりましょうという話をしました。 今日は、なぜ「祈る」のか? お伝えしたいと思います。 皆さん、願い事、ありますか? ありますよね^^ ない方、いますか? [caption id="attachment_492" align="alignnone" width="300"]ねがい ねがい[/caption] まさに、幸せになりたい☆ 頭良くなりたい! 部活のレギュラーになりたい! お金持ちになりたい! 等々、あるかと思います。   よく、Yoの出身の長崎では世界的に『「祈り」の長崎』と言われることが多いです。 なぜ、『「祈り」の長崎』と言われるのか、皆さん、ご存知ですか? 祈りの長崎 長崎は、日本で二カ所しかない、『原子爆弾』が投下された街でもあります。 この『原子爆弾』投下後、長崎市内のすべては焼け野原になりました。すべてが無くなりました。まるで地獄のような世界に一瞬で変わってしまいました。建物は崩壊し、ガラスは熱線で焼けとけ、人も一瞬で灰と化しました。さらに、生き残った人々も、放射線の後遺症により生きながらにして障害を抱え、じわじわと亡くなっていくというあまりにもむごい傷跡を残してしまうようになりました。 二度と同じことが起きないように、長崎では保育園・幼稚園ぐらいの頃から、平和について、命の尊厳について、原子爆弾について、徹底的に教育されるようになっています。 そして、毎年8月9日の11時2分には、長崎中でサイレンが鳴り響き、天皇陛下、首相、市長、市民の皆さまともども、原爆落下中心地にて追悼と冥福の祈りを捧げています。 平和祈念式典   なぜ「祈る」のか。   それは、もうこれ以上同じような被害を繰り返さないようにという「切なる願い」と、世界への「訴え」のため、 そして、原子爆弾投下により亡くなられた方々への「哀悼の意」を表するために、お祈りをしているのだとYoは考えています。   祈りの先は、願いを叶えてくださる「神様」 そして、亡くなられた方々への「霊魂」 のために、「お祈り」しています。   神様を信じていようが、神様を信じていまいが、クリスチャンであろうが、無かろうが、すべての人々が、自分の内なる感動と感覚、哀悼の切なる思いを胸に抱いて、神秘的な感覚で祈りが捧げられます。   私たち人間には、目に見えないものに向かって「祈る」という行為は、初めから備わっているように思えます。 そして、目には見えませんが、目に見えない「神様」という存在を感じているのではとYoは感じます。   鄭明析牧師はおっしゃいました。 [caption id="attachment_490" align="alignnone" width="300"]鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理 鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理[/caption] 『<祈り>は「神様から決裁を受けるためにすること」だ。』 (鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理)   私たちは、私たち一人一人の力では到底叶えられそうにないことでも、実現させるために、藁をもつかむ思いで「祈り」を捧げています。人智をはるかに超えた方が動いてくださるように。 すなわち、「神様」が願いを叶えてくださるように。   世界が永遠に幸せになるように「神様」が願いを叶えてくださるように。 今日も、真心を込めて「祈り」ます。  ]]>

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