摂理」の教会に通いながら生活をしているのか、「信仰告白」します。
[caption id="attachment_441" align="alignnone" width="244"] 信仰告白[/caption]
①「死」についての体験
実は、私は「死」について体験することが幼い時から数多く有りました。 「死」―誰もが避けて通れない命の終焉です。 皆さんは「死」について、考えたことはありますか? Yoは、小学生の時に時速60kmで走っている自動車に当たって跳ね飛ばされたことが有ります。 その時は、朝の登校中で家のすぐ近くの横断歩道を渡っているときでした。車が来るのはわかっていました。横断歩道だから大丈夫だろう、そして、「僕は足が速いから大丈夫だろう」と瞬間自己判断をして飛び出しました。その結果、事故に遭いました。 数メートルもの距離を跳ね飛ばされたものの、奇跡的に打撲と軽いかすり傷程度で助かりました。 まだ体が小さかったことと、幸いにも潰さずにからっていたランドセルがクッションとなり、地面に頭部が叩きつけられたことを免れたようでした。 事故を聞きつけた両親が、すぐに私のもとに駆けつけ、「大丈夫だったのか、痛いところはないのか、車の下に轢かれなくて良かった。」と胸をなでおろしていました。 しかし、私の体には外傷は少なかったものの、事故のショックで体の震えが止まりませんでした。そのまま救急車で病院に運ばれて、診察を受けました。そのあとの記憶は良く覚えていません。 いずれにしても、肉体が死ぬところから助かりました。もしも、ランドセルが無かったらどうなっていたでしょうか・・・。 また、こういうこともありました。 Yoが大学生の時、家族の夫婦ならびに親子関係が極度に良くない日々が続き、ある日、大喧嘩をしているのを見るに堪えずに、喧嘩を止めに入りました。その時に、私が父親を張り倒すことをしてしまいました。喧嘩は収まりました。自己防衛だとは分かりますが、どんな親であっても愛する親だという心が、私を責めました。家庭が崩壊していく様子に自分の精神が崩壊しそうでした。 「いったい、家族愛とはなんなのだろう・・・。」 また、自分自身、あまりにも激しい大学のゼミ生活で精神的に体調を崩し、自分の心が崩壊していくのを体験しました。 「私はなぜ生きているんだろう?」 「生きていることの意味が分からない。」 「いったい私は何をしているんだろう。」 と、目の前が真っ暗になり、何も見えなくなる日々が有りました。 この時、わたしは「死」を感じました。 「精神の死」を感じました。 これらのことは、私の「人生の問題」であり「愛の問題」でした。 人生20数年生きて、自分の力で解決できない壁にぶち当たっていました。 [caption id="attachment_436" align="alignnone" width="300"]
②「Bible」との出会い
わたしがこのような「人生の問題」を抱えながら、その問題を解く「カギ」を探して生活をしていた時、ある人に「Bible」を学んでみないかと勧められました。Yoは、そのときに、「Bible?よくわからないなぁ。でも、自分が知らないからと言って、拒否するのも何か合わないなぁ。自分で聞いて確かめて見て、判断してから考えてみるか。」と心の中で思いました。そうして、「Bible」を学び始めることになりました。摂理のバイブルスタディーでした。 実際、「Bible」「聖書」と言われて抵抗感がなかったでしょうか? 有りました。正直に、有りました。 でも、自分が中身をよく知らないのに、抵抗感があるのもおかしいな。 ひとまず、聞いてみようと思ったんです。 それで、聞いてみました。 聞いてみたら、どうだったでしょうか? わたしの心の中にあった人生のモヤモヤが、聞いていく度にスッキリと解かれていく感覚を感じました。 「Bible」にはこのような聖句が有ります。 『また、真理を知るであろう。そして真理は、あなた方に自由を得させるだろう。』 (新約聖書ヨハネによる福音書8章32節) まさに、バイブルスタディーを通して真理を学び、自分を縛り苦しめているすべての感覚は何なのか、段々と分かるようになってきました。 そして、バイブルスタディーを教えてくださる方々がとても優しくて、人格的な方ばかりでした。その方々の真理で磨かれている人間性に惹かれました。まるで、家族のような愛をもって、接してくださいました。私は、バイブルスタディーを聞くことと、教えてくださる方に会えるのが嬉しくて、お礼にと自らシュークリームを買って行ったりしていました^^ そして、バイブルスタディーを聞き続けながら、このバイブルスタディーが摂理(キリスト教福音宣教会)の鄭明析牧師を通してまとめられた聖書の内容であることを知り、また多くの方々と出会い、さらに自分の「愛の問題」を解決する糸口を見つけ出すようになりました。 [caption id="attachment_437" align="alignnone" width="300"]
③鄭明析牧師との出会いとバイブルスタディーの確信
わたしは、バイブルスタディーを学びながら、頭では理解することはしていましたが、実際に胸で感じるということがあまりできていなかったと思います。 実際、鄭明析牧師の故郷、月明洞を訪問させていただいたとき、「あぁ、このように美しくバランスのとれた場所があるんだなぁ」と、感嘆をもらしつつも、何もなかった故郷の山村を開発してこのような自然の中にある聖殿、『自然聖殿』と呼ばれる場所を造ったんだと私が聞いたとき、到底信じられませんでした。鄭明析牧師にも直接はまだお会いしていませんでした。 [caption id="attachment_438" align="alignnone" width="300"]
