摂理の農業人の途中下車ぶらり旅♪
今日は岩手県にやってきました(^^)/
秋田県に続き、岩手県出身のメンバーとも東京時代に一緒に摂理を走っていました!
彼も純粋なバスケットマンです!
大学1年生の時からサークルにも入らず、熱心に摂理を走っています!
「岩手県と言えば何を想像しますか?」
摂理の農業人はその岩手県のメンバーに聞かれた事があります!
農業人「岩手めんこいテレビ」
岩手県メンバー「なんでそんなローカルなテレビ局を知ってるのですか?」
・・・なんででしょう?
理由は分かりません(;^ω^)
まぁ、そんな話はさておいて・・・
岩手県と言えば、わんこそばですよね!!!
麺類の中でソバが一番好きな摂理の農業人としては、一度挑戦したいのです(*^-^*)
ソバの有名なのは、岩手県と長野県ですよね?
ソバの原料となる蕎麦の生産量が長野県は全国2位と高いので、有名なのはうなづけます(*^-^*)
ちなみに1位は北海道です!
さすがですね~♪
では、岩手県は・・・?
なんと全国10位です!
微妙な順位ですね(^^;)
なぜ生産量がそこまで高くないのに、ソバが特産品なのでしょうか?
Wikipediaより
↓
わんこそばの起源として、以下の2説が知られている。
1.およそ400年前の慶長時代、当時の南部家27代目当主、南部利直が江戸に向かう際に花巻城に 立ち寄り食事を所望したところ、恐る恐る出した物は椀に盛られた一口大のそばであった。お殿様に対して市民と同じ丼で差し上げる事は失礼と思い、山海の幸 と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに出したのであったが、利直公はこれを「うまい」と何度もお代わりをした。その後明治時代になり花巻市の蕎麦屋 「大畠家」が市民にもわんこそばを振る舞う様になり「お殿様の召上がったわんこそば」は市民の人気になった。昭和初期には一般家庭でも「わんこそば」が楽 しまれるようになった。戦後花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「斎藤そば屋」が名物料理を考案中、「大畠家」に訪れ器や給仕の方法や作り方などを教 わり名物わんこそばとして商品化した。盛岡でもわんこそばが評判となり、屋号を「斎藤そば屋」から「わんこや」(現在廃業)と改名し、「わんこそば」を商 標登録した。という花巻起源説。
2.かつてこの地方には、祭事などの際に地主が大勢の村人や客人にそばを振舞うという風習があった。しかし、100人以上にもなる相手にそばを供する 際、通常の作り方では釜が小さいために全ての人にそばが行き渡る前にのびてしまう。このため通常の分量のそばを小分けして振舞うことが行われるようになっ たとする盛岡起源説。
不思議ですねーーーー!
いつか挑戦してやる!!!
と変な決意をしつつ、摂理の農業人は宮城県仙台市に出発します(*^-^*)
]]>