イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。 マタイによる福音書15章13~14節 この聖句を聞いた瞬間、すぐにこちらを思い出しました。 https://www.youtube.com/watch?v=RWwi-7ALlOE イチローさんによる「盲人の手引きについて」です。 動画を見れば全てわかりますが、ブリューゲルという画家が「盲人の寓話」という作品を描きました。 これは、目の見えない盲人が他の盲人たちを教会へ導こうとしている絵画です。 しかし、率いているのが盲人ですから、穴に落っこちてしまい、目的地である教会へたどり着けなくなっています。 まさに誰についていくのかが大事だということを感じるしかない作品となっています。 この時代、盲人が盲人を手引きするというシチュエーションはほとんどないに等しいですが、 信仰の盲人についていく、または自分が信仰の盲人になってしまうといったことは十分にあり得ます。 だから、鄭明析先生はこのように教えてくださいました。
平素深く祈って、正しく信仰生活をして、目を開いていてこそ、時になって<神様の新しい歴史>が来たら、開いた目で分かって、「新しい時代」を受け入れます。 しかしそれぞれ「盲人になった信仰生活」をするから、いつも「見るべきもの」を見られず、「もらうべきもの」をもらえず、苦痛を受けます。 時が過ぎれば顕わになるから、その時間違いも認め、後悔もするけれども、すでに「時」も過ぎ、「自分の時代」も過ぎたからそのまま終わります。 8月13日主日の御言葉「歴史の記録:知らない盲人と新しい神様の歴史」 鄭明析牧師霊的に間違った道を歩んでしまわぬように、本当に正しい方向へと導いてくださる方について行かなければなりません。 そのためには、平素から祈り、霊の目を開いていることだと教えてくださいました。 普段の何気ない祈り。 この行いが運命を左右するのですから、小さな祈りと思わずに一つ一つ丁寧にお祈りしていくべきですね!!]]>
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