子供の成長って
特に第一子だと、
自分が通ってきた道とはいえ
自分には記憶がないから、
基準となるものがありません。
あるいは第二子以降でも
「上の子はこんなんじゃなかったのに」
なんて言ってるママさんも
よくいらっしゃいます。
育児書の通りには育たないって
よく言うけれど、
じゃあ、何を見れば?
人はどうして、
比べることで安心してしまうんでしょうね。
ちょっと成長が早かった、安心。
ちょっと成長が遅い、心配。
自分でも「バカだなぁ」って思うけれど、
そう、過ぎたら
「なんであんなに気にして比べたんだろ」
って思うけれど、
いつのまに刷り込まれているんでしょう。
先生が話してくださる御言葉を聴いたら、
こんな言葉がありました。
<単純>に考えるな。
似たり寄ったりのように見えても、
人はそれぞれ千差万別だ。
外見的にただ見るだけでは
「あの人の考え」が自分の考えと
それほど違わないように思えても、
いざ自分の自由意志どおりに行なうのを見たら、
<行なうこと>が違い、
<希望し追及すること>がまったく違います。
このように<考え>が違います。
<願うこと、希望すること、
追求すること>が違います。
つまり<個性>が違います。
<2016年3月20日 鄭明析牧師の主日の御言葉
『頭は主だ。あなたたちは各肢体だ。
引き上げの理想世界』より>
比べることができるようで、
人って本来は比べることはできないんですね。
一卵性双生児だとしても
同じではないとおっしゃいました。
そして、同じ御言葉の中で、
同じ兄弟でも、同じ家族でも、
同じ国で暮らしても、
各自「考えること、行なうこと、
行なう位置、する仕事」が違わなければ、
地球世界のすべての人間が存在することはできません。
みんな「同じこと」を考えて行ない、
みんな「同じ位置」で「同じ仕事」をしたら、
存在できません。
ともおっしゃっていました。
育児をしながら、
特に成長が遅いなと感じたりすると
焦ったり不安になったりしますが、
一人ひとりは違う個性体なんですね。
だから本来は不安がる必要も
焦る必要もないんですね。
私も「娘」という個性を
本当の意味で尊重しなければと
思いました。
そして…もし自分の存在価値に
悩む人がいらっしゃったら。
自分一人いてもいなくても、
同じように世界は巡るように見えたとしても、
神様から見たら、確実に
あなたという一人の存在がいるかいないか
というのはとても大きな問題だということを
どうか忘れないでください。
コメント
コメント一覧 (2件)
個性を尊重しながら、私も育児がんばります!
ひろしさん
コメントありがとうございます。
お仲間がいて嬉しいです。
私も頑張ります!