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自己肯定感を高める育児

娘と接していて
「すごいなぁ」と思うことの一つに、
娘の自己肯定感の高さがあります。

自己肯定感とは、
自分を肯定する心、
自分を価値ある存在として認め、
いいところも悪いところも全部受け入れ
自分として認められる心のことですね。

摂理の子どもたちのことを銀河と呼んでいますが、
娘に限らず、銀河は本当に自己肯定感が高いです。
自分のことが大好きだし、
基本自分に対して肯定的です。
今のところ「自己肯定感が低い銀河」というのを
私は聞いたことがありません。

 

子育てする親御さんとか
教育機関の基本方針とかで
よく気にしたり目にしたりするのが
自己肯定感の高い子どもを育てることです。

自己肯定感が高いと、
自分にいい意味で自信を持って、
失敗にはくよくよしないし、
簡単には諦めないし、
新たなことにも挑戦することができます。
将来に渡って生き生きと人生を送れるんですね。

逆に自己肯定感が低いと、
・何をするにも自分に自信がない
・必要以上に他人の目を気にし、
人に認められることを求める
・誉め言葉を素直に受け取れない
・失敗に弱いし、叱られることに弱い
・チャレンジする前に諦める
・自分を責めがち
などなど
精神面で苦労する人生になります。

…うわぁ。。。
書いてて嫌になりますorz
でも私は見事にこちら側。

逆にパパは自己肯定感が高いです。
肯定的な発言ばかりで、
結婚した当時は真正面から真逆のこと言ってました。
今もまだありますが(–;
「よくここまでいろいろ前向きに考えられるよな、演技?
それとも慰めるためにでもうわべだけで言ってるの?」
なんてよく考えてましたが(性格悪っ!)、
彼は裏表がない人でした^^;

根本的な自信があるというのは
心底羨ましいです。
私の自己肯定感の低さの原因は、
おそらく母親の過干渉ですかね…。
長くなるので割愛しますが、
同級生の誰と比べても子離れできてない親でした。

 

さて、娘が褒められたとき、
私がやってしまいがちなのが「謙遜」。
謙遜って日本では美徳ですが、
言葉の裏を考えられず
そのまま受け取ってしまう幼少期の子どもにとっては、
いえ、幼少期の私にとっては、
心に向けられた刃物そのものでした。

せっかく褒められたけれど、
お母さんはそうじゃないって言うし。
他人から褒めてもらえたのは嬉しいのに、
一番認めてほしかったお母さんは
私には満足してないんだな。。。

…という傷があるなーと
今ブログを書きながら自分と向き合っています。

 

イタタタタ

 

もう30も半ばなのに
傷って結構残るものなんですねぇ。
(とはいえ、だから母を恨んでるとかではないです。
母にも同情すべき理由はあるし、
まぁ「もうちょっとうまくやってくれてたら」
とは思いますけどね)

 

私も娘が褒められたとき
「いやいや、そんなことないよ」と謙遜したり、
「でもこんなことができなくって」
と別なことを否定したり、
自分がされて嫌だったことを
無意識に口に発していることがあります。
怖いです。

私と娘の人格は違うので、
娘がどう聞いているかはわからないのですが、
でも幼少期の私と同じように
つらく受け取る可能性もあるのです。
本当に気を付けなければと思っています。

今のところ、
聖三位からの愛や先生の御言葉、
その御言葉で育ったパパや教会の人たちからの愛で
娘はうらやましいほどに自己肯定感が高いです。
自分をかわいいと信じて疑ってないし
自分のことも好きだと迷いなく言います。

 

先生も自己肯定感が高い方ですが、
それは元からではなかったそうです。

最初はド田舎(失礼、でもホント)で
小学校卒で学歴もなく、
自分の容姿も気に入らず、
家も超貧乏で
「生きるために食べるのか、
食べるために生きてるのか」
…なんて考える生活だったそうですから、
「自信を持てなんて、一体どこに」
という感じで
地を這う自己肯定感の低さでした。

でも、御言葉の実践を通して
先生は自己肯定感を回復していきました。
どう直したかというと、

まず、「神様の愛」を悟ったことです。

先生はご自身の考えを捨て、
ひたすら「神様がどう思われるか」を
考えの主軸に置きました。
「人間の考えと神様の考えは違う」
とは、先生がよくおっしゃることですが、
先生が行なってきた中から出ている言葉です。

たとえ自分が自分を否定的に考えていたとしても、
神様は大きな愛を持って、
できる自分でもできない自分でも受け入れてくださる。
まず、それを深く悟られました。
自分の否定的な考え方の癖を一つ一つなくし、
肯定的な自分を作り上げていきました。

そして、できない、不可能だと思うことも
肯定的に考えながら、
それ以上の死ぬほどの努力をして
できる自信に変えていかれました。

 

偉大な実践だなと思いますが、
摂理は「だから先生は違う、すごいだろう」ではなく、
「私がこうできたのだから、あなたもできるよ」
と励まして、引き上げてもらえる場所です。
先生を信仰しているのではなく、
絶対神を信仰しているからですね。
「あなたもできるよ、同じ人間なのだから」。

私も子育てを通して御言葉を実践し、
自分が求めてきた自分の自己肯定感も
一緒に高めて育てていきたいです。

 

 

「娘の、こんな姿があったんですよー!
#子どもあるある#かわいい」
なんてくらいのノリで
軽く書こうと思っていたブログ内容が、
なんか書きだしたら予想だにせず
少々重く(?)なってしまいました^^;

…てへ☆

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