信仰とは確実なものだがまだ起きていない事柄を信じることのため、実際に見たことがない状態、神様を感じたことがない状態で悪評を見てしまったら、悪評を信じてしまう気持ちも分かります。 最初にインプットされた情報のインパクトは大きいですから、早い段階で神様を感じてみてほしいと切に願っております。 だから、最初に悪評記事を見ないようにしてあげようと、御言葉を学び始めたような人にはこのように話すケースをよく見かけます。 「実際、摂理のことを悪く言う人たちも中にはいます。悪評を見ると自分の霊がひどく傷つくので見ないようにしましょうね。」 このようにして、悪評を見ないように釘を打っておく光景は今までも何度も見てきました。 では、この助言を素直に聞くかと言われれば、そんなこともなさそうです。 この言葉通り、悪評を見ない人もたくさんいますが、もっともらしい様々な理由をつけて見てしまう人も残念ながら多くいるのが現状… 「見るな」と言われても見てしまうのはなぜなのか。 どうやらその要因は、人間の心理的な効果によるものが大きく関わっているのかもしれません。 その名も「カリギュラ効果」
目次
カリギュラ効果とは

生活の中でよく見かけるカリギュラ効果

聖書におけるカリギュラ効果

参照元:失楽園-Wikipedia-
聖書でもカリギュラ効果が引き起こされたシーンがあります。
アダムとエバのシーンです。
創世記2章15~17節 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」アダムは神様に「善悪を知る木からは取って食べてはならない」と制限をかけられました。 自由を与えるための法を与えたのですが、アダムはこの約束を守ることができませんでした。 結局、アダムとエバは自由に生きることができなくなりました。 これもある一種のカリギュラ効果によって、神様の法を破ってしまった一例なのではないでしょうか。 禁止されたことで、逆に気になってやりたくなってしまう。 そんな思いに駆られて法を破ってしまうこの過程は、「悪評を見るな」と言われているにも関わらず、見てしまう一連の流れと似ていると思うのです。 「なにやってんだよー、アダムはー。」 と聖書を読んでいると、思う方もいるとは思いますが、同じようなことが起こりうるということを認識しておいて気を付けていかなければなりません。
カリギュラ効果を引き起こさない対策はあるのか

今日のひとこと 仮にカリギュラ効果を利用して逆に「絶対に見ろよ!」と制限をかけると、たぶん見るから、教える側は本当に難しい。。。 宿題しろ!と言った時はしなくなるからといって、逆に宿題するな!と言った時に本当にしなくなることと似ている。]]>
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