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摂理に来て家族や親戚との関係が変わった。

 

私が摂理に来て、大きく変わったことの一つが

「家族や親戚との関係を取り戻せたこと」です。

 

私が、小学生までは親の実家に年末年始やお盆は一緒に帰っていましたが、

中学生になった頃から親の実家に行く機会が減りました。

 

親戚の中で、いとことも話すことができず、いつも親の背中に隠れて、早く自分の家に帰りたいなーとか思っていました。

(ちょっといとこと歳が離れていたのもあるかもしれません)

 

 

大学生になって、東京に一人暮らしするようになってからは、あれこれ理由をつけて実家に帰ることも減り、親の実家へはもっと行く機会はなくなりました。

自分と関係の近い人と関わるのがなぜか怖くなってしまっていました。

おかしな話です。

 

しかし、当時はそれでいいと思っていました。

 

 

大学を卒業し、社会人になって介護の仕事をするようになりました。

『高齢者の介護をしながら、自分のおじいちゃんやおばあちゃんには挨拶にもいかないのか?』

とふと強く考えるようになって、2年前の敬老の日、

親の実家へ、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きました。

 

 

それがおじいちゃんと会った最後の日になりました。

 

その次の年にも敬老の日に行こうと考えていたら、その1ヶ月前に亡くなったと親から電話がありました。ショックと同時に、前の年に会いに行かなきゃ!と衝動にかられて会いに行って本当によかったと思いました。それはまぎれもく神様が与えてくださった機会だったなと感じています。

 

そうして、おじいちゃんのお葬式で帰省。

お葬式では10年以上ぶりに会う親戚もいたり、いとこはほとんど皆んな子どもが生まれていて、自分だけ浦島太郎状態でした。

 

皆んなに言われました。

「ふみちゃん、久しぶりねぇ!」「いつの間にかお父さんみたいになって」

「最後に会った時はあんなに幼かったのにねー」

 

どんな顔をして親戚に挨拶すればよいのか行くまですごく緊張してました。

でも、いざ会ってみると、そんな心配をする必要もなくて、何年も親戚の集まりに顔を出さなかった自分を暖かく迎えてくれました。

 

その時、自分はなんで今までこんな素晴らしい家族がいるのに、関わりを持とうとしなかったのだろう?と思いました。この時は家族の温かさや愛情に気づくことができたからそう思えたのだと思いますが。

 

それから一年、初盆を迎えました。

今日は自然にいとこやおじさんたちとも話ができ、いとこの赤ちゃんともたくさん遊んで来ました。(おむつ交換もしましたw)

 

幸せなひとときでした。楽しかった。本当にその一言につきます。

普通のことなんです。

でも私にとってはこれが普通ではなかったのです。

 

愛すべき家族たちとの関わりが自分にとっては一番避けたい時間だったから、それが変わったのは本当に大きな変化でした。

 

 

 

摂理に出会って、鄭明析総裁に出会って、神様の愛について教えてもらえたから、

自分を愛することができるようになり、家族との関係も取り戻すことができました。

神様、感謝します(╹◡╹)

摂理に出会わず、一生、家族との関係が距離を置いたもので終わっていたらそれほど虚しいことはないなと思います。

これからも大切な人との繋がりを大切にし、愛していきたいです^ ^

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