私は最近
「主よ、助けてください。布団から出なきゃいけないけど、動くための力が出ません。もらってばかりでは申し訳ないので、主を喜ばせるように主の力になるような行いをしたいです。力を出せるようにしてください。主よ~主よ~。」
と心の中で嘆いていました。
以前、御言葉で
「力」は〈自分〉の中にある
とおっしゃっていました。
私の中に力があるはずなのだけど、
なかなか発揮できないでいる自分にちょっとお手上げ状態でした。
私は、自分が動けない時は
神様の愛を体感することがなかなか難しいです。
神様はいつも助けてくださっているけど
それもなかなか感じられません。
その虚しさと辛さを体感しながら
ああ、私はいつも〈愛〉を感じていたいのだなと改めて気づきました。
数日もがいていると主が御言葉で答えてくださいました。
主は
〈自分〉が〈御言葉〉を聞いて行うこと、
それが、「三位一体が続けて助けてあげること」だ
とおっしゃいました。
私が行うと
私はまるで
わたし独りかのように考え体感していたけれど
そもそも私の考えでは動けません笑
と、なると私が動いていること自体が
私以外の何か、誰か、つまり神様が働きかけていることなのだなあ
と改めて思いました。
見た目が自分1人だから独り
という「考え」が、勘違いだったんですね!
私の勘違い
2016.09.14
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