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宗教・信仰をもって生きる。そこに被害があるのか? ~おおさかの摂理人のつぶやき~

信仰をもって生きる。

日本人のほとんどが無宗教だと考えていらっしゃる方がいると思います。

一方で、イベントが好きな民族であるような気がします。

正月、初詣・たこ揚げ・羽子板・お年玉、七草がゆ、節分・恵方巻き、バレンタインデー、ひな祭り、

ホワイトデー、エイプリルフール。。。

3か月を過ぎようとするだけで、これだけあります。

1年をとおして、どれだけあるのでしょうか?

初詣する時は祈るでしょうし、七草がゆや恵方巻きでは無病息災を願いますし、

バレンタインデーでは自分の愛が伝わるように願います。

信仰とは一体何なんでしょうか?

それなのに、信仰をもって生きると世の中では変な目で見る人がいます。

「まぁ、信じる、信じないは個人の自由だよね」みたいな感じで・・・

ある意味、節操がないですよね。

信じていないのに祈る願いがかなうのでしょうか?

みなさんが親を、友だちを頼るのは何でしょうか?

助けてくれると信じているからですよね?

信じてもいない存在に頼るなら、その存在者はどう思うのでしょうか?

形だけ、表面的には慕っている風を装っているだけの人のような感じですよね。

だからこそ、自分自身の友達が急に信仰をもって生きると聞いたのでしたら・・・

心配になることは当然ですよね。

また、そこがカルトとか怪しいと言われているところだったら心配になるのは当然です。

だからこそ、慎重に考えてほしいです。

みなさん自身も、自分を見てもらう時には自分という個人を尊重してほしいと考えていませんか?

冷静になって、そこに実際に被害があるのか?どうして、信じるようになったのか?

どの様な信仰生活を送っているのか?

そこで生きている人が被害にあっているのか?あっていないのか?

その事をみなさんには知って欲しいです。

信じずに人生を生きても、大変なこともあるし、つらいこともあります。

そんな時は気分が滅入って、力が入らない時もあるのではないですか?

でも、それでも、がんばって、乗り越えていこうと生きているではないですか?

それは誰でも同じですよね。

キリスト教福音宣教会(摂理)だとしても同じです。

信じて生きることは感謝すべき時もあれば、うまくできなくて、自分自身を攻める時もあります。

つめたい季節があっても、暖かい季節もあります。

そうですよね。

真実はどこにあるのか?

キリスト教福音宣教会(摂理)の中にそれぞれが経験したことを掲載したサイトがあります。

キリスト教福音宣教会(摂理)信仰の証

<神様の新しい歴史>に来て、

主と共に生きたら、悟って感謝し、

三位と主を愛してたくさん享受しなさい。

うっとうしい、つらいといって離れたら、

冷たい風ばかりびゅうびゅう吹いてくる。

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