旧約聖書の中で「信仰の父」として大きな人物であるアブラハム。
聖書にこのような記述がある。
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このように、アブラハムは
「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」
のである。
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、
あらかじめ知って、アブラハムに、
「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」
との良い知らせを、予告したのである。
このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
<ガラテヤ人への手紙3章6~9節>
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ここに出てくる「異邦人」とは??
唯一神=エホバ=神様
を信じていない人の事である。
アブラハムの家系は「偶像」を作る家系だったから、父親ももちろん「唯一神=エホバ=神様」を信じていなかった。
(信じていたら偶像を作らないよね~)
そんな環境の中で生まれたアブラハム。
そんな彼が神様の存を知り、
「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」
のである。また、
神が異邦人を信仰によって義とされること
と聖書に書いてあるように、
「唯一神を信じていない異邦の人も、信仰によって救われる」
のである。
神様は「信仰」をどのようにみられるのか?
アブラハムの行いを見たら分かる。
アブラハムは絶対に神様を信じたことで神様に認められた人だ。
自分自身の考えよりも、「神様の考え」を最優先にして行った。
神様がアブラハムに、
「あなたの唯一の子どもイサクを捧げなさい。」
と仰った時も、とても愛している子どもで、自分の考えでは到底できないとしても、その考えを置いて子どもを捧げようとした人だ。
@catholicuwajima
神様は、ひたすら神様の言葉を信じ、自分の考えを捨てて行うアブラハムの姿をご覧になって、
「あぁ、この子は私の考えを何よりも大切にして行うのだな。」
と、その「信仰」を認められたのだ。
(この後、神様はイサクを殺そうとしたアブラハムに「あなたの信仰は分かった。もう充分である。」と仰り、イサクを捧げさせるのをやめさせられる。)
どうしてアブラハムはそこまで出来たのだろうか??
神様は「考えの次元」が高い事をはっきり分かっていたし、
「自分の考える良いもの」よりも「もっと優った良いものを神様が下さる事」を分かっていたからできたのだ。
人間の考えには限界がある。
それを超える為には、人間よりも高い次元の「神様の考え」を受けないといけない。
そのために神様が送って下さったのが「キリスト=救い主」だ。
@jintano
キリストに会ってこそ、私たちは人間の限界を超えて、真の意味で「自由」を得る。
聖書にはこう書いてある。
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あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
<ガラテヤ人への手紙5章13~25節より抜粋>
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たとえ日本のようにキリストを信じる人が国民の1%にも満たない民族だったとしても、キリストに出会い、その御言葉を聞いて神様を正しく信じ、「御霊の実」である愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制を行いながら生きるならば、聖書に出てきたアブラハムのように「信仰によって義とされ、真の意味での自由を得る」人生になるだろう。
この聖句は、異邦の地のような日本民族にとっても、希望的な聖句だなぁと思ったまっちゃんでした★
生活の中でもっと9つの「御霊の実」、結びたいッス!ヽ(*´∀`)ノ
自分の体質を悪く作っておいたら、その運命が、自分が好きな悪い世界に傾いて生きるようになる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net
<考え>によって「一日の運命、一生の運命、霊の永遠な運命」が左右される。
だから<考えの絶対者神様>を頼って<神様の考え>どおりに生きなさい。
そうしたら絶対失敗しないで、地獄に行かず、永遠な天国に行く。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net
<天国>に行くか<地獄>に行くかは、
「自分の考えと行ない」で左右される。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net