自分は過去の記憶があまりない。
高校三年間通ったけれど、どう考えても3年分の記憶はない。断片的にパラパラ記憶があるだけだ。
他の人と比較することはできないが、小中高と総合して考えてみても、恐らくびっくりするぐらい無い。
当時大学生になろうとしていた自分は、
それがとてももったいないように思えて、
また自分が歩んできた道が消えてしまうように思えた。
それで大学に入学した当日から「日記」をつけるようになった。
継続力は割とある方なので、大学1年~3年生まで続けた。
3年間続けたので、続けていくことはできたが、一度「意図的に」日記をつけるのをやめた。
そして再び2~3年後に日記をつけるようになった。
二回目に始めて以来、今まで5年間ずっと続けている。
1回目に日記をつけ始めた理由と
2回目に日記をつけ始めた理由は、全然違う。
御言葉を聞いて変わったこと
自分は大学2年の終わり、3年の頭に御言葉に出会った。
そのため、御言葉を聞く前の様子と、聞いた後の様子が日記に残っている。
いつかパラパラと日記を見返していた時、
御言葉を聞く前と聞いた後の日記に、違いがあり過ぎて面白かった。( ´艸`)
正直、同じ人間が書いているとは思えない。笑
もちろん口調や書き方などは同じだが、書いてある内容、文字のきれいさなど、全然違う。
その中でも一番違うなと感じたのは、
一言で言うと<感謝>だった。
御言葉を聞く前と、聞いた後で、
<感謝>の内容と数が圧倒的に違う。Σ(・□・;)
「神様、感謝します!!」とか
「こういうことがあって感謝だ」とか
「誰々がこうしてくれて感謝だ」など
<感謝する内容>がとても増えていることに気が付いた。
いや、気が付くというほど注意してみなくても、一目瞭然だった。
実際にその日記を全部見て頂ければ一目瞭然に分かるだろうが、
それもできないのが非常に残念。(+_+)
<感謝>が増えると同時に、逆になくなっていたのが<否定的な言葉>だった。
もともと否定的な言葉はあまり使わないタイプではあったが、
どちらかというと自虐的な、皮肉的な言葉はパラパラ見受けられた。
しかしそれも御言葉を聞いた後にはパッタリなくなっていた。
御言葉を聞いて、
自分がどれだけ愛されているのか、
自分がどれだけ貴重な時に生きているのか、
自分がどれだけ幸せなのか、
自分がどれだけ助けられてきたのか、
を悟るようになったからだった。
これを本当にわかったら、
<感謝>が増えるしかないのではないだろうか。
日記を一度やめた理由
3年間続けた日記を一度やめた理由は二つある。
一つ、御言葉を聞いて、たくさん活動するようになり、たくさん経緯ができて、毎日書ききれないほどになったから。
もともとそんなにアクティブではなかったタイプの人間が、御言葉を聞いてから、すごくアクティブに活動するようになった。
すると天との経緯もたくさん生まれて、日記に書くのが大変なくらいになった。
基本的に、一日にB5のノート1枚を書くようにしていたが、B5ノート1枚には収まらなくなってしまった。
そこに時間を投資するよりは、もっと自分に投資した方がよいのではないかと思った。
二つ、御言葉を聞いて「過去は無くならない」ということが分かったから。
自分の人生の意味が分かったから、虚しさがなくなったから。
もともと日記を始めた理由が解決されたから、ということだった。
今日記をつけているが、それはまた少し違う意味あいがある。
いずれにしても、日記を通して
「ああ、本当に鄭明析先生が御言葉を通して、自分を変化させて下さったんだな」
と感じる他なかったし、
先生に対して感謝しかなかった。
別人のように喜んで書かれている日記を見ると、
書いた本人が見ても、ほほえましく、また若干恥ずかしい。笑
人生の中に<感謝>が満ちてこそ、幸せな人生だと言えるだろう。
御言葉で変化させて下さったことに、心より感謝して、
このブログもまた、
<感謝>の満ちるブログにしていきたい。
コメント
コメント一覧 (2件)
記録に残すって大事だなあとおもいました(**)
私は元々、日記を書いて3日で止まるという あるあるな人だったので。
いつしかその日記を見せてくださいww
昔好きだった言葉に「記録は記憶にまさる」っていうがあります。
お見せしたいのは山々ですが。w