みんなにはそれぞれ、居場所はありますか?
誰しも、帰るべき家があり、戻るべき場所がありますよね。
そして、みんな、誰かに自分という存在を受け入れてほしいのではないでしょうか?
寂しいと思う人はいますか?
その人は誰かを必要としていますよね。自分を見てくれるい人を。
名誉を得たいという人は?
人に認められたいのではないでしょうか?名誉の基準は人が決めることですよね。
一人が良いという人はどうなんでしょうか?
その人は人との付き合いに疲れているのか?人に絶望したのか?なんでしょうか?
それが一時的なものなのか?ずっとずっと、続くものなのか?どっちなのでしょうか?
みなさん。
僕でも一つだけわかっていることがあります。
神様、聖霊さま、御子を愛して、御言葉に従い生きる人には・・・
主が定めてくださった場所があります。
でも、誰もが同じ席に座れるわけではありません。
(ただ、世の中の様に順番があるわけではなく、
それぞれの生の中で、普通の場所やより良い場所があるのです。)
世の中が名誉やお金等で判断されるように、
神様は、その人がどの様な人かによって、判断します。
神様、聖霊さま、御子を愛して、新婦の生を生きているのか?
その行ないの次元が左右します。
神様の世界には誰しも居場所があり、それぞれの行いに応じた席が与えられるのです。
みなさんはどこに座りたいですか?
明日は主日です。
みなさんはどんな一日を過ごされる予定でしょうか?
良い一日を!
同じ飛行機に乗っていても
「一等席」があり、「一般席」があるように、
どこに行っても<自分の行ないの次元>によって位置が変わる。
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