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摂理の礼拝 農業人の間違っていた宗教観

霊、肉共に・・・
最年長と言っても30代半ばですよ(^^;)
摂理は若者が多いのです♪
昨年、韓国の教会の方とお話しした時に、「観」が大切だと話して頂きました!
神様観、宗教観、お祈りの観、先生観、時代観、御言葉観・・・
それらが自分なりになってはいけないと・・・
本当にアーメンです!!!
日々、自分なりにならない様に祈っています!
摂理の農業人は元々聖書の「せ」の字も知らなかった人間です(;^ω^)
日本人ならではの宗教観を持っていたので、御言葉を学んでいた大学生時代の宗教観はひどいものだったと思います(;´Д`)
初めて礼拝に参加したのは、2001年12月16日!
実はもうすぐデビュー後、満13年を迎えます(*´▽`*)
もちろん、今より宗教観もなかった頃です!
礼拝会場に到着し、祈り、礼拝を捧げましたが、「あぁ、何かまぶしいな。これが光の世界なのかな・・・」
今思うと壇上の裏の直射日光があたっていたのが要因だったと(^^;)
摂理の御言葉はもっと実践的、現実に大きくリンクし、実存的な御言葉です!
しかし、当時の摂理の農業人は観念的にしか考えていませんでした・・・
恥ずかしい話です(;´・ω・)
満13年を迎えるにあたり、2014年最後を締めくくるにあたり、摂理の農業人が思う事です・・・
自分なり、自分式を完全に捨てて、「御子式」「主式」で生きていきます(*^-^*)
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