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摂理の洪水の裁き 稲刈り後の臼引き

先週は稲刈りで3連休を過ごした摂理の農業人です(;^ω^)
平日の昼は仕事で家にいないので、夜しか家族との時間がありません(当たり前ですが・・・)
息子とお風呂に入った時に、「明日は幼稚園お休みだよ。お父ちゃんもお仕事お休みだよね?一緒にいようね」と言ってくれました(^◇^)
「一緒にいたい!でも、土日はまた実家で農作業が・・・」
心で嘆きの声をぐっとこらえました(;´Д`)
その数時間後に息子が眠くてぐずってきました。
「お父ちゃん嫌だ!お母ちゃんがいい!」
・・・どっちやねん!!!
と、言いたいところですが子供の言う事なので(^^;)
と言う事で先週に続き、今週も摂理の農業人は実家に農作業に行きます!
稲刈りはこの前終わりました!
今週は臼引きです!
臼引きってなに?
意外と知られていない臼引き・・・
最近は臼引きを自分たちでやる農家も減っていますからね(^^;)
臼引きとは・・・
  「実のついた稲=稲穂から「実」だけをとる。これを「稲こき」という。標準語では「脱穀」である。
  脱穀された稲の「実」のことを「
籾=もみ」という。
  この「籾=もみ」から一番外の「殻」を取り去るのが「
臼挽き」である。
  これが「
玄米」になる。」
その臼引き作業に行ってきます!

鄭明析牧師が農業を通じて多くの悟りと天の言語を受けられたように、いっぱい悟ってきます(^^)/

籾と玄米がはっきりとわけされた様に、自分の中にある善と悪をはっきりとわけたいです!!!
御言葉の宝箱!
摂理のコミュニティサイト、マンデーからです♪
[鄭明析牧師による夜明けの箴言から] 蒔くこと、育てること、刈り取ることだ。

 

『<春>には種を蒔くこと、<夏>には育てること、<秋>には刈り取ることだ。 
蒔いて育てたとおりに刈り取らなければ無駄な苦労だ。 
信仰の世界においても、蒔くこと、育てること、刈り取ることだ。
いくら蒔いて育て苦労しても、刈り取ってこそ「自分のもの」になる。   
蒔いたとおりに刈り取ってこそ、問題が解決する。 
願いが成就する。希望が成就する。』


 
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