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摂理の比喩論 良い柿の木と豆柿の接ぎ木

その中で良い柿の木と豆柿の接ぎ木は有名な話です(*^-^*)
鄭明析牧師が明け方の箴言で『これと同じく、こうだ!』と比喩をといて下さりました!!!

↑良い柿の木です♪


豆柿です!

神様の真実な歴史と主人を分かって、正しい歴史についていきたいです♪
 

『「時代に遣わされた人」と一体にならずに<新しい時代の御言葉>だけを盗ん で行って、伝え、行なうことは、よい柿の木の皮を剥いで持って行って、まめ柿の木に服を着せるように貼り付けるようなものなので、「よい柿」は実らない。 まめ柿の木によい柿の木を接ぎ木するまでは「まめ柿」が実るだけだ。



『「時代に遣わされた人」を信じないで「摂理の御言葉」を持って行って、教え、行なってもやはり「まめ柿の実」だ。「時代に遣わされた人」を信じて従い、 「新しい時代の摂理史の御言葉」を行なってこそ、まめ柿の木によい柿の木を接ぎ木したことになって、「救いと引き上げのよい柿」が実る。』
 




『ある人がまめ柿の木によい柿の木を接ぎ木して「よい柿」がなるのを見て、まめ柿によい柿の木を接ぎ木することは嫌って、「よい柿」を得ることだけを願った。


それで<接ぎ木をする原理>を学んで行って、「自分の木」に「自分の主人の木」を接ぎ木して、「よい柿」が実ることを希望して、3年間育て、手入れをした。


そのあと3年経って「よい柿」が実ると思っていたのに、「まめ柿」が実った。これを見て「変だな。よい柿の木を接ぎ木するように同じ方法でやったのに、どうしてまめ柿が実ったのだろう?」と思った。


<接ぎ木する原理>は同じだったが、「よい柿の木」を接ぎ木したのではなく、自分の主人の木である「まめ柿」を接ぎ木したので、接ぎ木しても「まめ柿」が実ったのだ。



『<接ぎ木する原理>は「新しい歴史の御言葉」だ。<よい柿の木>は「時代に遣わされた人」だ。<接ぎ木する原理>だけをもってでは、「よい柿」が実らない。<よい柿の木>と接ぎ木してこそ「よい柿」が実る。』



『<よい柿>の歴史は「時代に神様が遣わした人一人」から起こる。神様も聖霊様も御子も「その肉」を「よい柿の木」に作って、その人に「時代の御言葉」を与え、<よい柿の歴史>、<まことの真理の歴史>を成すようにさせた。


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