いつかは世界一周してみたいo(^_^)oMUGIです。
世界には色んな素敵な場所があり、
息を飲むほどの絶景が数多くあるんだろうなと思います\(^o^)/
*ここから青臭い文章で大変恐縮です。
好きでない方は読み飛ばしてください*
しかし、いくら素晴らしい景色や背景が広がっていても、
自分の心が貧しければ素晴らしさを享受できないんだろうな(⌒-⌒; )とも思います。
いくら目の前に天国が広がっても、
いくら目の前に最高に愛する人が立っていても、
無関心であれば何も感じられず
過ぎ去ってしまうんだろうなと思います。
かつては私自身そうだった(ーー;)と思います。
神様に導かれたお陰で、いまは
目では見ることのできない天国を望み、
目では見ることのできない神様を感じ、
目では見ることのできない、
かけがえのない愛を感じていますo(^_^)o
しかしこれら信仰の恵みは
ある程度学べば誰でも感じられるし、受けられます。
今週の摂理の説教で、自分の責任について話がありました。
親が食事を作ることはできるけれど、
食べるのは代わりにしてあげられないと、
救いにおいて自分が果たすべき責任があると教えてもらいました。
天国に行くためにはより神様に近づく努力が必要ですε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
その努力をしようとしますが、
責任を果たそうとしても、自分を直してないままでは
大根を包丁で切るべきであって、手では切れないのと同じです。
まず自分を直し作る必要があります。
そのためには「学ばなければ」なりません。
よく学んで自分一人で有能にできれば、
それこそ個人の英雄です。
ダビデも、モーセも、ヨシュアも、
聖書の人物たちは個人の英雄でした。
私も学ばなければどこに行っても使えません。
摂理の鄭明析先生は「一寸知っている人が先生だ」とおっしゃり、
いつも自分より若い人からも学ぶ姿勢を見せてくださいました。
そのような姿をみて、私ももっと明日から謙虚に学んでいこうと思い直しています。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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