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摂理を脱会した人たちへ

「摂理に戻りたい」と思っている方へ 家庭局ママYulanさんが書いてくださった記事です♪ ↓ 人は失敗したり、落胆したり、間違いをおかすと 隠れたくなり、逃げ出したくなります。 神様の前で罪をおかしたら 神様から遠ざかろうとします。 しかしそれは人間の考えです! 神様は全知全能でいらっしゃるから どこに隠れることができるでしょうか。 神様の懐が最高の隠れ場所です! 詩編119編114節 あなたはわが隠れ場、わが盾です。 わたしはみ言葉によって望みをいだきます。 もしも、摂理に戻りたいけど人に何て思われるだろうか・・・ とか、一度出ていったのに、許してもらえるだろうか・・・ と考えて悩んでいる人がいるならば 鄭明析先生の、この詩を読んでみてください。 << 人間の考え >> ああ、 人間たちは罪を犯すと 神様を裏切り その裁きが怖くて 人生を完全に諦め 逃げて見えなくなるのだな ああ、 神様は裁きより 先に悔い改めと赦(ゆる)しを考えて 探しているのに 迷う心があるなら、必ず連絡してみてください。 そうしたら神様が導いてくださるでしょう☆

摂理を出て行った人

僕自身は、摂理はとてもいいところだと思います。 きっと死ぬまで摂理の教会に通い続けると思います。 摂理はまだ30数年なので、将来どうなるのかはわかりませんが天   僕が、教会に通い始めて、5年ほど経ちますが、中には教会に来るようになっても、何回か来て来なくなった人もいます。 1年や2年経って来なくなった人もいます。 驚くかもしれませんが、僕より先に通っていた人で来なくなった人もいます。 どうして、来なくなったのでしょうか? 理由は様々あります。 忙しくて仕事やプライベートが最優先になってしまった人。 御言葉を聞かなくてもいいと感じた人。 教会の雰囲気があわなかった人。 急に連絡が途切れた人もいます。 特に社会人になってから来なくなる人が多いです。 やはり、仕事が忙しくなり、教会とかそれどころじゃなくなるのではないかと、社会人の僕も思います。 毎週日曜は教会に行かないといけないし、平日もイベントがあるし、プライベートの時間ないじゃん! そういう人は、摂理があいません^^; 逆に、そう忙しくても、御言葉を聞かないと毎日過ごせない! そういう人は、仕事が忙しかろうが、教会に来るのだと思います。 もちろん、教会があるから仕事を休むのは別の話です… それは会社と要相談して決めていただきたいと思います… 摂理を出ていった人の本音を直接聞いたことはありません。 でも、今でも連絡をとったり、会ったりしている人はいます。 彼らが口を揃えて言うことは、摂理の人は皆いい人ということでした。 つまり、教会の人が嫌で行かなくなったという人はあまりいないんだなと思います。     最近は、摂理を知らない人たちも増えているようです。 良いことなのか悪いことなのかわかりませんが、このブログを読んで頂き、摂理がどういうところなのかしてもらえたら嬉しいです(゚∀゚)

鄭明析先生について思うこと。

おはようございます、satoです。 私は摂理に来る前から「カルト宗教」や「悪徳商法」のことをめっちゃ気にしながら、御言葉を聞いていました。 御言葉を聞いているときに講師の方に「ここはカルトに騙されていませんか?」(意訳:ここはカルト団体ですか?)と聞いたこともありました。 そうして、摂理の礼拝に出て間もなく、ネットでここが摂理と言われているところだと知りました。 その時、ネットには摂理と鄭明析先生について様々なことが書かれていました。 今でこそ摂理の人が書いたブログが結構増えましたが、当時はまだそういうものもあまりなく、あるのはたいてい摂理にいない人、もしくは摂理にいたけど出ていった人(俗に言う脱会した人)の話ばかりでした。 摂理に関して、日本では10年前くらいにテレビで報道されたらしいですが、私はそういう情報は一切見ていませんでした。ニュースがつまらなかったので。 なので、摂理という団体があるということを知ったのはこれが初めてでした。もちろん、鄭明析先生のことも。 人によっては「御言葉を教えてくれた牧師」として鄭明析先生のことを紹介してもらえるのですが、私の場合そういう話をしてもらった記憶がありませんでした。 何らかの事情でそういう話ができなかったのか、はたまたしてもらったけど私が聞いておらず、完全に頭の中になかったか…は分かりませんが(おそらく後者だと思います) そういうわけで、鄭明析先生のことを知ったのはネットの、どちらかと言えば「カルト団体の教祖」とか「性犯罪で刑罰を受けた」とか書かれている話ででした。 さて、そんな私が今鄭明析先生についてどう思っているのか、それについて話したいのが今回の記事です。 私は鄭明析先生に直接会ったことはありません。 結構前に摂理に来た人は会ったことがあるみたいですが、私はありません。私が摂理に来たのは、ちょうど鄭明析先生が最高裁の判決を受けた直後です。ですから、直接会ったことはありません。 それでも、私は鄭明析先生のことを(私が見てきた数々の情報に反して)とても信頼しています。 それは、鄭明析先生が受けられた御言葉を通して、多くのことを助けられたからです。 私が悩んでいるとき、困っているとき、悲しんでいるとき、鄭明析先生が教えてくれた御言葉が私を助けてくれたからです。 そして、鄭明析先生がすべての人のために祈ってくださっていると聞いているからです。 鄭明析先生が教えてくれるのは、「生きている神様」の姿です。 神様が何を願われているのか、どうやったら神様に近づけるのか、困っているときにはどうしたら良いのか。 それを時には面白く、時には心情深く、伝えてくださいます。 その通りにすると、私は神様に出会います。 私に親のように、友達のように、恋人のようにしてくださる神様に。 まるで、鄭明析先生がそうしたように、近く感じられるのです。 この文章も私の「思い」が込められたものです。だから、この文章を読むことで私がどういう人なのか、会ったことがなくても少し理解できると思います。 それと同じように、私は御言葉の文章を通して「鄭明析先生」に触れました。それはネットに書かれている様々な情報とは違った、「神様を愛する」姿でした。 本当に、一度も出会ったことのない「私」のことを顧み、愛してくださる、包むような愛を感じるのです。 その愛に、私は何度も助けられました。 だから、というわけではありませんが、私は鄭明析先生のことについて、その御言葉に現れる神様について少しでも伝えたい、と思ったのです。 このブログを書く原点も、物語を書く原点も、「神様の思いを伝えること」にあります。 そんなことを、来る記念日を前に振り返りながら思い出しました。 もっと神様の思いを伝えられるように、研究していきます。・゚・(ノД`)・゚・。

摂理と瞬間の助け。~鄭明析先生の明け方の箴言から~

私も摂理の信仰を持って生きる中で様々なことがあった。自分がなんとなく摂理を抜けたいと思ったこともあったし、摂理にいることが申し訳なくて、「自分がいなければ教会は復興するだろう…」という考えが絶えず浮かんでいたこともあった。摂理にいると自分が望んでいること、衝動ができないといって、摂理を抜けたいと思ったこともあった。正直、取り返しのつかない罪を犯したこともあったし、危うく犯すところだったこともあった。 それは正直信仰が弱く、自分に自信が持てず、世の中と自分の好きなことと摂理をふらふらしていたからだと思う。 でも、私がそれでも摂理にいれたのは…「御言葉を聞いて、感動を受けたこと」をしたから、だと感じる。それは「御子が御言葉で助けてくださった」ことだと感じる。いや、これは確かに御子が助けてくださったことだ。 私が摂理に来て3年目の時。 私はある「信仰の患難」にあった。それは外から来たものではなく、自分の中で起こったことなのだ。自分が勝手につまずき、自分で罪を犯そうとしかけていたのだ。 おそらくあのまま進めば…私は取り返しのつかない罪を犯して、完全に戻れなくなっていたと思う。 しかし、そのときに鄭明析先生が御言葉で「悔い改めなさい」とおっしゃったのを聞いて、「これは話さなければならない…」と感動が来た。そして、牧会者に自分が犯していたある罪と同時にそのことも話した。そのときに悔い改めの門が開かれ、私は摂理に残ることができた。 …もっともそこから回復するのには相当な時間がかかるのだが。 そして、その回復の過程で私は「時代の使命者」を悟り、摂理の信仰を深く悟った。また、自分と深く向き合うことによって、過去の傷を乗り越えることができた。だから、ある意味で「その患難」を通して、神様が私をつくってくださったのだ。 もし、私が御言葉を聞かなかったなら。 聞いて感動を受けても、牧会者に話すことをしなければ。 そして、話したとしても、自分が罪の意識にさいなまれ、神様から離れていたならば。 …今の私はなかっただろう。 御子は糸一本ほどでも私たちを絶対に助ける。 それは、摂理に残った私が現在、さらに深く実感することである。 摂理を脱会しようとしている人、摂理にいる中で悩んでいる人、苦しんでいる人、摂理から離れようとしている人…。また、一度抜けたけど戻りたいと願っている人。 御子はそんな人に一層救いの綱を投げている。そう、「霊感、感動、直感」、あるいは「夢」、「万物」、「人」、そして「御言葉」を通して。このブログも、もしかしたらその一つかもしれない。 あとは、あなたが掴むだけだ。あなたが望みさえすれば…御子は必ずあなたを助けてくださる。救い出してくださる。あなたの苦痛、困難、患難から。

摂理の奇跡、あるいは軌跡。

今日、摂理の兄弟が東京から札幌に訪ねてきた。 その人は私と会うのは(私の記憶では)二回目。 最初は私が摂理に来て半年くらいで、彼の教会に行かせてもらった。そのときにお互い顔は覚えていたようで、(名前は忘れていたけど)今日会ったときにすぐに思い出した。 突然だが、摂理は「神様の愛の対象」になるためのところだ。 それゆえ、御言葉の基準がとても高い。 「しなくてもいいし、してもいいよ」とか「しないほうがいいんじゃないかな?」とかではなく、「しなさい」、「するな」の世界だ。 さらに、神様は私たちに「自ら御言葉」に従うように、愛で接する。力で服従させるのではない。だから、摂理で「強制」はない。あるのは「忠告」、「説得」だ。 だから、摂理にいる中で信仰を止めて脱会し、世の中へ戻る人が多い。その理由は様々だけど、自らの意思で出たことだけは変わらない。 私がいた間でも、私の教会だけでも多くの人がいなくなっていた。 そんな中で、肉の年齢も、信仰歴も同じくらいの人が摂理で生きていて、5年を経て再び会う。このことが、とても奇跡のように感じられた。ちょうど、私が以前お世話になった方が現在教会に来ていない、という話を聞いてショックを受けていたので、このことがとても恵みだった。 私も彼も、摂理を生きる中で様々な主との経緯を経て、異なる愛の軌跡を歩んできた。 今日会ったときに、私は彼がますます成長しているのを感じていた。たぶん、彼も同じような印象を持っているのではないかと思う。 次は、もっと成長した姿で、会いたい。(…その人はしばらく北海道にいるけど(笑))

「脱会」という言葉について思うこと。

なかなか更新出来ていませんでしたが、一つ思ったことがあったので久々に書きます。 脱会、という言葉。 摂理を含む宗教団体を抜けることを「脱会」するというみたいなのですが…。 あまり聞きなれませんよね? 教会に来なくなった、信仰をやめた人のことを「脱会した」という人も聞かないし、教会に行かないと決めたことを「私はキリスト教を脱会する」とは言わない、ですよね? これは摂理でも同じ。 摂理の信仰を(残念ながら)捨ててしまう人はいますが、そういう人が「自分は脱会した」とはあまり言いません。少なくとも私の周りでは聞いたことがないです。というか、摂理を辞めた、と主張する人があまりいないのか。 ところで、私が摂理を「脱会」しない理由として一つ言えるのは 「私は摂理に来なかったら、絶対ろくな生き方をしていない」 と確信しているから。 もし、私が摂理に来なかったら、きっとマンガ・アニメ・You Tubeで動画を見る…だけで、就職はまぁできるかもしれないが、おそらく破綻した生活を送っているでしょう。摂理に来る前がそうだったので。 仕事をしても、学校に行っても漫画のことばかり考え続ける。それで集中できず、実感もわかないまま生きていただろう、ということ。 今も肉的に順風満帆か、といえばそんなことはありませんが、だからといって「摂理を脱会したらうまくいく」って気もしません。だって、摂理の活動のせいで勉強できないわけじゃないし。明らかに別の(摂理で直すべきだと言われている)要素の方が大きいわけです。 実を言うと私は軽度の発達障害がある、ということが摂理に来て色々探るうちにわかりました。 人とのコミュニケーションがそこまで円滑でないのと、報酬系が少ないらしく「何事も楽しく思えない」(これは大学時代自分が好きだったゲームをしててもそうだった。)上に、セルフコントロールが苦手で中毒になりやすい(私の場合、アニメの情報を見ることに関してはかなり没頭する)という特性がありました。あと、人の話を耳から理解できない。 こういう原因もあって、うまくできてない部分はありますが、これが摂理と関係ないことは自明でしょう。 むしろこれらの弱点は摂理に来てから幾分改善されました。特に「話を耳から理解できない」という部分についてはかなり改善されました。おそらく「霊的な耳」の発達によるものではないか、と思います。 また、自分の特性を活かせるところを鄭明析先生が教えてくださり、実際ネットでの宣教活動(つまり、ブログの更新)という私の特性を大きく活かせるところを与えてくださいました。それが本当に感謝だな、と思います。 それと、私の脳の特性は「周りの人の理解」が必要なのですが、それも摂理の人々は鄭明析先生の愛の実践を学ばれているためか、本当によく理解してくださいます。私の特性、個性を好意的に見てくれる方が多いです。 「自分を受け入れてもらえない経験」による心の傷がかなり癒やされました。 本当に感謝します。 そういうわけで、私は摂理に来てよかったと思うし、これからも摂理を離れることはないと思います。 というか、もし離れそうになったら「主が掴んでくださるよう」お祈りします。]]>

キリスト教福音宣教会(摂理)という宗教についての詳細まとめはこちら

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