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誰の目に映らなくても

  誰にも見られないような場所に、生えている木。 精一杯生きながら、太陽の光をふんだんに浴びて育っていました。   見る人が見た時、その美しさと勇壮さに、心を奪われるようになります。 人の手に触れない、人の目に触れないものって、自然のたくましさ、美しさを感じます。   鄭明析牧師も、人が見ていようが見ていまいが、ただご自身のやるべきことを、ずーっと変わらずにやり続けていらっしゃいます。 ご自身のことは後回しにされ、ただひたすら、神様の愛を人間が実体的に備えてなすことを、伝え続けていらっしゃいます。 一生懸命に生きる姿には、誰も何も言うことができません。   私も、そのような姿を自分自身が失ってはいないのかと、思わずにはいられません。  

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の花でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 (新約聖書:マタイによる福音書第6章30節)
  人目につかない、まるでいるのかいないのかわからないような野の花でさえも、美しく装われています。ましてや、私たちはどれだけ美しい存在でしょうか。他人からどう思われようが思われまいが気にすることなく、一人一人が、大切なかけがえのない生命として、生きているということです。   私は、生きる意味があるんだ。 感謝します。    ]]>

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