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宗教嫌いだった私が、摂理に入会した経緯

青年部女子まいですヽ(・ω・ )ノ

宗教、ダメ。ゼッタイ。

私は摂理に入会する前、
宗教がすっごーくキライでした=3

シューキョーって、
精神的に弱い人とかが
“すがる”ものだと思ってました。

自分はそういう
“負け組”にくくられたくなかったし、
自分自身が弱いと
「宗教とかにハマっちゃうからヤバい」
「強く生きなければ!」
と考えていました。
キリスト教は、神様を信じて
メシヤ(救い人)の再臨を
待ち望む宗教です。

けれど私は、
「救われたい」とも
「救ってくれる人を待とう」とも、
1ミリも思っていませんでした。
日本人の多くが、こんな考えを
持ってるんじゃないでしょうか?

そんな私が、なぜ
摂理の御言葉を聞くようになったのか、
自分でも不思議ないきさつですが、
確かに神様が働かれた証を
してみようと思います。

霊の声に耳を傾けると……

神様の御言葉は、こんな私も含め、
実は誰にでも必要なものです。

コリント人への第一の手紙15章44節
を見ると、

肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

とあります。

このように人間には、
いつか死んでなくなる肉と、
永遠に存在する霊が、必ずあります。

人間の肉体は、
水やご飯を食べなければ
生きられないのと同じように、
人間の霊は
御言葉を聞かなければ機能しません。

私は摂理に来る前、
世の中や人生のむなしさに
直面していました。

自分の生き方の芯となる真理を求めて
いろんな本を読みましたが、
そんじょそこらに転がっているものでは
ないことがわかったし、
現実の生を見ても、
将来に希望が持てませんでした。

おいしいものを食べたり、
ちょっとイイ話を聞くと
その時は満足するけれど、
ずっとは続かない虚無感がありました。

今思えば、
それが目に見える世界の限界で、
永遠を思う霊が
飢え苦しんでいたのです。

(伝道の書3章11節「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」)

摂理の御言葉で心霊が生き返った

中には、
人生のむなしさや限界を感じない、
シアワセな人もいます。

けれど、
神様が授けてくださった思いに気付ける
心の貧しい人こそが、
天の祝福を受けられる幸いな人ではないでしょうか。

肉の考えでは
神様やメシヤの必要性がわからなくても、
霊は皆が求めている存在です。

私は摂理の御言葉を聞いて、
心の奥底が
満たされる感覚を味わった
ことで、
このことがはっきりわかって、
心霊の飢え渇きを
感じるようにしてくださった神様に
感謝しました!
そして、
神様の御言葉についていくのは、
正直、生半可なことではありません。

少なくとも、
全能者神様と共に行なう摂理には、
「ご利益を受けたい」
「心を癒やしてほしい」
といった受け身の考えの信者は
あまり見当たりません。

弱い人がすがるような
宗教もあるでしょうが、
摂理は、鄭明析先生のような
強い精神を育てるところです!

私は、神様が雄大に広げていかれる
摂理という<歴史>に出会えて、
本当によかったと思っています!!

「宗教」のイメージ

ところで、「信仰を持ってる人」って
どんなイメージですか?

俗世とは離れてストイックに生きる、
心が清らかで素直な羊のようなヒト、
というのが私の持っていたイメージでした。
ひつじ - 摂理女性のハッピーブログ
私に初めて御言葉を教えてくださった方が、
まさにこのような方(´ω`*)

一方の私は、血気盛んで自分中心という、
真逆の人間。。
オオカミ - 摂理女性のハッピーブログ
御言葉を聞いて、
なんとなく「いい話だ」とは思っても、
自分が“そちら側の人”になろうとは
まったく思いませんでした。

霊感のかけらもないような人間なので、
神様とか宗教は「自分には合わない」
と考えてたんですね。

自分に向けられた神様の御心

神様が人間を創造されたのには、
目的があります。

すべての人に向けられた
その深い御心
がわかれば、
霊感がなかろうが、
神様から遠く離れて生きていようが、
おのずと信仰を持つようになります。

神様の奇跡

私は摂理の中で、
誰よりも一番になれる自信のあることが
一つあります。

それは、霊的な世界から
一番遠くにいたところから来た、
ということです!(笑)

自分ほど神様から遠のいてた人間は
いないんじゃないかとw

よく「神様の御技を見なければ信じない」
という人がいますが、
私は自分自身を見て
「こんな人間が神様を信じてる!
奇跡だ!」

と毎日驚き、
天を仰ぐしかありません。

(ちなみに、摂理に来てからも
ちょっとはみだしちゃってる人のことを、
業界用語で“はみだ新婦”
というそうです。
出典:「摂理のユートピアだより」)
信仰に対して、
「私はそういうタイプじゃない」
「向いていない」と思っている人にも、
必ず救いの機会を与えてくださる
神様です。

「宗教にハマると、自分の考えがなくなる」

と思ってました。

教祖的な人の考えに洗脳されて、
その集団の人はクローン人間のように
みんな同じ考えに染まって、
善悪の判断ができなくなって、
果てはテロまで引き起こす……
と、恐ろしいイメージを持ってました。
世にあまたあるシューキョーは
どうか知りませんが、
少なくとも摂理は、
そうではありません。

恐る恐る御言葉を聞き始めた私が、
実際に目で見て耳で聞いて
<確認>したので、
断言できます
(`・ω・´)ゞ
たとえば、
種類の違う苗が2つあるとします。

何の実がなるのかは
育ててみないとわかりませんが、
とりあえず共通して必要なのは、
水と土でしょう。

私たち人間も同じです。

神様は人間を愛して、
一人一人に御心を定めて
創造なさいました。

だからどんな人でも、
御言葉が必要なのです。

どんな苗でも水と土が必要なように、
神様が自分に定めてくださった実を
正しく結ぶためには、
誰でも神様の御言葉を聞いて
成長することが必要です。

霊感のカケラもなかった私

私はもともと、何かが
「見える」とか「聞こえる」とかいうのは
うさん臭いと思うタイプだったので、
御言葉を聞き始めた当初は、
「自分には合ってないんじゃないか」
と思ってました。

けれど、
「これはこういう苗だから……」と言って、
水や土のいらない植物は
存在しないのと同じように、
「私はこういうタイプだから……」
と言って、
神様の御言葉の必要ない人間は
いないのです。

御言葉を聞いてみれば、
「全人類の人生の答えがここにある!」
とわかります。

聖書を読むと……

ヨハネによる福音書3章5節
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。

植物に水と土が必要なように、
私たち人間には、
水のように混じりけのない
神様の御言葉と聖霊が必要不可欠
で、
それらを受けてこそ、
真実な幸せを手に入れることができます。

多様な個性を内包する摂理

神様が願われる本質の成長を遂げたならば、
どのような実を結ぶかは、
それぞれの個性しだい。

摂理では多くの個性体が、
各地で主の光を放って活躍しています!

大きな歴史を成すために、
より幅広い人たちが
集まってくることを願います(u_u)
HPL(幸せ摂理女性)☆まい

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