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あいさつは真心で。人格の上の信仰だ。摂理|大学生

兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 マタイによる福音書5章47~48節   この聖句を読んで、もう一度自分の生活を振り返るようになりました。     私は5階建てのアパート暮らしですが当然人がたくさん住んでいますので、外出するときは高頻度でアパートの人とすれ違います。     今までもあいさつはしていたのですが、形式的にしていたような気がしてきました。     この聖句に感動を受けてからは、真心のあいさつを心がけております。     あいさつ一つで相手をいい気分にしてあげようという思いで、声のトーンを上げることと笑顔を意識して挨拶するようにしています。     実践してみて特に目立った効果があったということはないのですが、私自身の心が明るくなっているような感覚はあります。     あいさつは人間として基本的なマナーですが、形式になりやすいものでもあるのかなと思います。   鄭明析(チョン・ミョンソク)先生は、  

人格の上に信仰が入る。だから、信仰する人は人格を磨かないといけない。
  とおっしゃいます。   あいさつ一つも真心で行なうことで、私自身の人格も磨きつつも、アパート社会の窓も磨いていこうと思う今日この頃です。 ダウンロード]]>

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