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「分かってほしい」と思った時は「分かってあげること」

この忙しさ、分かってほしい……(*´Д`)     首を縦に大きく振って、頷いている人の光景が目に見えてきました。 こういう思いになるのはひじょ~に共感できます。 ただ、こういう状態になるということは、仕方ないことではあると思うのですが、普段よりも周りが見えなくなり、余裕がなくなってきていることだとも言えます。 人は誰もが分かってほしいという思いは少なからずあると思いますが、みんなが自分の事を分かってほしいと思ってしまったら、誰も他人のことを分かってあげられる人がいなくなるから、自分を分かってくれるような状況は作り出されません。     この気持ちになった状態で、何かを頼まれたり、指摘されたりすると、頭が爆発しそうになります。 実際、ラインで冷たく反応してしまったこともあり、非常に反省しております。。。     自分でもあまりにも余裕がなくなって、イライラしてしまっていることに気付き、これはいかんと思い、聖霊様に祈りました。 「イライラしてしまって仕方ありません。どうやったらこの血気を治められるでしょうか?」     すぐに考えに答えがきました。

マタイによる福音書7章12節 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。これが律法であり預言者である。
この聖句が思いだされました。     自分が嫌がることは人にもしてはいけません とか、その逆の 自分が喜ぶことは人にもしましょう という教えは幼稚園の時や小学生の時からどこでもされていることと思いますので、誰でもこの聖句の理屈はわかるはず。 いくら子供の時から知っていても、問題にぶち当たると実践が難しいものです。     しかし、愛する神様がおっしゃったと思えば、話は別になります。 しんどくても何としてもこの言葉を実現しようと努めようとしました。 残業中、夜中になり、ピリピリした雰囲気になった時、自ずと出てくる「分かってほしい」という思いを抑えて、逆に一緒に仕事をしている人たちのことを「分かってあげよう」という思いを持つようにしました。 水やコーヒーやお菓子を買って来てあげたり、労りの言葉をかけたりと。     他人を「分かってあげる」行動をとった時、自然と心の中の「自分を分かってほしい」という考えが綺麗になくなっていたのが驚きでした。 心がスッキリしたんです。 心の荷が下りた感じがするに伴い、心に余裕がでてきて(さすがに時間の余裕はできない)仕事にも甲斐を感じてできるようになりました。 分かってほしいと思った時は分かってあげようとすること 心に余裕がなくなった時のベストな対処法は、これに違いない。    
今日のひとこと 聖書の教えって幼稚園や小学生の時に教わったことが多いのに気付く時が絶対来る。
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