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「東洋大日本国国憲按」から思う、戦後70年

青年部女子まいです♪

今日は歴史のお勉強です(・∀・)ジャン!

摂理女性まいさん、こう見えて
歴史がご専門なんですよ~
 

ときは明治時代初期

開国・維新を果たし、
近代国家への階段を上っていた日本

先進国の仲間入りをするためには、
それまでなかった憲法を
作らなければなりません。

国会を開くことが決まると、
各政党や民間で、
草案が作られはじめました。
 

注目すべきは、
1881年に植木枝盛えもりが起草した
「東洋大日本国国憲按」という憲法草案

これは広範囲にわたって人権を保障し、
抵抗権や革命権も認める、
当時では珍しい民主主義的な内容でした

さらに、
「日本ノ人民ハ何等ノ罪アリトいえど
 生命ヲ奪ハレサルヘシ」という、
死刑制度を否定する条文
含まれていたのです( ゚д゚)!
 

しかし、これらの草案はスルーされ、結局
政府のトップ伊藤博文らが中心となって、
大日本帝国憲法が制定されました。

もちろん、
ここでは死刑は否定されていません。
 

死刑を実施している国は、
先進国では今や
日本とアメリカくらいのもの……。

しかし、
人間を愛して創造なさった神様は、
人間がどんなに重い罪を犯したとしても、
神様の願われる悔い改めをすれば
必ず赦してくださいます

人間が罪を裁くのには限界があり、
真実な審判は、
創造主神様がなさるものです

神様が与えてくださった尊い命を、
人間同士の裁きの場に
持ちだして良いでしょうか
 

「東洋大日本国国憲按」は、
その後、戦後に制定された
日本国憲法(現行の憲法)に
影響を与えました。

戦後70年、
神様の願われる法整備が進むことを
切に祈ります(u_u)
 

HPL(幸せ摂理女性)☆まい

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