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弱さを知ってもらえるからこそ生きる

ある人と鄭明析牧師(以下、先生)のやりとり。

ある人がテレビを見ながら、「どうしてこの人が有名になったのだろう」とああだこうだと言っていた時、先生が後ろから見ていて、「そうやって人のことを評価したらいけないよ。あの人があのぐらいの位置に上がるためには、そのぐらいの努力があったのではないか。そういうことを知らないで、一つの外見でああだこうだ言ってはいけない。それはあなたが私から学んだ人ではない」。とおっしゃった。その人はその時から人の外見で指摘をしないと決めたそうです。今ではみんながすごく愛しく、よく見えるそうです。

 

また別のお話ですが、ある女の人は<手>の見た目がよくなくて、隠して、夏も手袋をしていました。指が短く、男のように太く大きく、熊のようにずんぐりむっくりの形だと嘆いて、先生に面談を求めました。先生は「その手で絵を描きなさいと言いました。」

結局絵を描くようになり、その女の人は「世界的な画家」になりました。結局、見た目がよくなくて邪険に扱っていた手によって画家としての栄光を受けるようになったし、それによって<生活>もよくなって、楽に暮らすようになりました。今となっては人々がその手を見て「あのような形の手が、手の才があって、絵がうまく描けるのだな」と認識するまでになったし、女の人自身も「手が本当にかわいい」と言います。

 

 

自分が摂理にいて変化できたことがあります。それは、自分の弱さを認め、隠さなくなったこと。自分の不安や心配、短所など、恥ずかしくて打ち明けられない性格でしたが、摂理に来て、摂理の人たちに出会って、この人たちなら自分の弱さも言えると思ったし、御言葉によって先生に教えてもらいながら、自分の弱さを強さに変えることができると思いました。だから自分は摂理が好きで、先生が好きです。これからも摂理と共に生きていきたいです。

 

 

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