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幸せについて真剣に考えた頃を思い出しました

ふ~ん(‘ω’) といった感じ。     幸せってそんな簡単に手に入れられるものでもない気がしたからです。 もちろん、音楽を聞いて幸福感を感じることは私にだってあります。 それは小さな幸せだから否定しようがありません。 私は質問された時、幸せの定義について言及されたのだと思って、考えを巡らせたのです。 しかし、友達は幸せの定義について質問してきたわけではなく、日常的な行動の中で幸福感を感じるとき、すなわち小さな幸せとはなにかということを聞きたかったのだと思います。 もっとかみ砕いて言えば、生活の楽しみって何?って質問したかったのでしょうね。 それを私は言葉のままに幸せを本気で考えていたのです。 この出来事が、幸せについて本気出して考えるようになったトリガーでした。 ポルノグラフィティの「幸せについて本気出して考えてみた」という曲の歌詞が深く入ってきたのもその頃。 世間は幸せを探しているんだな~。と思った中学時代です。     そこで、私は身近な人たちは幸せについてどんなことを考えているのだろうと思い、クラスのほとんどの人に「どんな時に幸せって感じる?」というアンケートをとりました。 今思えば、我ながら奇抜な行動をしたものです。 どんな回答が多かったかといいますと、 嵐を聞いている時! とか Bzを聞いている時! といった、好きなアーティストの曲を聞いている時が幸せといった回答が多く、また、 寝ている時だったりカラオケしてる時 といった、欲求を満たすことも多かったのも思い出します。 可愛らしい回答ですが、当時の私はその回答を幸せだとは思いたくなかったという感覚がすごく残っていました。 まあ、私の質問の仕方が悪かったといえば悪い気がしますが。 率直に幸せの定義ってなんだんと思う?って聞けばよかったものの、変人扱いされたくないというチキンハートが勝ってしまって、比較的応えやすい質問に変換したのが事の発端なんですけどね。     この話をして、何が言いたかったかと言いますと、「幸せ」と「楽しみ」は似たようで異なるものであることです。 アンケートをとった時、日常生活の楽しみを答えとして教えてくれた人たちばかりでした。 これは幸せではないという感覚は幼心にしてありました。 じゃあ、何が幸せなのかということですが、どの時代、どんな人にも該当する本質的な幸福感。といったところでしょうか。 本質的というのがミソとなるので、食欲、性欲といった欲求を満たすものは一時的なものにすぎないので、これも違うなと思いました。 幸せってなんだろう?という疑問を抱えながら高校時代を過ごし、大学へ進学した時に初めてしっくりくる答えがきました。     それは 永遠な幸せが本当の幸せだ これを教えてもらってからとてもすっきりしました。 鄭明析牧師が教えてくださった御言葉を聞いていく中ではっきりとこれが分かるようになりました。 盲目的にではなく、はっきりと。 御言葉を聞き始めてすぐに分かったのではなく、最後まで聞いて見た時にロジックもしっかりしていて、認めるようになっていったので、幸せを真剣に探している人がこの御言葉に出会った時にはぜひ最後まで御言葉を聞いてみてください♪]]>

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