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月曜日の御言葉〜秋の夜〜

『わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。』 (新約聖書:テモテへの第一の手紙6章7節)   この聖句は、人間の生死に関する聖句です。 自分の生死について、今まで考えたことはありますか?   Yoは、大学生時代に、何でこんな人生を生きているんだろう。 自分は何のために生きているんだろう。 と真剣に考えたことがあります。   わたしたちは、産まれる時は母親の体内から、裸の姿で産まれてきますよね。 産まれた瞬間から、何か洋服を着ていたとか、手に指輪をはめていたとか、お金を握っていたとか、そんな姿で産まれてきた方、いますか?いませんよね^^ いたら教えてください。   そして、産まれてそれぞれ多様な人生を送っていきます。 そうしながら、持っていなかった、様々なものを得、所有していくようになります。 そして、この世を去る時、すなわち死を迎える時には、自分が持っていた様々なものは、もうこの世に残して、まるで裸で生まれた赤ん坊のように、何も持たずに去っていくのです。すなわち、天国と呼ばれる場所に、肉体を脱いで、自分の霊が行くようになります。   霊の世界は、肉体の世界とは異なる世界ですから、肉体で得た様々なものは物質として天国に持っていくことはできません。え、いやだ!持っていきたい!と思ったとしても、持っていくことはできません。仮に持っていけるとしたら、何を持っていきますか?よく考えてみてください。そして、過去、おじいちゃんやおばあちゃん、お亡くなりになられた方々がどのような姿で天の国に昇られていったか、お葬式の場面に立ち会ったことがある方は、わかられるかと思います。日本では、火葬して骨以外全て無くなりますね。正直なお話しです。   まさしく、何も持たずに産まれたように、何も持たずにこの世を去っていくしかないということです。   しかし、だからと言って、この世で何も持たずに生活することはできません。 何も持たないで良いというわけではありません。 私たちの考え、行ないを良心に沿う善なる生活にすることで、物質的な豊かさも得、精神的な豊かさも得るようになります。 そして、天国には、自分の生活してきた行ないの内容によって、どのような生活をするのか、自分にふさわしい天国の場所と家が用意されています。 すなわち、何も持たずにこの世を去るのですが、実は、すでに天国の世界に自分の場所と家を用意してこの世を去ることができるので、何も持たずにこの世を去っても、問題は無いんです^^   様々な物質に溺れること、経済の虜になってしまうこと、金の亡者になってしまうこと、とりとめの無い愛に溺れてしまうこと、良心に背くことを行なってしまうこと、ひとつひとつ、自分の生活の中で気づくと自分の心を支配している何かが思い浮かぶのでは無いかと思います。 ぜひ、ご自身の良心に嘘をつくことなく、清々しい生活をしていけるように、今日の秋の夜、考えて見られるのは如何でしょうか?     ランキング参加中☆応援よろしくお願いします^ ^ にほんブログ村 ライフスタイルブログ ナチュラルライフへ にほんブログ村 follow us in feedly]]>

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