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Yoが神様を感じた瞬間☆^^

神様を感じた瞬間について、お話ししたいと思います。 ゲツセマネ 今でこそ涙もろい(年齢もそこそこある?(笑))Yoですが、私は大学時代の終わりまで、涙を流さない人でした。何があっても涙を流しませんでした。周りの友達が映画を見て泣いたとか、よく言っていたんですけど、Yoはどんな映画を見ても泣けませんでした。自分でも、「あぁ、僕は泣かない人なんだな。」と思い込んでいました。 そんなYoが、ある日、涙が流れ、止まらなくなる時が有りました。 それは、鄭明析牧師(以下、先生)の故郷、月明洞を初めて訪れた時のことでした。 [caption id="attachment_201" align="alignnone" width="300"]月明洞 月明洞[/caption] お湯も凍りつくような衝撃的な寒さの中で訪問し、正直、月明洞がどういうところなのかよくわからないまま訪問した私ですが、訪問中、1つのことだけは絶対に得て帰りたいと願っていることがありました。 それは、自分の人生の問題でした。 大学時代、Yoは学部でも1,2を争うあまりにも厳しいゼミ(少人数制の研究グループ)に所属し、ゼミ長を務めながら、文字通り寝る間もなく24時間、ゼミの研究をしなければならない状況にありました。ゼミが始まって1年半経ったとき、私の体と心は限界を超え、悲鳴を上げていました。また、癒されるべき家族との時間も、あまり良い時間を持てず、自分の居場所はいったいどこにあるのだろうと考えるようになりました。自分が成長したくて、選んだゼミのはずなのに、毎日が苦痛の日々でした。なぜ自分はこんなに苦しいんだろう。自分が生きている目的は一体何なのだろう。生きるのがとても苦しい。この生活を何とかしたい。心が楽になりたいといつも考えるようになりました。そうしているうちに、負荷がかかり過ぎて、ある晩ゼミの研究室にいて、指摘を受けていた時に、あまりにも自分が惨めで、つらくて、下唇をかみしめながら思いつめていた時に、突然、過呼吸の発作が起こってしまいました。自分でもびっくりして、発作が治まるまで息もできなくてものすごく苦しかったことを覚えています。「あぁ、もう自分の力ではどうしようもない。いったい、どうしたら良いんだろう。」いよいよ頭を抱え込むようになりました。自分では超えられない限界に、途方に暮れていました。 そんな中、先生の故郷である月明洞を訪れました。 月明洞を訪問する準備の中で聞いたことは、「月明洞」は「お祈り」が一番よく聞かれる場所だ。ということでした。私は、是非とも自分の苦しい状況、苦しい心を解決したかったので、自分の苦痛となっているすべての問題が解かれるようにと、願いつつ、月明洞での滞在を過ごしていました。 月明洞では作業ボランティアをしたり、展望台に登ったり、いろいろと感じることはあったのですが、今一つ、何かまだ足らない感じがしていました。 そして、訪問最終日、明日には戻るという前日の夜、ガイドしてくださっている方と共に、月明洞のある場所で一緒にお祈りをすることになりました。私は、もう最後の機会だ。と感じて、ひたすら、自分の問題が解かれるようにお祈りをし始めました。お祈りをしてしばらくすると、だんだんと胸に熱いものがこみあげて来て、自分のこれまでの人生のつらさや、ゼミであったことによる苦痛など、一つ一つを助けてください、解決してください、何とかしてください、自分の力ではできません!ともはや、自分でも驚くくらいに涙と鼻水を流しながら、お祈りをしていましたお祈りしながら、号泣していました。涙が本当に滝のように流れ落ちてきました。そして、ある瞬間、心がふっと軽くなった瞬間がありました。それから、涙のピークがすぎ、段々と落ち着きを取り戻していきました。わたし自身が、熱い涙を流すお祈りができたことにびっくりしていました。 [caption id="attachment_204" align="alignnone" width="300"]お祈りの場所 お祈りの場所[/caption] そして、月明洞から戻ったある日、自分のお祈りの声が変化していることを周りの方から言われるようになりました。そうなんです。あまりにも不思議なんですが、月明洞でお祈りをしている最中、心がふっと軽くなった瞬間に、私は神様に出会ったんだなと悟るようになりました。そして、そのお祈りの時、私は神様から聖霊の賜物を頂くようになりました。 聖霊(御霊)の賜物については、Bibleに記載してあります。 『各自が御霊の現れを賜っているのは、全体の益になるためである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。』 (新約聖書:コリント人への第一の手紙:12章7~11節) すなわち、いやしの賜物と、異言の賜物とを頂くようになりました。これは、私が気づいたのではなくて、まず、私に起こった変化に周りの方が先に気付くようになり、私に教えてくださったことでした。 御言葉を学びながら、「涙のお祈りは絶対に地に落ちることがない。」と良く聞いていましたが、実際に、切実に涙が流れてお祈りをしたときに、さっそく心が軽くなり、そしてお祈りの声も変わるようになりました。 お祈りをして求めたのは自分ですが、自分の力では到底越えられなかった限界の壁を超えられるようにしてくださり、癒してくださったことは、まぎれもない事実です。 先生は御言葉の中でおっしゃいました。 [caption id="attachment_202" align="alignnone" width="200"]鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理 鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理[/caption] 『「冷たい空気」と「暖かい空気」がぶつかり合ってはじめて、  <風>が吹き、<強風>も吹き、<台風>も吹くようになる。  これと同じく、  「人間の心」と「三位一体の心」が会って一体になってはじめて、  風が吹き、台風が吹き、雷がなり、稲光が光るように、  <恐ろしくて驚くべき恵みの御働き、奇跡の御働き>が起こる。』 まさに、わたしの誰にも言えない張り裂けるほどの悩みと思いを、祈りを通して神様が聞いてくださって、神様の心と出会わせてくださったことでした^^ その時から、今に至るまで、続けて月明洞に足を運ばせて頂きながら、信仰生活を楽しんでいます。 ぜひ、皆さんも、体感してみてください。自分が体感したら、変わります。 皆さん一人一人を暖かい目で見守ってくださる神様に、心を向けて見ませんか?^^]]>

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