日常生活

逮捕と審判~真実に裁くことができるのは誰か~

逮捕」についてお話し出来たらと思います。 皆さん「逮捕」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか? [caption id="attachment_635" align="alignnone" width="300"]逮捕(イメージ) 逮捕(イメージ)[/caption] ・警察 ・犯罪者 ・あ、悪いことしたな!? ・容疑者 ・取調べ ・・・ 等々、出てきますよね。 なかには、某有名アニメル〇ン三世の登場人物、銭〇刑事を思い出す方もいらっしゃるでしょうか?^^   私たちは、 「逮捕」する側を「警察・検察」とか、 「逮捕」される側を「容疑者」と呼んでいます。 この「逮捕」の時点では、「容疑者」は決して「犯罪者」ではありません。 犯罪の可能性がある方に対して、調査をした上で裁判が行なわれ、初めて有罪無罪が決定されます。 正しく裁判が行なわれれば良いですが、時には、正しい裁判がなされない場合も起こっています。 即ち、冤罪ですね。 これは、無実の人を、誤って「逮捕」し、そのまま、裁判にて有罪としてしまった場合です。   「聖書」では、罪を犯した人を裁くにあたり、とても良心的な説明がなされています。 簡単に言いますと、『「逮捕」した方を裁くことができるのは、裁こうとする「自分自身」に「罪」や「良心に引っかかること」が一つも無い方だけが、裁くことができる』。と言う事です。 有名な聖句を引いてみましょう。 『彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。そしてまた実をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。』 (ヨハネによる福音書8章7節~11節)   この聖句の場面を簡単に説明しますね^^ ある罪を犯したとして、イエス様の前に連れてこられた女性をどのように裁けばよいか、民衆がイエス様に聞いてきた場面です。イエス様の答えは、『自分自身に罪がひとつもない者だけが、この女性を裁くがよい。』とおっしゃいました。すると、不思議なことに、連れて来た女性を裁こうとしたすべての人々が、その場から全員いなくなりました。そうです。みんなにも、自分自身に罪があることを、みんな気づいたんです。それで、自分には、この女性を裁く権利も力もない。と悟って、いなくなったんです。 そして、イエス様も、罪を犯したと言われる女性を裁くことはなさいませんでした。 ただ一言、「私も罰しないから、もうこれ以上罪を犯さないように。」 とおっしゃったのです。 [caption id="attachment_636" align="alignnone" width="300"]罪のない者が、まず石を投げつけるがよい 罪のない者が、まず石を投げつけるがよい[/caption] このイエス様の御言葉には、「逮捕」された方に対するものすごい情が込められています。 「疑わしきは罰せず」 という世の中の言葉をはるかに超えた、「罪人」、「敵」までも憎まずに許し、

命が生きるようにとされるキリストの精神です。

  「逮捕」する側も、「逮捕」された「容疑者」を調べて裁く側も、また周りで色々と言う方々も、まずは自分自身の良心に手を当ててみて、自分の罪はないのか、良心に引っかかることをしていないのか、振り返りながら、「逮捕」された人について、よく分かって接する必要があると感じます。  

正しい考えで、正しく判断できる私たちになりましょう^^

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