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個性を大切に☆あたたかい生き方をしているのか?

皆さんはどのようなことを考えて生きていますか? 自分が良ければそれでよい。 いや、自分は周りに合わせながら一緒に生きていきたい。 自分が引っ張って集団を統率したい。 等々、各々様々に考えて生活をしていらっしゃることだと思います。   え!?特に考えて生活とかしていない? そういう方もいらっしゃるかと拝察いたします^^   そうしながら、社会でも学校でも家族とでも、一人きりで生きていくことは出来ません。 必ず、一日の中のどこかでは誰かに会って会話を交わす瞬間があると思います。 その頻度が多ければ多いほど、自分の個性を生かして一つのことを成していくことがとても大切だと感じます。   譬えるならば、ステーキの前のナイフとフォークでしょうか。 ナイフとナイフならば、お互いに切るだけで、切るためにうまく支えることが出来なくて、ステーキがボロボロになってしまいます。 また、フォークとフォークであれば、こんどは突き刺して支えることは出来ても、切ることができず、引きちぎるとか、荒々しいことになってしまいます。 ステーキを、フォークで支えてナイフで切ってこそうまく食べられるようになるのであり、このように、ある目的や問題に対しても、同じ人同士が集まるのではなく、異なる個性の持ち主が集まってこそ、それぞれの個性を十分に活かして目的を達成できるのだと考えます。   人は、まったく一人として、同じ顔かたち、そして性格、もっているものが同じという人は二人としていないのですから^^ 鄭明析牧師はおっしゃいました。 『誰の人生であれ、自分の生き方に親が関与することはできないし、兄弟も恋人も関与することは出来ない。兄弟も恋人も突き詰めると、各自の人生なのだ。自分の苦しみに他人が加わることは出来ない。自分の道は自分で歩まなければならない。しかし親が子どもを自分の懐の中に入れたままで生きようとし、目上の人が目下の人を自分の手中に握って生きようとする。そのようにすることは実際、その人の人生を殺すようなことだと言わざるを得ない。人生とは神様がそれぞれに与えられた様々な生き方の道である。それは天国に行くとしても同じだ。人生とは個性を持った生き方だ。個性通りに生きる時に、神様が自分に与えられた祝福を見つけて生きることができる。』   まさに、そのようだと、Yoも考えてなりません。 自分の道は自分で歩まなければならない。 結局のところ、すべての生活は自分がしていくものだからです。 他の人がしてくれるわけではありません。 個性を分かり、個性を活かし、個性を認め合い、一つになって生きていく自分となり、また仲間たちとなっていけたら、より暖かな私たちになれますね☆ なっていきましょう!!]]>

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