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今は何合目でしょうか?

人生を山登りに例える人がいますよね。

僕の出身校は入学してから最初の遠足は面白いモノでした。

目標地点(折り返し地点:お弁当を食べる場所)は決まっているのですが、

チームを組んで、それぞれのチームのペースで歩いて、

目標地点まで行くことだけが目的ではなく、時間を見て、そこまで行けそうになかったら

各チームで折り返し地点を決めて、そこでお弁当を食べて、

時間までに帰ってくることを目的としていました。

だから、チームによっては頂上まで登らずに帰る場合もありました。

チームの構成メンバーによっては目標地点に行くことが難しい場合もありますよね。

ここで判断が難しいのですが、、、

当時、学校はこの遠足に何を目的において、実施していたのだと思いますか?

僕も答えを聞いていないのでわからないですが・・・

皆さんはどの様に目標地点を設定したらいいと思いますか?

もちろん、構成メンバーなどにも左右されますが、

人生においても同じですよね。

自分という個人もありますが、家族もいますし、どうしていいのか?

本当に目標の設定は難しいですよね。

そう考えると、キリスト教福音宣教会の目的は簡単です。

構成メンバーの身体的な能力に左右されるのではなく、それぞれの考えに左右されるのです。

人生には様々な誘惑が多いですよね。

人には欲があるから、その欲望に足(足もと)をすくわれる人もいるのではないでしょうか?

信仰をもって生きることは自分をおさめることでもあります。

そこで誤解が生じていると思いますが、

神様が示してくださった天の法はただ単に人間を縛るモノではありません。

人として、霊魂や肉体の健康(みえるモノやみえない面)のために、

していいこと。してはいけないことを定めてくださっているのです。

神様を愛していない人は神様と暮らせるでしょうか?

愛、関心がない人が同じ家に住んでいたらどうでしょうか?

ちょっと、どうかな?と思いませんか?

タバコを吸う人も家族がいたら、家の中では喫煙しないと言う人もいますよね。

その様に家庭内のルールを守っているのではないでしょうか?

みなさん。

信仰を守ることは、ある意味・・・

山登りのように途中できつい時もありますし、時には風景に癒されたり、

他に山を登っている人と交流などをしながら山頂を目指すようなものです!

人生の道も同じですよね。

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