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摂理の芸術 摂理人のエッセイ♪

親心を通じて、神様の深い愛を感じるエッセイですね(*^-^*)
http://ja.god21.net/Square/Literature/Main/View/33673
同じ目線の対話

『誰かが死んだら悲しいのよ~。
だから人々が集まって悲しんでいるの。
お母さんとお父さんとおばあちゃんが行って
よしよしって慰めてあげもして、
一緒に悲しんであげに行くんだよ~』
兄嫁のお父さんがお亡くなりになった。
突然の連絡に急いで日程を調節しながら、夜に出発する人々が集まった。
問題は5歳の息子。
一緒に行きたいが、「小さい子供は葬儀場に連れて行くものではない。」という
大人達のお言葉によって、夫の実家に預けて行くことにした。
早く退勤したお母さん、お父さんがただ不思議に思えて、嬉しがっている息子。
私を見た瞬間から、休む事無く話しかける。浮かれた息子に、一緒に行けない事を説明してあげなくてはならない。
5歳が理解できる言語で。
「悲しむ人々」の話をしていると、まるで異国、異世界の言語で話しているようだ。
「こうやって説明することもできるんだなぁ。」驚きながらも「こんな意味にもなり得るなぁ。」反芻(はんすう)するようになる。

あまりにも易しい日常的な単語が、子供の共感を得るため、
くどくて長い説明になる事もあれば、感性的な話に変わる事もある。
愛するから、子供を尊重するから可能な努力だ。

 


神様もこのような心でいらっしゃるだろうか?
私達を愛するからそのように解いて、また解いて話して下さるのだろうか。限り無く幼くて聞き分けが無い私達を理解させるために、私達の言語で話して下さる神様。
神様の一つの単語が、私達にとっては何枚のA4で伝えられるのかと考えてみる。

 


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