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祈って、祈って、また祈った私の就活ー後編ー

 私は悩みました。
自分のやりたいことを諦めて信仰を生かす道を選ぶのか
 
教会に行かずに信仰を守りながら自分のやりたい仕事をやっていく道を選ぶのか
 
摂理は自由なところではないのか?
 
なぜ自由なのに、礼拝のために自分のやりたいことを犠牲にしなくてはいけないのか?
 
他の摂理の人では教会に行かずに信仰生活を送っている人もいるのに、なんで自分は反対されるのか?
 
 
 
 でも、指導者の方達がそのようにアドバイスする理由も、なんとなくではありますがわかりました。
 
霊が生きてこそ、幸せになるのだということ
 
教会に通うことで信仰を保ちやすくなるということ
 
指導者だから、自分(私)の霊の命を守る責任があるということ

 
  
 私は馬の道に進みたいと思ってから、ずっとこのことで悩んできました。
明け方、神様にもたくさん祈りました。
時にはこのことで、気づけば3時間くらい祈っていたこともありました。
 
  
 
 そんな時に、摂理の主日礼拝がありました。その週の御言葉の内容が、
「自由意志。仕方のある信仰と、仕方のない信仰」についての御言葉でした。

 
 
◆人生は「ある瞬間」ではありません。人生100年「毎日」生が続きます。だから「毎日」が重要です。
食事も一度だけして生きられますか?息も数回まとめて吸って生きられますか?睡眠も数日間まとめて寝るからといって生きられますか?<毎日>食べて寝て、<絶え間なく>息をしてはじめて存在することができます。

 

信仰も、引き上げも「ある瞬間」で決まるのではありません。信仰も「生」であり、引き上げも「生」です。だから<毎日>食べて寝て<絶え間なく>息をするように、しなければなりません。
<過去>よくやって終わったからといって、持続し、保障されるのではありません。その生を現在も生きて、将来まで持続してこそ、保障されます。

 

毎日真実に祈る生、毎日御言葉を実践する生、毎日聖霊の感動の生、毎日引き上げの生を生きて、毎日三位一体に「見える人間」のように接し、三位と対話し交通し愛して生きなければなりません。

 
 
◆神様が人間に「自由意志」をくださったので、何かの綱で縛っておいて、神様とメシヤを信じている途中で嫌になっても出ていけないようにしておくことは、なさいませんでした。
だから死亡のほうに絶対に行くことがないように保障されてはいません。
しかし<自分の自由意志>をもって「自分勝手」にせずに、<自分の自由意志>を絶対に「神様と主」に任せて生きれば、その人は絶対に「世の中に流れて死亡に行く変数」がなく、絶対に「信仰が保障され、引き上げが保障され」ます。
 
  
 
 これを聞いて、私は
御言葉をただ教会で聞くことだけが、大事ではないんだ。
教会で礼拝に出られなくても、どんな状況になろうとも、御言葉を信じ、従い、行なうことが大事なんだ。
そうだとしたら、私は馬の仕事をやってみたい。信仰も生かしながら、馬の仕事もしてみたい。
 
 

つらいことももちろんあるだろう。
しんどいこともあるだろう。
投げ出したくなることもあるだろう。
でも、それは教会に通っていても起こり得ることだ。
だったら、私は私の気持ちにうそをつきたくない。

 
 
と思いました。それで、私自身の中では、気持ちが固まりました。
 
 
 
 私はつくばに戻り、牧会者の方と面談させていただきました。
私は面談前、これまでしてきたように、神様に
「この度私が決めた進路のことを、牧会者に相談しようと思います。私は、馬の仕事をやりたいです。
どうか、この話し合いが御心どおりになりますように。そして、私の考えた進路が、神様から見て駄目であるならば、牧会者を通して『駄目だ』と伝えてください」

 
 
と祈ってから、面談させていただきました。

 
 
 牧会者に
「馬の仕事をしてみたい、信仰を守るのが大変なのは重々承知しているけれども、やってみたい」と伝えました。

  
 
 牧会者の方は
「わかった。そこまでやりたいなら、やってみたらどうかな。
NORI君が、今の進路を、生半可な気持ちで言っていることではないということは、君が今年の初めから祈っている姿や、普段に様子でもすごくわかるよ。
でも、もしつらくなったり、しんどくなったら、摂理のメンバー、誰でもいいからすぐに相談してね。」
と言ってくださいました。
 
 

神様はわたしの姿を見てくださっていました。
神様は私を信じてくださり、OKサインを出してくださった、と感じました。
 
 そうして、私は自分の仕事を、馬の仕事に決めたのでした。

 
 
 

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就活を頑張る方たちへ

 長々と書かせていただきましたが、これが私の就活でした。
はじめこの就活体験を記事に書くということを依頼された時、私は書くべきかどうか迷いました。
というか、本当に書いていいのだろうか?とも思いました。

 
 
 私の体験は、一般企業に就職したいという、語弊があるのも承知で書きますが、ごく一般的な就活体験ではなく、
馬の仕事に就職するという、特殊なもので、私が書いてもあてはまる人が少ないのではないか?と思ったからでした。

 
 
 ですが、このブログの執筆を依頼してくださったメンバーの方から、
「特殊だからいいんです。あなたの就活体験の記事を誰かが読んで、神様との経緯を感じられればいいので、なんでもいいから書いてくださいね!」
と言われたので、書くことにしました。これが多少なりとも参考になれば私は感謝感激です。

  
 
 私は現在、教会から離れた所で信仰生活を送っています。
今就活を頑張っている摂理人の皆様へのアドバイスというのは、私自身からは大それたことを言うことはできません。
「教会に通える距離に住みなさい!」とか
「土日は絶対に休めるところにしなさい!」とか、その他諸々のアドバイスをしようにも
私は結果的にそういった摂理の先輩たちのアドバイスに逆らったため、できません(笑)
 
 

 私から言えることがあるとすれば
 
「自分の気持ちに正直になること」
「正直になったうえで、たくさん神様と相談すること」
「そして自分でその進路を決めた以上、その責任は自分で負うこと」
です。

 
 
 一人だと「なんで自分ばっかり・・・」と思うことも多々あります。
教会に通っているメンバーをうらやましく思うこともあります。
でも、それ以上に、神様との経緯もたくさんできます。
その経緯一つ一つが大きな宝物になります。

 
 
 だから、自分の可能性を自分でつぶさないでください。
神様と、真実に向き合って、一緒に就活すれば、必ず道は開けると思います。
この記事を読む就活生の方たちの健闘をお祈りし、この文章を閉じたいと思います。

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