摂理のスポーツ

摂理バレーボールの深み

摂理と神様を呼ぶこと。 こんばんは、satoです。 今日は休日でしたが、皆さんはいかがでしたか?私はというと… 今日は教会でスポーツがあったのですが、明け方からずっと起きてて、ご飯(おやつ…)食べすぎて頭がボーッとしてたのと、色々雑念が入って、あまり考えがまとまっていませんでした。なので試合でもミスばかり。 これではイカン!と思い、私がしたことは…「ひたすら神様を呼ぶ」でした。 スポーツ(バレーでした)に集中することも考えましたが、雑念のせいで感覚過敏に陥っていたので、それなら一つのことをひたすらしようと思い至ったのです。そして「神様を感じられないならひたすら呼びなさい」と先生の御言葉にあったので、「どうせ考えを強く持つなら、神様に集中だ!」とひたすら呼びました。 プレーの合間にひたすら「神様神様神様神様…」と小声で。 そしたら…その条件を見た神様が感動したのか、実力以上のプレーが連発したのです!たとえば、ちょっとミートしなかったアタックが「ブロックに当てて枠外に落とす」というファインプレーに! その前まで入らなかったサーブもサービスエースを取る! 特にサーブを打つ時には「考えがはっきり」しているのを感じました。魂体の形成でしたね。 そういうわけで、今日は「神様を呼ぶこと」の大切さを改めて実感した一日でした。  

2度目の機会

昨日の話ですが、熱くなったので書きたいと思います! 毎週日曜はスポーツをしています。 昨日はバレーボールでした1 最後のゲーム、21点マッチで、スコアは20-19… 1点ビハインドです。 これでも、序盤は7点くらい差がついていたので、かなり追いついてきたところでした。 で、サーブ権は僕のチームです。 そして、サーブは僕でした(^o^;) その時に私がとった行動はというと… 何故か、真ん中から左に移動したんですね(笑) 何故かと言うと、上手くない人を狙ってサーブをしようとしたわけです。 で、その結果… 失敗(;_;) でも、サーブミスで試合が終わっては面白く無いということで、もう一度、チャンスを貰いました!! 今度は、確実に下からサーブを打ち、見事成功! 次の1点は、僕達のチームが取りました。 そして、もう1点。 初めて、このゲーム1点リードしました! この試合の結果はどうなったかというと… 勝利しました(^o^)/ 21-22で、 この劇的な試合、神樣がもう1度チャンスを下さったと感じるしかありませんでした。 そのチャンスをまた逃してはいけないです。 もし、上からサーブをしていたならば、また失敗していたかもしれません。 2回目やるときは、方法を変えることが大事だと悟りました。 悟らせてくださった主に感謝します! 今日から配属となりました。 不安ばかりですが、頑張ります(^^ゞ  

摂理と積み重ね。

こんばんは、satoです。 今日の御言葉、主題は「たくさん行なってこそ一目瞭然でしるしが起こり、問題も解決する」でした。 たくさんやれば、できなかったこともできるようになる。シンプルですよね。正直…スポ根的発想(笑) しかし、「たくさん行いたくても力が…」という思いも出てきそうです。特に苦手なことに関しては…。そこに対しても鄭明析先生は答えを示してくださいました。 ある日、先生が明け方1時に起きたのですが、とても体が疲れていました。そのときに祈りたくない気持ちが出て、「私がこんなことをする必要があるのだろうか…」とまで考えたのです。 そのとき、先生にピカッと考えが! 頭に浮かんだのは「過去行なってきた信仰生活」と「ついてくる人々」、そして「行ってきた功績」でした。その力を受けて先生はやりたくない心がなくなり、来ていたサタンも吹っ飛ばしたのでした。 そう。 私たちには必ず「行なってきたこと」があるはず。その事を考えると…今次元を落とすことがもったいない!と感じるはずです。 「せっかくここまでやって来たのだから、ここでやめちゃうなんて、引き上げ成せないなんて…もったいない!」 それで、また力が来るのです。 逆に「これまでしたことがない」って人は、「行うことで得られる希望」を考え、力を受けるといいのです。 このこととは少し違うのですが、今日の教会でのスポーツで「積み重ね」の大切さを悟りました。 たとえば、こんなことが。 「サーブ来た!Tさん!」 「…うおっ!?」 「あ、外に行った…」 sato「(…追い付けそう!)」 ボールに向かって走るsato。 sato「(うん、ギリギリだけどフォローできそう。)よいしょ!」 「お、返せた!」 状況をうまく説明できなかったので、物語にしてみました。 つまり、弾いたボールをフォローしたのです。 このとき、私はちゃんと「ボールを見て」取れたのですが、これにはわけがありました。 先週も同じようにボールが外に出そうなところを全力で走って取りに行ったから、です。そのときはギリギリ追い付いてたのですが、ボールを戻すまでには至りませんでした。 ボールは戻せませんでしたが、そのときの感覚があったから今回も走って追い付き、成功したのです。 そのように全力で、集中して行ったことは失敗したとしても次に繋がるのです。 たくさん行う、と話されましたが、私のなかではこのような「少し上を目指す、努力する」のをたくさん、集中して行うことかな、と思いました。先生の御言葉でも「時間を多くだすのではなく、強度を上げてするんだ」という話が何回も出ていましたね。 他にもこのバレーで悟ったことがあるので、箴言風に書きます。 1.たくさん行うにしても、正しく知って行なってこそ、良い実を得る。 2.正しいことを繰り返し行えば、それが体質になる。 その上で、間違ったところを教えられれば次の次元に上がれる。 3.たくさん行なってこそ感覚が戻る。 4.たくさんやってもうまくできないのは「間違ったところ」があるからだ。 5.しかし、なにもしないままならば「間違ったところ」は一生気づかない。そうして、死んだあとにわかって後悔する。 6.たくさんやったら限界にぶつかる。そのときが自分をより完全にする最大のチャンスだ。たくさん行っているので体がほぐれ、考えがほぐれているから、新しいことを教えられても直ちに動けるからだ。 7.段階的にたくさんすることだ。飛躍はない。 8.いくら正しい方法を知っていたとしても、直せるのは「一つ」だけだ。その一つをたくさん行なって直しなさい。 9.多くのことをたくさんしようとしたら、一つ一つが中途半端になる。そうして身にならず、むしろ「本当にできるのか」と疑うようにさせる。 10.段階的に直していけば、瞬く間に完全になる。自分も気がつかないうちにできるようになっている、ということだ。 11.一つのことを直そうとたくさんやる。そうして新しいことに気づく。そうやって神様の歴史は進行する。 12.たくさんやれば、新しいことに自ら気づくようになる。そうすれば行うのは易しい。 13.「早くそれを教えてくれればもっと早く直せたのに」と思うのか? あなたが「基本の体勢」もしっかりしていないうちに教えても、意識して姿勢も崩れ、言われたこともできなくなるではないか。 あなたが「基本の姿勢」をしっかりできるようになったから、教えてあげたのだ。だから、すぐに修正できてより完全なアタックができたのではないか。 (アタックをするときに「後ろに飛ぶといい」と経験者からアドバイスされました。それを意識したら今までよりアタックが決まるようになりました。このことを人に話している時に受けた箴言です。) 14.これと同じく、まずは信仰の基本スタイルを完全に体質になるまで繰り返し訓練しなさい。その土台の上に矛盾を直すのだ。 (以上、御子からの箴言でした。)  

受け身体質から、一歩抜け出した先に見えた世界

受け身から抜け出せば、そこには責任が伴う。そして、喜びも。 こんばんは、satoです。 ここ最近のもがきの一つについて書きたいと思います。…たくさんあるな、もがき。ここ最近の記事は私のもがきの告白ばかりです^^; 昨日私が捨てられないものをあれこれ書いている中で、特に私が捨てられなかったものがあります。それが受け身体質です。

受け身体質と否定的思考のもととなる経験

私は過去の人間関係の経験から「どうせ期待しても、成されない。どんなに喜んでも、後には必ず奪われる」という強固な否定思考が根付いて、それ以来自分から何かをすることをやめていました。 そもそも、人間関係のトラブルの発端となった出来事が、「授業中に答えを当てようと、積極的に手を上げたこと」でした。 自分としては答えを当てたくて、ひたすら手を上げ続け、間違っても繰り返し手を上げていたのですが…。 それを「先生に褒められたくてしている」と思われたのか、はたまた「周りが見えていない、自己中心的なやつだ」と思われたのか、調子にのるな、と言われました。「周りが見えていなかった」というのは正しかったのですが。この辺りは発達障害の傾向が原因にあるようです。 積極的にやったことで、最も嫌な「人に怒られること」が起きてしまった。そして、その後も何回も自己主張したにも関わらず聞き入れてもらえなかった。 このことが「期待しても無駄だ」という否定思考、諦める思考の根本にある認識と思われます。 また、積極的にすることを恐れ、人に怒られたくないので「周りに合わせて生きる」受け身体質で生きていました。今でも、時たま「周りを見て判断する」癖があります。最も、周りを観ないと「いつまでも一方的に喋り続ける」というこれまた悪い癖があるので、そのバランス取りが必要なのですが(笑) さて、このように「やってもダメだ、得られない」という認識があるゆえ、積極的に物事を行なわなくなった私。 この受け身の生を捨てることが出来ず、「自分から話す」ことができなくなっていました。 私の場合、人に言われたらそのことに対して積極的に取り組むことはしていましたが、自分から何かするということに対しては常に「本当にしていいのかな?」と不安にもなっていましたね。人に言われたときに積極的にする、というのはそれはそれで受け身とも異なる気もしますが、「自発的に」行なうことに関しては考えが回りませんでした。おそらく私の興味の範囲から外れていたところもあったのでしょう…。

摂理の御言葉で…

どうせ何をやってもダメだという「ひねくれた考え」を持っていることに気づいた私。 そんな私が主日礼拝で心に残っているある言葉を思い出しました。 摂理の御言葉「自ら行う人は大変ではない」の中で次の言葉がありました。
わたしたちが行なってこそ、その条件の上に神様も「おまけ」でもっとくださり、行なったことの上に「ただ」でもっとくださって、財を得たように嬉しい気分にしてくださいます。
自分が行った分、ではなく神様はそれ以上に大きく与えてくださる。これは私自身が今まで摂理に来た中で体験したことです。しかし、どれくらい行えばいいのか。それについて鄭明析先生が夢を通してこのように教えてくださいました。 水をバケツからバケツに移す時、手で汲んだらいつまで経っても終わりません。そして、疲れます。 考えたその人は、ホースをつないで、口で5,6回吸いました。するとどうなるでしょうか? 水圧の力で自動的に水がもう一つのバケツに流れていったのです。 「口で5,6回吸う」小さい行いだけで、「バケツに水を移す」ことが自動的に成されます。 このように、私がすべきことは「口で5,6回吸う」だけの小さなことで良いんだ、ということが悟られました。

受け身体質から、一歩抜け出す

私が少しでも行えば、神様はもっと与えてくださる。 この御言葉は私にとって、一つの希望となりました。自分の根本的な問題と向き合って、神様にいろいろ正直に話したときに、この答えをもらいました。 そこで、みんなでバレーをしたのですが、その中で私ができる一つのこととして、積極的に喜んでやってみるということと認識を少しでも変えてみるということをやってみました。 最初はなかなかひねくれた考えが捨てられませんでしたが、パス練習をする中で安定したトスが出来るようになったことがきっかけで、少しずつ良くなり始めました。そのときに 出来る! という強い力が来ました。昨年強く受けた「霊的な力」です。 これがきっかけで、今回のバレーでは自分の実力を遥かに上回る力を発揮できました。 まず、いつもよりボールの位置をしっかり見ました。いつもなら自分の体を動かすことに意識が傾いてボールを意識できていなかったのですが、今日はリラックスして自然に動くことが出来ました。それで、ボールに意識を集中させることができたのです。その御蔭で、サーブが安定して入るようになったし、強いスパイクも対応することが出来ました。 そして、体がリラックスしていたからか、体制も以前経験者の方から教えていただいたフォームが出来るようになっていました。いつも自分がするとどこか不自然(で、みんなが笑ってしまう(笑))なフォームだったのですが、今日は完全にしっかり出来ていた、ということを経験者の方から教えていただきました。そのために、スパイクが来ても、しっかりレシーブが出来てセッターに返すことが出来ました。 そして、これが最も大きい変化だったのですが、どんなに点差が開いても必ず勝てる!という自信がありました。だから、いつでも笑顔でプレーが出来ました。以前なら点差が開くと「どうしよう、どうしたら良いんだろう…」と不安になっていましたが、不思議と今日は最後まで笑顔でした。 明らかに、今までの私とは別人でした。 今まで「自分の力で出来るようになりたい」と思った時には全く出来なかった技術的な面も、精神的な面も、完全に出来ていました。 それが、神様の御言葉を聞いて「受け身体質」から一歩抜けだしたときに起きたことでした。 ちなみに、このバレーでは私以外にも実力以上の力を発揮していた人がたくさんいました。少人数で試合をした際、人数も一人少なく、肉的な実力にも差があった(と認識していた)にも関わらず、その差を覆して勝利した試合がありました。不思議な事ですが、今日のバレーは今までで最高のレベルの試合だった、と思いました。いや~、神様はすごい(´・ω・`)

私ができる「小さなこと」

私が出来る小さなこと。それは御言葉で自分の認識を変えることと神様に正直に打ち明けることだな、と改めて思います。 自分の感情と向き合い、神様と共にいろいろ考え、原因を追求し、その原因となる認識を御言葉で変える。 これを要約すると神様を呼んで対話し、考えを変えることです。 そうすれば、神様と聖霊様と御子から力を受けて行なうことができます。神様から力を受けて行えば、後は頭を使って賢く行なうことで自動的にもっと大きいことをなすことが出来ます。 今回感じた「ちょっと行なうことで、少しずつ大きな結果を得る」秘訣。この感覚を持って、一週間の生活の次元を上げたいと思います(人´∀`).☆.。.:*・゚  

定着と前進、失敗と成功…挑戦してみて分かること

人生、もがきながら生きている。 こんばんは、satoです。 昨日数学を学ぶにしても、歴史を学ぶにしても「動作、流れ」を見てこそ理解できる、という話をしました。 そんな話をしたら、今日ある御言葉を聞いていて、まさに歴史の「流れ」について教えてくださる機会が!バレーをしたあとでかなり疲れていましたが、ちょうど私が理解できていなかったところがつながって、段々と全容が見えてきました。 明日から2月に入りますので、2月はこの「流れ」をまとめてみたいと思います。 摂理の御言葉にしても、世の中の事象にしても、「その一つ」だけを考えるとよく理解できないです。 たとえ、その言葉の意味を考えても、あれこれ勘ぐってもよくわからないままでした。 しかし、どうしてそのことが現れたのかとかどうしてこれが伝えられているのかその背景や前後を見ながら考えると、だいぶ自然と理解できるようになります。 「一つのこと」だけを考えて悩んでいた私ですが、何か一つきっかけがつかめたみたいです。本当に感謝します。 正直「やり方」においては失敗でしたが、そこから抜け出せるきっかけが与えられたなと感じました。

バレーで…

似たような話が今日のバレーでもありました。 今日は教会のみんなでバレーをしましたが、前回やったときに言われていたレシーブの方法を意識してやってみました。 そうしたら、今回もちゃんとできるようになっていました。レシーブが結構安定していましたし、うまくセッターに上げられるようになっていました。 これを通して、自分ができたことが「定着」しているのだ、ということが認識できました。 一方で、前回あった「見える」感じはあまり出ませんでした。 原因は、環境に気を取られて集中できなかったからでした。どうもこの心境はまずい、と思いひたすら主を呼んで集中しようとしてました。で、それをやる中で気づいたのですが… 私、普段生活で神様を忘れそうになる時ここまで主を必死に呼んでなかったヘ( ´Д`)ノ どうりでここ最近辛いなと思っていました。 しかしながら、今までも心が流れることはよくあることで。 それは自分の中で「この人と話したい」とか「この後これが…」とか「さっきこれが…」と気になることが溜まっている場合でした。この時「私の魂体」はそれについて必死に叫んだり、それをしようとしているわけです。 そういうとき、放置して無理に心を変えるのはあまり得策でなかった、ということを思い出しました。ちょうどさっき主を必死に呼んでいたのもこの方法に近かったのです。 そういう時一番良かったのはそういう自分に話しかけ、うまく一緒にバレーをできるようにすることでバレーに集中させるやり方でした。こうやって調子を良くしていた、ということを思い出しました。いやはや、失敗しましたね…(^_^;)

「間違い」ということ

今週の摂理の御言葉「間違いは死まで招く」。 この御言葉を聞きながら私は思いました。 そもそも、何もしなければ間違いなんて気づきもしない。間違うこともない。 でもそれは、何かをして間違うよりよほど問題なのでないだろうか…。 バレーで「失敗」したと話しましたが、それはバレーの中で人に心が流れず、ただ主に集中することができる状態、天だけを見ることが出来る状態が成功だ、と考え、それを目指して行おうとしているからです。 このようにどういう状態が成功なのか、どうすれば正しいのかをそもそも知らなければ、間違いにすら気づかないです。 そして、正しいことを基準にしてそうなるように挑戦するから、失敗したことにも気づけるし、もっと間違うことが多いです。だから、「間違いに気づける」、また「間違いを指摘してもらえる」ことが感謝だなと思いました。 人は挑戦しないと「何が正しいのか」も「何が間違いなのか」も「自分の限界」も「御言葉の威力」も感じられません。 そういう意味で、挑戦というのはとても大事なことだと思います。 私も明日から一つ挑戦したいことがあります。それは明日のお楽しみ、ということで…(^_^;)  

一人ぼっちのときには

先日、バレーボールを久しぶりにやりました。最初はセッターをやっていたのですが、あまりにも精度が良くならなくて、試合の途中で交代してもらいました。そうしたら、交代してうまくボールが回り、チームの持ち味が活かせるようになりました。チームプレーのスポーツは、一人のプレーが他の人のプレーにつながっていく面白さがあります。 普段、学校や会社で生活していると、自分の事は自分でやらなければならないため、あたかも自分がやっていると思ってしまうことがあります。 しかしながら、自分が全てのことをやっているかと思いきや、生活の色々な場面を見てみると、様々な人や物の助けを得て行なっていることがわかってきます。   今日も国産小麦で作られたパンを買って食べました。 パンを買うのに、店員さんが立て続けに、『こちらがおすすめですよ。』『あと2分でこのパン焼きあがります。』と伝えてくださいます。 あぁ、そうなんだなぁと思いながら、おすすめのパンとは別のパンを買った私ですが(^^ いやいや、とても美味しかったですよ。 メロンパンとお芋あんのパン。   もう一度食べたくなる優しい味です。 私の胃袋とハッピー度合いは、パン屋の店員さんとパンによって満たされるようになりました。 そして、パン屋さんも私がパンを買うことによって、お店の売り上げが上がりました。全てはつながっていくわけです。   まるで普段は自分一人だけだと思っている方がいましたら、実はそうではないんだということに気づいてもらえたらと思います。  

諦めない力

秋も深まるこの頃ですね。 今日は諦めない力を体験しました。 夕方からバレーボールをやったのですが、過去最高といえる内容になりました。 21点マッチ、2セットをじっくり行ないました。   ポジションは、1セット目がレフトスパイカー。 2セット目がセッターでした。   私は、バレーボールの経験者ではありません。 ですのでなかなか、経験者の選手のようにバシバシスパイクを打てるというわけではありません。 しかしながら、チャレンジしたいポジションでプレーできるのが、私が所属しているバレーボールチームの素晴らしいところです。   生まれて初めて、自分の意識通りにスパイクのコースを綺麗に打ち分けることができました!しかも、打ち分けるコースを空中で分かって変化させることができました。この感覚はすごいです。宙に浮いている感覚がはっきりとあります。   バレーボールをしながら、プレーに夢中になることもありますが、できるだけ、考えながらプレーするように心がけています。 バレーボールは精神力が非常に重要なスポーツですよね。 メンタル力が必要です。 特に、チームプレーですので、一人の選手の心持ちが、同じチームメンバーへのモチベーションを大きく左右してしまいます。 オリンピックなどで、バレーボールプレーヤーが他の選手とハイタッチしている場面を見ることが多いでしょう。他の種目ではそこまで頻繁にハイタッチすることも少ないのではないでしょうか。 絶対にスパイクを決める、絶対にレシーブを取る、絶対に打ちやすいトスを上げる。諦めない。そんな姿勢と精神が一目瞭然にプレーに現われてきます。   私も、今日は絶対にできると考えて、考えを決めてプレーしました。 そして、実際にイメージした通りにプレーした時に、驚くほどの結果を出すことができました。 考えの力はものすごい結果をもたらします。 バレーボールをずっとやってきてよかったと、しみじみ感じました。   2セット目はセッターをやらせていただきました。 後半、体力とともに集中力が落ちてきて、ボールがぶれることが多くなりました。 何とか、取り戻していきたいと願いつつも、現実は厳しいです。 技術的にも身につけることは身につけて磨いていかないとですね。 点差も開きましたが、メンタルは落ちることはありませんでした。 むしろ、点差が開いてもゲームが楽しめるくらいのメンタルは持ってやりました。 最後まで声が出続けましたね。   諦めず、最後まで考え行ない、楽しんでプレーしていきます☆  

摂理バレーと一流選手

摂理ではスポーツを行う事が多くあります! スポーツを通して、御言葉を実践し、より深く悟り、自分を成長させる機会になります♪ 鄭明析牧師もサッカーやバレー等スポーツを通して、教育して下さり、様々な国の人と交流し、平和の世界。地上天国を成してこられました(*^.^*) 摂理の農業人が東京の教会で走っていた時。 まだ伝道されて1年目!社会人1年目の頃の話です。 教会のスポーツでバレーをやっていましたが、春高バレー出身者。バリバリの大学体育会バレー出身者のメンバーが一人いました! その人のチームはその人を含めて、男性は2~3人。あとはバレー未経験者の女性で構成されたチームです! しかし、毎月の対抗戦はそのチームがいつも優勝します!!! 摂理の農業人のチームはほとんどが男性なのに、いつも勝てません(;´д`) その人のプレーを見ていて、摂理の農業人は一流選手の概念が大きく変わりました!!! 今まで「一流選手=自分が輝く選手」だと思っていました(^-^;) しかし、「本当の一流選手=周りを輝かせる選手」だと知りました! バリバリの大学体育会バレー出身者のメンバーは、周りのメンバー達を本当に活かすのが上手いのです! ポイントの時は自分で決めるし、難しい状況では全力で支えるプレーに目を奪われる程です(;^_^A 鄭明析牧師が「スポーツは芸術だ」とおっしゃった言葉がよく理解出来ます! それ以降、摂理の農業人のスポーツや一流選手に関する概念が大きく変わりましたし、信仰生活も同じだなぁと思います(*^O^*) 周りを輝かせる事により、自分も輝く! まだ鄭明析牧師に一度しか会った事のない、摂理の農業人はそのバレー選手の姿を見て、信仰の一流選手。 人生の一流選手である鄭明析牧師の姿を感じました! 摂理の農業人も鄭明析牧師の様に生きていきます(*^o^)/\(^-^*)  

摂理人のバレーと卓球の思い出。

こんばんは、satoです。 私は摂理に来てからバレーをするようになりました。もう5年になりますかね。 バレー…高校でやった時にはあんまり楽しくありませんでした。なんせ、ミスをしたあと、特にサーブが入らなかった時の「…あいつ何やってんだよ。」という無言の空気があったので。私はそこまで運動ができるわけではなく、ミスを多くしますから、この空気が出るのです。それが少し苦手でした。 もっとも、「人の目を気にし過ぎていた」から、こういう雰囲気に耐えられなかったということもありますが。私はこの時期、とても「人の目を気にする」人でした。(今もそうですが…) そんな私が、摂理に来て御言葉を聞いていく中で「人の目」をだんだん気にしなくなり、自分を出せるようになりました。その要因の一つとなったのが「摂理のバレーの雰囲気」でした。 摂理のバレーは勝ち負けが大事なのではなく、かといってただ楽しくやるだけのものでもありません。 バレーを通して、御言葉を実践して自分の精神を作るということが目的です。 なので、誰かが失敗しても責めたりはしない。その分、もっと自分が頑張ってフォローする。 スポーツが苦手な人でも暖かく迎え、楽しくできるように雰囲気を作る。 そんな中でバレーをしているうちに、いつの間にか人目を気にすることがなくなりました。「ここなら自分が受け入れられる。」そんな安心感があったのです。 (その雰囲気は私が書いた物語「過去の残像を振り切るっ!」を見ると少しわかるかもしれません。) そういうわけで、今でもバレーは続けています。そうしているうちに、最近ではレシーブが安定してきたり、集中力が増し加わり、バレーは落ち着いてできるようになりました。 (しかし、同時期に始めたサッカーは未だに落ち着いてプレーができない。 これは…サッカーがずっと動き続けることに原因があるのか、それとも私の心の問題か…。おそらく後者でしょう。) 20141020_2892568.jpg ところで、私は摂理に来てからバレー・サッカーをしましたが、この二つと同じくらいやっていたスポーツがありました。それは卓球です。中高6年間(受験もあるので実質5年間)部活でやっていました。そのきっかけは「卓球ならそんなに動かなくてもできるでしょう」という思い込みから。 しかし、実際には卓球は「動かなくてできる」スポーツではありませんでした。 卓球少女愛ちゃんこと福原愛選手などが試合をしているのを見たことのある人は分かるかもしれませんが、卓球は「かなり速く反応して動かないと勝てない」スポーツです。確かに長く走るとかそういうことはありませんが、その分「瞬発力」が要求されるスポーツです。 そして、「集中力」。卓球は相当集中しないと勝てません。なんせ、自分がボールを打ったと思ったらすぐに返ってきますから。それも強力な回転がかかって。 卓球が他の球技と大きく異なる(と私が思っている)特徴は「ボールの回転に大きく左右される」ことです。 たとえばバックスピンがかかっている球を普通に打ったら、相手に返せません。ちゃんとラケットを上に傾けて返さないといけません。 しかし、回転の弱い球にそうすると今度は相手に浮き球が返ります。相手はスマッシュを打ってきますから、これを取るのはよっぽど練習しない限り不可能です。(相手にスマッシュを打たせて取る、「カットスタイル」の選手もいますけどね。) さらに、横回転を掛けた球を返すには、その回転に合わせてラケットを傾けないといけません。 というわけで、卓球は「回転が左右する」スポーツです。 では、これをどう見抜くか?球は小さい上に柄もほとんどないので、球を見て判断するのは不可能に近い。 相手のラケットの振り方を見て判断するのです。だから、ずっと集中しないといけないわけです。ただボールを返すだけではなく、ボールの動き、ラケットの振り方、相手の動き…それを見ながら、自分がどう動くか判断して、勝負するのです。 そういうわけで卓球は「かなり頭を使います。」 自分がサーブをするとき、「この回転をかけたら相手はこう返すから、それを狙ってドライブ!」といったことをいつも考えるのです。これは「三球目」と言います。 卓球は「瞬発力・集中力・頭の回転」が必要なスポーツです。 で、私はこのうち「頭の回転」だけはありました。しかし技術が足りず、瞬発力も集中力も欠けていました。(「人の目を気にしすぎる」精神状態も大きく関与していたと思うけど。) 摂理に来るとなかなか卓球する機会がないのですが、今「人の目を気にしなくなった」私が卓球をしたら、どれくらい楽しくできるのでしょうか? それが、少し楽しみです(笑)  

バレーボールでの悟り~責任分担で勝利~

週に1回、バレーをしているのですがふと気になって、相手にとられる点数のうち、どれぐらいが自分たちのミスによって点数を取られているのか計算してみようと思って、数えながらやった時がありました。 その時は1ゲーム15点マッチのゲームだったので15対13で負けた試合の時でした。 15点のうち、サーブミス、レシーブミスなど、相手チームが決めたポイントではなく自分たちのプレーミスによって点数を奪われたものを数えていきました。 すると、相手のスパイクがちゃんと決まって点数を取られたのはわずか2点でした。 あとは、自分たちのサーブミス、連携ミス、ネットなどで点数を取り損ねたものばかりでした。 分析しながらプレーしたことで見えてなかったことが見えるようになりました。 15点のうち13点が自分たちの責任分担がしっかりできていなくて取られた点数だという事実に衝撃を受けました。 このように、生活においても環境や人が問題ではなく、自分の責任分担によって、できていないことがあまりにも多いのではないかと気づくきっかけにもなりました。 今までは漠然と自分の責任分担が足りていないからできないのだとふわっと思っていただけでした。 しかし、しっかりと分析してみると、責任分担によって解決するものが本当に多いのだなと実感するようになりました。 言い訳して自分を合理化していたことを悔い改めました。 まず、自分ができることがなかったのか、省みて直して生活の勝利をしていきたいと思います。
この世の中は、全て責任分担によって変わります。「それはおまえの責任だ」といって戦うんじゃないですか。その責任を果たしたら、自分が自分を生かすことになります。その責任を果たした土台の上に神様が働きかけるとき、完全に違った次元の歴史をするようになります。いくら神様が働きかけても責任を果たせなかった時にはできません。そのような責任を絶対視し、思想を絶対化しなければなりません。皆さん、神様の責任に関しては、心配しないで下さい。天の責任に関しては心配しないで、自分の責任について心配しなさいということです。 1999年4月18日  主日礼拝「責任分担を果たす人が勝利できる」から
 

バレーボールでの悟り~次元を上げると楽~

毎週礼拝後はバレーボール。 普段は高校まで部活でバレーをやっていたという人はあまりいないのですが、 今回は数人バレー経験者が来て、アタッカー専門の子が多かったです。 これで次元の高いバレーボールができると思い、張り切って試合に臨みました。 この日は全部で2試合。 1試合目から絞まった雰囲気でできると思っていたのですが、思った以上に盛り上がらない。 試合は勝ったが、チームの中でも盛り上がりがそこまで高くない。 なんでかなー?と思って原因を探りました。 一つはいつもより寒いということ。 寒いとパフォーマンスが発揮しにくいというのも事実。 動きがチーム全体的にかたく、なかなか一つになれていない感じがしました。 他の原因としては、チームが一つの方向に向かっていなかったということ。 毎回テーマを掲げてバレーをしていますが、個人の枠だけでテーマを意識してもチーム全体にはさほど影響は与えません。 バレーボールはチームスポーツ。 チームに力を与えるくらいのテーマ実践が必要ですし、テーマを忘れないようにチームに呼びかける声も必要です。 1試合目はテーマを呼びかける声も足りなかったように思えます。 試合は勝っていても、どこかプレーするのに対して少し辛く感じていました。 これらの原因が分かった時、私は少し諦めかけていました。 「このチームは今日、変われるのかな」という思いが瞬間よぎりました。 このチームが変わるためにはどうしたらいいですかと心の中でも神様に祈りました。 するとすぐに主日の御言葉が頭に浮かんできました。
次元を上げてこそ「楽で理想的な世界」が広がるし、次元を上げてこそ「最高の挑戦」に成功して「最高の生」を生きるし、次元を上げてこそ「リバイバル」します。 2017年2月12日主日の御言葉
この御言葉が思い浮かんで、辛いのは今の次元が低いからだと悟りました。 次元を上げれば、楽で理想的な世界を作れる!と思って、2試合目のプレー中はひたすら神様に次元を上げれるように祈りました。 中盤から徐々に雰囲気も良くなって、声も出てきて、動きにもハリが出て、相手からの強打スパイクも粘り強くレシーブするプレーが増えました。 マッチポイントには相手のレフトとこちらのライトの打ち合いが続いて、ドュースを数回繰り返した後、僅差で我がチームが勝利を手に掴みました。 まさに激闘。 2試合目は接戦でしたが、全然辛くなく、楽な心でプレーができました。 これもチーム全体の次元が上がったからなのだと思っています。 このことを通していくつかの悟りがきました。 ・次元を上げたいなら諦めないこと。 ・次元は徐々に漸進的に上がるもの、上げていくもの。 ・祈ったら神様がドラマティックな展開を用意してくださる。 ・次元を上げたら、楽で甲斐がある。 他にも悟りはたくさんありましたが語りきれないのでこの辺で締めくくります。 バレーを通しての悟りは深いです。]]>