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摂理のサッカーPart2

【美しい】最高のプレイ 皆さんこんにちは☆Yoです^^ ここ2日間、続けてサッカーをプレイしています☆ そんな中で、印象に残ったプレイを2つほど紹介します。   ①ダイレクトパス3回ワンツーからのシュート☆ これは、昨日のことですが、少し狭いグラウンドで、相手チームの守備のプレッシャーが早い段階でくるようなコートでした。 少しでも自分でボールをドリブルして持って行こうとするなら、すぐに止められてしまう、また、コート外に出て行ってしまうという状況があり、これはいかに攻めたら良いかと、もがくところがありました。 その時Yoは、トップ(フォワード)で点を取る役目でしたが、狭いコートで一人で点を取ることはとても難しいものでした。 それで、Yoを起点にポストにして、周りのサイドにいる人たちが両側から走ってワンツーでパスを出してシュートをするという形が自然に出来上がり、見事にパスがかみ合って、試合終了間際のラストシュートを決めることができました☆   ②女性選手同士のパスからのループシュート☆ Yoがサッカーをさせて頂いているチームには、女性の選手もいらっしゃいます。それで、男性女性ともに同じコートで試合をすることもあります。もちろん、男性女性の体格などもありますので、その辺はきちんと考慮した試合スタイルをとっております。 それで、同じチームで初めてトップをやる女性選手がいたのですが、『初めてです〜』と言いながらも、結局2点ゴールを決め、そのうちの1点は女性選手同士でのパスからのループシュートというものすごいプレイをしていました^^ いやぁ、男性顔負けのプレイに驚きを隠せませんでした。 皆、そのパスとシュートに歓声と笑顔が湧き上がりました☆   これらのナイスプレイには、ある共通点があります。 それは、何でしょうか?   それは、プレイの前に考えを極限にまで集中するという共通点です。 ①は、ダイレクトパスを素早く正確につないで網の目を縫うようにボールを運ぶ。 ②は、初めでだろうが何だろうが、ひたすらゴールを意識する。   という2点のことです。 すなわち、体でプレイする前に、考えを集中させてプレイした時に、最高のプレイができたということです。 考えで正確にプレイができたとき、驚くほど美しい実体のプレイが成されます☆ これは、事実です^^   何事でも、このように、考えで正確にプレイをすることが大切なんだなと、この2日間を通して学ばさせて頂いたサッカーになりました! 感謝します^^  

考えの目を開かなければならない!フットサルでの悟り

こんにちは!!摂理の大学生Luckです!     今週の日曜はフットサルをやってきました。     フットサルをするのも2か月ぶりくらい?かなり久しぶりに屋内で汗を流しました。     フットサルって目まぐるしく選手とボールが動くので、たくさん目を動かさないとついていけないです。     チームとしてのテーマが「見る」でした。     このテーマを意識してとことん選手とボールを見ることに専念していたのですが、サッカー未経験者の私にとっては見るだけではあまり効果はありませんでした。     見るだけではダメだ!と思い、もう一つ何が意識できるだろう?と考えたところ、チョンミョンソク先生の「考えの目を開きなさい」という言葉を思い出しました。 考えの目を開くとはどういうことかと深く考えてみたら、相手の動きを見て、これからどのような動きに移るのかを見る、すなわち未来を見ることだと感動を受けました。     未来を見ることを意識してプレーしてみたところ、味方からのロングパスを受けることができ、結果的にゴールに結びつく御働きが起こりました。     やはり、主の御言葉はすごいです。     過去も、現在も、未来も見て、日々の生活を過ごしていきたいものです。   futsal_top    
<前を見通す人>がいるし、<後ろを考える人>がいるし、<現実だけを見る人>がいる。 一つだけを見たら失敗する。 三つとも見て、現実において前を見通して生きなければならない。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
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落ち込みそうな時ほど感謝と笑顔

何かやりたいと願い、挑戦する。しかしうまくいかないときもある。 そんなときどういう気持ちでいるべきか。 落ち込んでいてはいけません。
人生の成功と失敗を左右するものは、考えが早く立ち上がるかどうかだ。 鄭明析先生の御言葉
  では早く立ち上がるためにどうすべきか。
生活の中で 感謝し笑う、その段階までのぼろう。理解できないと言って あなたの思いどおりにできないと言って 顔をしかめ、感情をあらわにし 口をつぐんで黙っていないで 24時間あなたと同行する御子を意識することだ。あなたの顔を笑顔にしてみなさい。あなたが置かれた限界の問題から抜け出すだろうし 心も考えも転換するだろう。 鄭明析先生の御言葉
思い通りにいかない時こそ感謝と笑顔。 自分はサッカーをするときに実践してみました(*`・ω・)ゞ   ミスをしたとき、普通なら恐縮して、プレーがはっきりしません。 そのまま続けても、メンタルが落ちていき、もっと悪いミスをするようになります。   しかし、感謝と笑顔を実践したら、大きく違いました。 大胆になり、自信がわいて、生き生きとプレーをすることができました。限界を抜け出し心と考えが完全に転換しました。   また、果敢に取り組む姿勢があったからこそ、チームの雰囲気も良くなり、指示の声、励まし声、感謝の声が最初から最後まで飛び交うようになり、すごく楽しかったです。周りの応援もいっそう盛り上がりました!! ピッチの外も中も一体となって、楽しむ最高の時間をつくれました。感謝です~( >ω<)ノ SHO  

女性選手がハットトリック達成!

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 昨日までの雨とは打って変わって、今日は朝から雲ひとつない快晴の空となりました。 Yoの住んでいる長崎市では、ここぞとばかりにバットやグローブを持ったソフトボールの人々が、各グラウンドに繰り出していました^^   Yoもお昼からサッカーをしました。 男女混合のサッカーで試合をしましたが、なんと、女性選手がハットトリックを決めて、得点王に輝きました!   その女性選手、3試合目の前半までは、ボールが自分のところにほとんど来ずに、シュートもほとんど出来ないという状況でした。 しかし、3試合目の後半、時が来ました。 面白いくらいにパスがつながり、ゴールが次々と生まれるようになりました☆Yoもアシストさせて頂きました^^ 自分がシュートしたわけではありませんが、同じチームの選手、しかもサッカーはほとんどしたことがないという女性選手が、男性顔負けのハットトリックを決めるなんて、衝撃でした! 3試合目の前半までやって、1点も入らない状況に悔しさを覚えていたでしょうし、後半に一層気持ちが強くなり、その女性選手のところにボールが通るようになりました。そして、頭の中でひたすら、ゴール、ゴールと強く意識しながら、ゴールだけを目指してボールを蹴り込んでいました。   結果を出すのに、経験や未経験は関係ないのです。 強い考え、継続した考え、最後まで諦めない考えが、最後の時間に奇跡のようなプレーを生み出し、ハットトリックを達成しました☆   今週一週間、より良い次元の考えを持ち、ハットトリックを達成した女性選手のように、自分が目標とすることを成し遂げます!!  

軽傷は重傷

日曜日、サッカーをして太腿を痛めました。 恐らく、軽い肉離れかと思います… 調べてみると、通常肉離れするのはそこではないということに… 良く言えば、それだけ激しい運動をしたということ。 悪く言えば、それだけ身体が弱いということwww   教会にいるトレーナーの方に少し聞いてみたところ、まあ大したことないよ。 とのことだったので、「一晩寝れば治るんじゃね」的な勢いで安心しきってました。 治療といえば、夜に十分くらい冷やしただけ(;´∀`)   それから、5日が経ちました…   症状は全く変わりません(ToT)   少し不安になってきました。   昨日、今更ながらシップを購入… まあ、もう1週間もすれば治るとは思いますが(汗)     一般的に、よく言われると思うのですが、 大したことない程、大事だったりします。 これは、これくらい…と思っていたが、実はやばかった!ってこともありますが、 そういう意味ではなく、 大したことないと思っていると、あまり気に留めないものです。 なので、放置気味になってしまうので、回復が遅くなってしまうのです。   中学の時、スライディングをして人生初の捻挫を経験しました。 でも、これくらいは…と思い、 ダブルヘッダーだったため、2試合目まで強行出場! 結果、治るのが遅くなりました。。。   じゃあ、逆に重傷は治るのが早いのか?   私は専門家ではないので、何とも言えませんが、早いと思います。かつ、しっかり治せると思います。 理由は単純。治療に専念できるから。   怪我だけではなく、風邪もそうですね〜 大したことないと思って、市販薬で治そうとする人。 (私は、そうしようと思って2週間治らず、病院に行ったら肺炎でした…(ToT))     せっかくなので、 聖書的に言うと、「罪」があります。 罪も大きい罪と小さい罪があります。 聖書がわからない方は、法律で考えてみるといいと思います。 例えですが、詐欺と殺人は罪の重さが違いますね。 ※勝ってな例えです。実際はどうかはわかりません… 聖書にも法律があります。 それは、神様が判断するのであって、人間の視点から見たのとは違います。 詳しくは聖書を学んで欲しいと思います(^^)   で、大きい罪は、ワリと「ヤベッッッ」と、感じると思うのですが、 小さい罪は、「これくらい良いだろう」と思って犯してしまいます。気づかないケースも多いですね。   ちょっとしたことほど恐いです。 小さいことほど大きく見て判断したいですね☆  

摂理のカウンターアタック!

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 今日は日曜日、雨も降るか降らないかという絶妙な天気の中、サッカーをしました! 寒いのだってなんのその(><! はじめは一番後ろのポジションを任されましたが、先輩から、前の方でやった方がいいんじゃないか?と、チームメンバーのバランスを見て僕に話しかけてこられました。 大丈夫ですか? と聞きつつも、その方がバランスがいいということで、先輩のおっしゃる通りにしました。   そうした第2試合目、先輩が後方で奪ったボールから一人サイドの選手を経て、Yoのところにパスが回ってきました。当然、相手チームの選手も追いかけてくるところを、ワントラップで前に振り向き、ワンタッチパスでフォワードの選手へ間髪入れずにパスをしました。 そうしたら、結構距離はありましたが、ドンピシャでフォワードの選手へ届き、見事にシュートが決まりました☆ あまりにも綺麗なカウンターアタックに、チームの皆びっくりしました(^^☆   機会は狙っていれば必ず来ます。 自分の考えでパスを出すのではなく、相手が欲しいタイミングで、まさにその時に合わせてパスを出せれば、機会をつかみ、勝利します。 カウンターアタック、瞬間の瞬発力でつながり勝利する味を得ました。 チーターのように、狙い続けます!  

タダで得るよりも条件対価で得る喜びが大きい

こんにちは!摂理の大学生Luckです! 今朝、サッカーを教会の人たちとしてきたのですが、テーマが 「タダで得るものはない。行なってこそ得る」 というかっこいいテーマでした。 もちろん、先生の御言葉からとってきて考えたテーマです。 私はサッカーが苦手で、ここ2ヶ月サッカーに行くモチベーションが上がらず、行こうと思っても当日になると睡眠に負けていかない日が続いていました。 2ヶ月ぶりのサッカーで体力が心配だったのですが、体力は全然落ちてなかったように思います。 生活の中で走る機会が多かったからだと思っています。 それでも、たくさん走っていると辛くなってきますが、それでも走らないと面白くありません。 一度、体が怠けて、歩いている時に味方がシュートを決めてくれたのですが、微妙な嬉しさしか来ませんでした。 これは、自分が頑張ったわけでもないですし、自分の行ないによってシュートに結びついたと思えなかったからです。 「よし、こういうことがないようにこれからは味方チームがボールを持ったら最善を尽くして走ろう!」 と決心して、味方チームがボールを持つや否や、すぐにパスコースやゴール前に走ることを徹底しました。 すると、ゴール前で僕の体にボールが当たり、はじいたボールを味方がシュートを決めて、ゲーム終了。 この時、私がゴールを決めたわけではありませんでしたが、たくさん行ったからこそ、相手の動きもコントロールすることができたし、味方にもボールがつながったので、まるで自分が決めたかのような嬉しさがこみ上げてきました。 なるほど、このようにただで得ることよりも、自分が行なうことで得る喜びを享受したほうがよっぽど甲斐があるのだなと実感したサッカーでした。 このサッカーを通して、苦手なお祈りにも挑戦していこうと思います(笑)
「ただ」を望むより、条件ー対価で「行なわ」なければならない。自分が労苦して作って行なって、期待以上に得ればいい。そうすれば「ただで得ること以上の喜び」が来る。 2016年1月17日主日 説教者:鄭明析牧師
 

学んでこそできる。人生は。

最近ふと考えていたのが、『学んでこそできるなぁ。』ということです。 ずーっと同じように生きていても、何か、面白く無くなってきます。刺激がなくなって来るんですよね。そうなると、何か、手持ち無沙汰になったり、あっちにこっちに行ったり来たりしてしまいます。 そういう時に、今まで聞いてきた御言葉が頭をよぎります。 あぁ、学ばなければ出せるものがないなぁ。   最近のサッカーで、自分なりに感じるものがありました。 サッカーをこれまで、自分なりにそれなりにフェイントを入れたり、パスを出せたり、シュートをしてきたりしてきましたが、いつも同じように出来るかというと、はいできますという自信がありませんでした。 流れの中でできるプレーだから、同じようにというのは確信が持てなかったのです。 しかし、それは、一流ではありませんよね。 やはり、できるようでも、自分に身についていないものなんです。自分に身についていると思っていたとしても、いつでも自由に自分が意図したプレーができるという状態でないと、本当には自分のものにはなっていないわけです。   それでどうすればいいんだろうなぁと考えていました。 考えていたんですが、鄭明析牧師も、サッカーをされるときに、そんなにサッカーの練習をしていないのに、いつもプレーが上手なんです。 特にシュートの精度と威力が半端ありません。 どうしてそんなにシュートがゴールに入るのか。   鄭明析牧師がおっしゃるには、『考えでプレーしなければならない。』 と言うことでした。 考えてプレーするのではなく、考えでプレーするのです。   いつも考えでプレーする。 身体がプレーしているようで、考えが身体を通して実体化しているだけなんですよね。 それで、考えでプレーすることを、プレーの前の日から取り組んでみました。 そうしたら、驚くほどにプレーの質が上がり、試合が終わった後、相手チームの方に『落ち着いていますね。』と、びっくりするような褒め言葉をかけて頂きました。 感謝します。   学んで、自分を作ってこそサッカーもできるように、自分を作ってこそ、人生の道も優しくいくことができるのだと、感じます。  

私の「盲点の窓」 相手に合わせて接することが神様の愛

こんにちは!摂理の大学生Luckです! 自分はよく相手に合わせないで自分の話ばかりをすると言われます。 自分では相手に合わせているつもりで話していても実際は独りよがりな話になっていることが多いようです。 ジョハリの窓でいう自分は気づいていないが他人は知っている自己「盲点の窓」といったところでしょうか。 相手に合わせるのも度が過ぎたら逆に軸の無い人とも思われるかもしれませんが、譲れない所以外ならどんどん相手に合わせていくのが得策でしょう。 ただ、合わせるのではなくて相手を愛する思いで合わせるのが大前提ですが。。。 聖書を呼んでいて、パウロ先生も相手に合わせる実践をされていました。
わたしは、すべての人を得るために、自ら進んで全ての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。 律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。 律法の無い人にはわたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが律法の無い人のようになった。律法の無い人を得るためである。 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。 全ての人に対しては全ての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 【コリント人への第一の手紙9章19-22】
これがパウロが主の精神を受けて、実践された愛なのだなと感じました。 自分のプライド、自尊心、メンツなど、全てを捨てて相手に寄り添って降りてくださる、これが神様の愛です。 この聖句を読んで、鄭明析先生がヨーロッパでサッカー大会を開かれた時のことを思い出されました。 私はまだ摂理に導かれていないのですが、映像で何回か見たことがあってそこに写っていた先生があまりにも衝撃的だったのを覚えています。 サッカー大会の合間に先生がヨーロッパの国々の人たちにコーラを注いで配っている映像を見て驚きました。 先生がコーラを飲むのは控えなさいと教えてくださっていたので最初は目を疑いましたが、2000年前にパウロ先生が民のところまで降りていって接したようなことをされているのだなとすぐに悟りました。 先生はコーラを注いであげていましたが、ご自身は全然口にしないので、ヨーロッパの文化であるコーラを愛する人たちに与えてくださっていました。 まさに先生は人々の所へ降りていって愛で接してくださる方なのだなと感じるようになりました。 私も先生のように相手に寄り添って接していこうと挑戦中です。  

衝撃のフットサル

今日はかなり久しぶりにフットサルをしました。本格的に室内でやったのですが、普段やっているサッカーとは大違い。いつもはサッカーをやっているので、フットサルもある程度ボールコントロールもパスも出来るだろうと思っていましたが、全然できない! ということが分かりました。   今日は約2時間ほどやりましたが、試合の最後の最後、残り10分くらいになって要約どうしたらもっとやりやすくプレーできるのか、感覚をつかむようになりました。 自分が考えていることと、やってみると全然違うものです。 フットサルをやりながら、これ、異世界のものだ。と正直思ってしまいました。   何が異世界だったのか、お伝えしますと、 ①ボールが自分の足元に収まらない。 ②ボールをうまくパスできない。 ③フットサル特有のスピード感への衝撃 ④ポジショニングとバランスが不明   まさに、異世界です。   あとで、先輩から聞きましたが、サッカーとフットサルは全然違うものだということをまずは認識することが大事だと言うことです。 なぬーーーー! どーりで、自分が思っている通りにプレーすることが全然できなかったわけです。   ということは、フットサルについてゼロから学ばないと分からないということですね。まぁ、まずはそのことを分かっただけでも大きな収穫です。自分が分かっていないということを、分かるだけでもものすごいことです。 ソクラテスで言うところの無知の知ですかね。 『自分はこう思っていたからこうしたんだけど』っていうのは、本番勝負の時に通じますか?   通じませんよね。 それ、あなたがそう思って勝手にやっていたんでしょ? と言われて終わりです。   仕事や、絶対に間違ってはいけない場面で、そのような状況になってしまったら、後悔するのは自分です。 ましてや、自分の人生において、こうすればいいと思っていたんだけど、と言って失敗してしまうことがあるとしたら、それこそ自分を恨んだり、悔んでも悔やみきれないことになってしまうことでしょう。 自分の過ちを認めること、自分の非を認めること、ちょっと痛いですけれど、その時に認めてしまえば、楽なんです。あとは、良くなることだけが残っています。 フットサルも、次回はもう少しマシなプレーができるでしょう。(練習すればですけれど^^;)  

思い浮かんだ時にやったら気分が良くなった

こんにちは!Luckです! 今日はサッカー大会でした。 私は自宅で在勤中でしたが、水曜日の御言葉を聞いて何かできることはないかと思い、祈ってみました。  
2017年9月20日水曜礼拝主題 やる時にやりなさい。悟る時に悟りなさい。思い浮かんだ時にやりなさい 鄭明析牧師
  足を怪我してプレイヤーとしては出られないから、何か差し入れをしようという考えが瞬間きました。 思い浮かんだらすぐ実践だ! ということで、近くのディスカウントショップで15個のカルビスを購入。 たくさんの人が集まっているだろうと思い、自分の教会の人たちの分だけ買っていきました。 新入社員の経済ではこれが限界なのでね。   15個のカルピスを自転車のカゴに載せて、いざグラウンドへ。 グラウンドには30人くらいの人たちがいました。 おや、思ったより少ない。 見てみると、私の教会の人は3人しかいない…   どうしようかな。このカルピス… と思っていましたが、優勝チームの差し入れにすればいいか!と思いました。 大会の主催者の方が私のほうにやってきたので、 足の状況や最近の状況などを話したついでに、差し入れについても話したところ、   一つのカルピスを2人で飲めばいいということになって、みんなに配り始めました。 おお、この発想はなかったぜ。 今思えば、少しでも全員に配ってあげるという行動は鄭明析先生の行動と重なりました。 これが地上天国かと感心。   多くの方から感謝され、とても気持ちのいい時間を過ごさせていただきました! 皆さん、お疲れ様でした。 神様、感謝します!  

摂理とスポーツの楽しさ~鄭明析先生のサッカーの御言葉から~

鄭明析先生は摂理の中で、よくサッカーをされた。 その目的はひたすら「神様に栄光を帰すため」である。 自分達がサッカーできるような健康な体に産んでくださった神様に感謝して。神様を知る私たちが喜びで走るその姿で喜ばせて差し上げたい、その一心でサッカーをするのだ。 だから、鄭明析先生はいつも手を抜かない。そして、数々の驚くべきプレーを魅せるのである。たとえば… ・ハーフライン付近からシュートを決める。 ・全速力(普通に速い!)でコートの端から端まで走る。 等々…。 ちなみに鄭明析先生がサッカーを始めたのは40代。それで、このようなプレーができるのか、とサッカー経験者も驚く。その裏には先生の精神である「ひたすら最後まで、できるまでやる」を持って何千回とシュート練習をするなどのたゆまない努力がある。 そんな鄭明析先生であるが、あるときには「試合中に面白いプレー」をなさることもある。それは、見る人や相手を楽しませるため、もっと言うと「相手の心を励ましたり、和ませたり」という想いがある。 ただ「勝敗を決める」ためのサッカーではなく「お互いに平和をなす」ことを神様が望まれているからである。 また、先生のいるところでは「危険な接触プレー」は絶対にないし、悪口、罵声もない。これも「人が傷つくことを神様が望まないから」である。 そう、鄭明析先生はサッカーをしている時でも「マナー、礼儀」を忘れない。これは…どのスポーツにおいても必要なことではないだろうか? 昨今のスポーツでは不正がしばしば起きる。サッカーだけでも乱闘や言い争い、人種差別をする横断幕等々…そういう悲しい事件が多い。 中高の部活でも監督や顧問が怒鳴り散らして、体罰をするというところが(減ってはきているが)未だにある。生徒も真面目にしないとか、ポジション争いで人間関係が悪くなることがある。 果たして、このような状態でするスポーツになんの喜びがあるのだろうか? 鄭明析先生のこの言葉は、今スポーツしている人にとって大切な「原点」であると私は感じる。 「楽しいから、喜ばせたいから」するスポーツ。その初心を忘れたくない  

摂理サッカー 2014年FIFAワールドカップ

今日で5月も終わり・・・ 本当に一日一日が早いです! 来月からはいよいよ2014年FIFAワールドカップ、ブラジル大会が行われます! 今回は20回目の記念すべき大会だそうです! 摂理の農業人も摂理に導かれてサッカーを始めました! 農業人はバスケ、格闘技の経験からずーーーーっとゴールキーパーをやってきました! ゴールキーパー歴は約10年・・・ 週1回ですが、プチ経験者ですね(^^;) 今回日本代表のお声がかかるかなと携帯をもって、待ってましたが残念ながら次回以降に持ち越しの様です(;^ω^) 農業人は休日も大学生たちとサッカーに勤しんできます! 単にサッカーをするだけでなく、鄭明析牧師の御言葉の御言葉と共にサッカーをしてきます! 「主一体サッカー!」 頑張ります(^^)/ 日本代表の皆さん、全世界の皆さんも天のコーチングを受けて、サッカーするのはいかがでしょうか(*^-^*) 『ゴールすることが大切なのではなく、マナーが大切です。人生を生きる時、より面白くて甲斐ある生き方をすべきであるように、スポーツをするとき負けん気も必要ですが、楽しくて仲睦まじくしながら、マナーがいい時により意義深いのです。』 『瞬発力を発揮して瞬間のピンチを免れることのできる知恵深い者になりなさい。』 『ボールをもらったら欲張るように、生活の中で積極的な考えを持ちなさい。自分が決心したとおりに行なうことがすなわち英雄だ。』  

摂理と積極性。~鄭明析先生のサッカーの箴言から~

どんなときでも、積極性は大事だ。 私がサッカーをするときはいつも女性と一緒にする。そうすると、どうしても「自分が決める!」というよりは「女性に決めてもらおう」と考えてしまう。 しかし、同じ「女性に決めてもらう」にしても、「自分を殺して」やるのと「自分から女性に決めてもらえるようにサポートする」ことは異なる。前者では女性に対して強いボールを蹴ってしまうこともあるが、後者だとそうならず、むしろ女性が決められるようによく考えてパスをするようになる。 私は前者になりがちなので気を付けたい…。 このように、何をするにしても「積極性」は大事だ。 ここで言う積極性は「自分が決める!」ということだけではなく、「自分の任されたこと、センターは自分がする!」という積極性だと私は思う。 サッカーもディフェンスの人がゴールを決めることは稀だ。 しかし、彼らは「ゴールを守る」ことに対して積極的だ。使命感を持っている。 これと同じように。 私たちは「自分に与えられたこと」に積極的に取り組まないといけない。 それが私たちの「使命」なのだから。    

摂理のサッカー FIFAワールドカップ

今、世間は2014FIFAワールドカップ(ブラジル大会)で盛り上がっています(^^)/ 摂理の農業人もブームに乗り遅れない様にサッカーについてのブログを書きます(‘ω’)ノ 日本は初戦残念でした(^^;) 結果だけネットで見たのですが・・・ 諦めないで続けて頑張ってほしいと思います! 鄭明析牧師のサッカーの箴言を読んで、日本代表の皆さんも頑張って下さい(^^♪ 姿勢が正しくなければならならない。 サッカーの基本は一日にして磨かれるものではない。 基本の技術は常に準備することだ。 基本が備えられてこそフォームがはっきりしてかっこいい。 正しくすることがフォームだ。 基本が備えられてこそ、神様が働かれることが出来る。 -摂理・鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師- 1994.10.11 私たちはこういうことをたくさん知って基本的な生活をしなければなりません。基本的な生活をするときにかっこいいし、その人に品があると言いました。 サッカーもどうしたらかっこいいのかと言いますが、シュートばかりたくさん決めるからと言ってかっこいいのではありません。歌手も歌うときにかっこつけると言います。  そうするには基本がなければなりません。基本があればかっこいいと言いました。かっこよさはやはり正常なことです。かっこいい生活をしたいなら正常な生活をすればいいのです。 1997年 まずは私たちの基盤が何か分かってそれを通してこそ説教に早く入っていけます。この世のことをするときは何でも基盤を整えなければなりません。お金を稼げる基盤が整えられていてこそお金を稼ぐことが出来ます。サッカーをするときもサッカーが出来る技術が備えられていてこそ自分の思い通りに出来ます。基本が備えられていなければ気分が悪いのでできません。 基本が備えられていてこそ神様が働きかけることが出来ます。やさしく言うと部屋の中でサッカーグラウンドと同じサッカーの働きをすることはできません。サッカーグラウンドが整えられていて初めてサッカーが出来ます。またバレーコートでサッカーは出来ません。たぶんフットバレーなら出来るでしょう。 1997年 サッ カーをするときも歯を食いしばって「今度は何としてでも落ち着いてボールを蹴ろう。」と思いますが、そうするのが難しいです。歯を食いしばって先生は学び ました。「今度は取られてもいいから絶対落ち着いて入れよう。」と思いました。落ち着きがあり、丁寧で、かっこよくしなければなりません。基本があってこそかっこいいです。基本がないと気分が悪いし、かっこ悪いです。スポーツをするときフォームががっこよくないといけません。フォー ムがはっきりしないですると、勝ってもすっきりしません。やたらめたらにしたからです。どうせならすべて備えてすればいいじゃないですか。やたらめたらに やって勝つときはその場しのぎでやるものですが、知識があって、教理的で、人格的にやって勝つならかっこいいです。 2004.12.7 基本姿勢、これが確実になってなければなりません。サッカーをしに入った人の基本は何でしょうか?パスが来ることをいつも分かっていなければなりません。自分にいつパスが来るか分かりません。パスだからといって必ずしも自分の体に来るとは限りません。自分の3~4m横に来ることもあります。だから基本の技術はいつも準備するのです。そのような精神がなければなりません。 世界的なスターでも時には失敗します。基本の技術が足りないからです。自分にボールが必ず来ると分かっていたら取られません。 サッカー箴言集「平和サッカー」より    

摂理サッカー ワールドカップ日本代表戦

サッカー日本代表戦引き分けでしたね・・・ ギリシャが前半1人退場したのに、1点が本当に遠かったですね(^^;) 「摂理の農業人がなぜ試合の内容を知っているの?」 誰かの声が聞こえます(;^ω^) 試合があったのは金曜朝の時間! 多くの社会人の方が仕事中だったり、通勤中だったのではないでしょうか? 摂理の農業人も仕事してました・・・ 仕事中で打合せや他の仕事をしているのに、周りはサッカーの速報をパソコンやスマホを見てそれを中継してくれていました(;^ω^) 社長に至っては事務所でテレビをつける始末・・・ 例にもれず、サッカー熱のあがっていたわが社でした(;´・ω・) 25日には予選最終戦ですね・・・ どうなるのかなぁ・・・ 日本代表の皆さん! 最後までの精神で頑張ってください♪ 鄭明析牧師のサッカーの箴言を是非読んで試合にのぞんでくださいね(*^-^*) サッカーをするためには、練習と努力、苦労が必要だ。ボールをたくさん蹴ってこそ楽に蹴ることが出来る。 -摂理・鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師- *下記掲載物は「仮訳」であり、後日内容が変わることがあります* 1997年 サッカーをするのを細かく見ておいて、そのままするのではありません。そのようにするなら国家代表選手のようにするのではないでしょうか?人々はグラウンドに連れ出しておくと、その時からかっこつけます。それではダメです。まず最初にかっこつけようとするのですか?最初からかっこつけたら腰が折れるし、脚が折れます。 練習をたくさんして来てから腰を回すべきでしょう。ただ何となく腰を回していて腰が外れたらどうするつもりですか?首、足首をただ何となく回すと外れます。 たくさん練習してください。たくさんの観衆が見るのに練習をたくさんしなければなりません。舞台に上がる人を見て下さい。演劇をする人や歌手は1,2か月練習をしておいて5分間舞台に上がります。血の涙を流す練習をたくさんして来てから瞬間見せて終わります。 信心のために自分を訓練しなさい、と聖書では言いました。 これらは努力です。しかし努力なしに行こうとする人がとても多いです。たくさん努力しなければなりません。 たくさん努力して、たくさん苦労すべきです。 私は去年から実業団チームを抜け出してプロのサッカーチームのサッカーをしています。誰かが教えてくれてそうなのではなくて、私自らが何か上がっていかな ければならないと感じたので、神様に祈りました。プロチームがプレーするように私もやらせて下さいと祈りました。テレビを見るとプロチームは速く動くし、 正確にパスをしていました。それを学んでプレーすると変わりました。 選手たちを呼んで「こっちに集まって。今度上げてくれたらかっこよく決める よ。ヘディングゴールの真価を見せてあげるから。」と言いました。そのとき失敗したら私も謝っていたかもしれませんが、自信満々でした。神様が共にして助 けて下さったのでコーナーキックが一尺高く上がってきました。それをジャンプしながら叩き込みました。どんな国家代表のゴールキーパーだとしても止められ ないボールでした。 今年は私が韓国で一番多くゴールを決めました。遊びでしても2000ゴール決めるのは大変です。立ってただ入れるのでもなく相手が止めます。見逃してあげているようでも、私の動きが速いので眺めているだけです。 このようにみなさんも執念深くやれば出来ます。私はサッカーの専門家でもありません。みなさんを扱っているうちに手足がズキズキしたので一緒に運動したのですが、専門家になりました。 その日になって歴史が始まると、人が春の日になってみな花が咲くようになると言いました。すべてのことにおいて花が咲くようにすべきであって、どうしてじっとしていますか? サッカー箴言集「平和サッカー」より  

摂理サッカー ワールドカップ

最近はサッカーワールドカップやサッカー日本代表の事でニュースが持ち切りだと思います♪ 摂理の農業人は日々の生活でバタバタしているため、日本代表の試合日程すら知らない状況です(;^ω^) しかし、FIFAサッカーワールドカップの根本は世界の平和のためだと(^^)/ 鄭明析牧師はサッカーを通じて、真の平和と愛について御言葉を伝えて下さっています! 鄭明析牧師と一度だけサッカーをしたことが私の宝の思い出です! 再びサッカー出来る日を希望に抱きながら今日も生きていきます♪ サッカーをするためには、練習と努力、苦労が必要だ。 ボールをたくさん蹴ってこそ楽に蹴ることが出来る。 -摂理・鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師- *下記掲載物は「仮訳」であり、後日内容が変わることがあります* 1988.9.12 練習の時、慌てず意識しないでするように、実戦は練習の延長戦だという気持ちで臨む時、良い成果を得られるのです。 1989.9.28 体を扱う時、最初は上手くいきませんが、毎回扱ってみれば上手く扱えるようになるように、この世を生きることも初めは上手くいかなくても、何度もしてみれば上手くいくようになります。 1989.4.8 練習でバテるなら実戦でもバテるものです。 1989.4.25 いくら走り回ってもバテないのは要領と技術が練磨されていることにあるのです。 1997年 私がサッカーをするのも力と熱心さだけで出来るのではありません。サッカーをするためには、長い間ボールを受ける練習だけを数千回して、ボールを後ろに回す練習も数千回して、ボールを早く蹴る練習も数千回しなければなりません。これらをすべて合わせてからグラウンドに出るのです。 信仰生活もそのような緻密な計画、研究と努力で接しなければなりません。ただむやみにすればうまくいきそうですが、うまくいきません。そ のように信仰生活をしている途中で座り込んでしまい落伍者になった人たちがたくさんいます。これは神様に接し仕えて愛する技術がないからです。みなさんも 私に会う前に神様を熱心に信じていましたが、すぐに離れて出て行ったのではないですか?しかしここでは信仰が一度入ると離れて出て行きません。私が神様は どうすれば喜ばれて、どうすれば信仰生活で離れて出て行かずに神様がギュッと掴んで下さるのか様々な方法を老練に教えてあげるから、みなさんが3年や10 年経ってもびくともしないし、むしろ時間が経てば経つほど信仰の根を深く下ろしていく姿が見られます。 サッカー箴言集「平和サッカー」より  

サッカー ワールドカップ日本代表最終戦

いよいよ明日はサッカー日本代表の最終戦です! 朝5時キックオフですね(^^♪ 摂理の農業人はその時間はいつも明け方の礼拝を捧げています♪ どうなるのでしょうか・・・ 日本代表の皆さん! 摂理サッカーの根本! 鄭明析牧師の御言葉を聞いて、最後まで諦めないで頑張ってください! あれこれ言う人も多いと思いますが、皆心では日本の勝利を期待しているのではないでしょうか? 日本の祈りがサッカーだけでなく、神様に向けられる日が来ることを願っています(^^♪ [鄭明析牧師の明け方の御言葉より]  「できないはずのこと」も二倍すればいい。
二倍考えを深くし、二倍研究し、二倍頑張ろうとして行なえばできる。

サッカー日本代表最終戦 摂理の御言葉

いよいよサッカー日本代表の予選最終戦ですね! どうなるのでしょうか・・・ 摂理の農業人はテレビがないので、結果だけ見たいと思います! 日本代表の皆さんにメッセージです(^^♪ [鄭明析牧師の明け方の御言葉より] 御言葉を行なう前は「果たしてできるだろうか」と疑った。 やってみたら「できるんだな!」と感嘆する。<行なう人>はしるしを起こす。
 

摂理サッカー

摂理を走る daiki @ 名古屋です! 摂理はサッカー抜きには語れません. 最近,名古屋ではたくさんサッカーをしています☆ 先生が教えてくださった精神でやっています☆ (「平和サッカー」は必読!!) 先日こんなニュースがありました! キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教など多宗教の選手が参加して世界平和の実現を祈願するサッカーの親善試合を開催! 「ローマ法王発案:多宗教サッカー試合 マラドーナ氏も参加」 この記事のコメントをピックアップしてみました☆ ~~~~~ マラドーナ氏 「サッカーは多くの戦争を止めることができる」 イバン・サモラーノ氏 「サッカーには国境がない」 法王 「今回の試合は、さまざまな宗教の信徒が互いに尊重しつつ、共に暮らす平和な世界を作ることができるという象徴的な行為だ」 ~~~~~ 摂理でサッカーをやる意味. サッカーを通して世界の平和がなされる! 名古屋でも,小さいかもしれませんがサッカーを通して,平和の種を蒔き続けていきたいと思います☆  

摂理の中心人物論 サッカーの悟り

こんばんは~! 摂理の農業人の教会に、日本を代表するサッカー使命者の一人が来てくれました! 彼はサッカーの技術も超一流でありながら、人格や心情も超一流です(*^.^*) 摂理の農業人も摂理に来て、サッカーを始めて10年を超えました(^-^;) 技術はプレー年数に伴っていませんが…(;>_<;) 今までの摂理サッカーでたくさん学び、悟ってきましたが、本当に今回の使命者からのサッカーを通しての指導は今までの固定概念をうち壊す、衝撃の時間でした(^-^ゞ ボールは命等と言っておきながら、命を扱う様に扱えていなかった事。 摂理のスポーツは勝ち負けではないと、言っていながらも勝負に固執していた事。 相手中心でなく、自分中心になっていた事。 使命者を通じて サッカーでたくさん学ぶ機会になりました! 目からうろこです!!! 声をからしながら、足を怪我でひきづりながら、走り回る姿に先生を感じました! 先生がサッカーを通じて、教育された意味を感じる時間でした(*^.^*) 時代の中心人物とサッカーを行う日に備えて準備していきたいと思います(^-^ゞ  

摂理サッカー 鄭明析牧師の教育とアクティブリフレッシュ♪

あっ! と言う間に、平日が始まりました(^-^;) 週末だ~!と、つい先程ブログに書いたばかりだと思ったのに…(;^_^A さて、皆さんは週末をいかが過ごされましたか? 数年前から「アクティブリフレッシュ」と言う言葉が流行った様に、休日にスポーツ等で体を動かす事が体の疲労を取る良い方法だと言う考えです(^-^)/ 「休みだから」と言って、夜遅くまで起きていて、次の日昼頃まで寝てる! そんな人はいませんか~? むしろ、休み明けに倦怠感がきませんか? 体は少し疲れたけど、気分はリフレッシュして、平日を迎えられるのが、アクティブリフレッシュのメリットです(*^.^*) 摂理の農業人もいつもは週末に教会のメンバー達とスポーツをしています(^-^)/ しかし、今週は幼稚園の作業とお客様が来られたので、スポーツに行けませんでした(^-^;) なので、摂理の農業人は子供達が上に乗っかってきながらも、筋トレにはげみました!!! やはり、体を動かすのは脳がスッキリしますね(*^O^*) 鄭明析牧師も「サッカーをしないとむしろ体に痛みがくる。サッカーをしてこそ、体がほぐれる」と何年も前から教えて下さりました♪ 鄭明析牧師の実践とそれによる疲労は僕達の想像や次元をはるかに超えたものだと思います(;´д`) そんな状況でも自らの実践からくる確かな言葉だと思います(*^.^*) 皆さんも「最近、疲れがとれないなぁ」と思うなら! 体をほぐし、体力をつけ、不屈の精神を学べる、摂理のサッカーに来てみてはいかがですか~(^-^ゞ  

サッカーを通して変わったわたし☆摂理 鄭明析牧師の熱き実践コーチング^^

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 皆さん、サッカー好きですか?
サッカー♡だにゃ

サッカー♡だにゃ

サッカーは一例です☆ サッカーじゃなくても、体を動かすのが好きという方、いらっしゃいますよね? Yoも、昨日久々にバレーボールで体を動かしました^^ 最近忙しくてバレーボールをやれていなかったので、「できるかな?うん、大丈夫だろう!」と思いきや、自分の思いとは裏腹に、1試合目で体力のピークを迎え、(ウォーミングアップの時点で既に感づいていましたが(笑))2試合目にはもう心は願うが体は動かず・・・(ノД`)・゜・。 終わって、はい、大反省会。 次回こそは雪辱を果たします☆(≧0≦*)ノ”ォゥ!!   摂理 鄭明析牧師も、身体を動かすことがとても好きな方です。特に、サッカーになると、脇目も振らず、もう朝から晩まで一日中サッカーをしていたこともあります。一緒にプレーしている選手もへとへとです。 そして、鄭明析牧師の得意技はバナナシュート!本当に誰にも止められません! ゴール前に人数が何人いようが関係ないんです。それで、一日に何十ゴールも決められました^^
自分の考えと行動が重要だ

自分の考えと行動が重要だ

目の前にゴールがあるんであれば、相手は関係ないんです。ものすごい集中力と、反復練習努力により、元々サッカー経験者では無かった鄭明析牧師は、牧師よりも若い高校生や大学生の選手相手に、一番シュートを決められていました。唖然とする光景です。 鄭明析牧師は、ただサッカーをやられていたのではなくて、サッカーをする姿を通して自分の人生をよく生きるための精神と実践する方法を伝えてくださいました。 ある時、鄭明析牧師はサッカーを通してこのようにおっしゃいました。
摂理 鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理

摂理 鄭明析牧師の明け方の御言葉より©摂理

失敗してもあきらめはするな。 次にその土台の上に残りだけちゃんとやれば大勝利だ。』   私たちは、自分なりの夢や、目標がありますよね。 また、いまお探しの方もいらっしゃるでしょうか^^ サッカーがうまくなりたいとか、バレーがうまくなりたいとか、バスケットがうまくなりたいとか、頭がよくなりたいとか、皆さん、いろいろな目標と、目標達成に向かって日々様々努力をされていらっしゃると思います。 しかし、過程の中で失敗し、落胆し、諦め、涙を流し、自分にはできないんだと考えて、諦めてしまっている方も多いのではないでしょうか? 鄭明析牧師はおっしゃいました。 『諦めるな。』と。 そして、 実践した土台の上に、またやって土台となり、またやって土台となり、そうやって最後までやり続ければ、必ずうまくなる。成功する。到達する!という精神と実践の力とを実際にプレーする姿で教えてくださいました。 Yoも最後まで行なう精神と実践を学び、様々に乗り越えられなかった壁を乗り越えることができました。例えば、営業経験ゼロのYoが、社内最年少で営業成績No1になり、潰れかかっていた全国展開の会社全体の売り上げを3年連続で3倍化し続けました。そして会社の営業統括マネージャーに抜擢されるなど、自分でも驚くほどの変化が有りました。(自慢でも何でもない事実です。)   私たちの前には、いつも決めるべきボールと、待っているゴールがあります。 そして、シュートをするのは、私たちです。 何があったとしても、夢を成し遂げる精神と実践で、あなたの人生というフィールドを最高に駆け抜け、ゴールという目標に向かって最後まで力強くシュートを放ち続けましょう!
さぁ、あなたのボールだ。

さぁ、あなたのボールだ。

目の前に広がる希望のグラウンドとボール。さぁ、皆さんはどうしますか?  

韓国サッカーを通して観る「摂理人の精神」

こんばんは、satoです。 しばらく更新できず申し訳ありません。 今日は「サッカー」を通して感じる摂理人の精神について書きたいと思います。 実は摂理人、よくサッカーをします。特に男性なら普段は運動しないような人でも。 私自身もあまりサッカーのような屋外球技はしなかったし、そこまで得意じゃないのですが、摂理でサッカーをやっています。ずっとやっていますが、未だにパスの精度がよくありません(^_^;)たぶん、体の動かし方がうまくないのだと思います。 さて、摂理人はどうしてこんなにサッカーをするのでしょうか? …鄭明析先生がよくサッカーをなさるから?確かにそれはあります。鄭明析先生はかつてサッカーをよくしていました。朝から始めて、日が暮れるまで、いや暮れてもやるくらい。 その鄭明析先生と一緒にサッカーをしたいから、摂理男子はサッカーをするのです…。 それでは、どうして鄭明析先生はサッカーをよくなさったのでしょうか? そのきっかけは、健康のためだったのですが…。 実は、鄭明析先生はサッカーを通して、摂理人たちに人生のあれこれを教えていたのです。 たとえば… アジアカップ決勝戦、韓国代表は前半45分に失点したあと、ゴールができないままロスタイムを迎えました。 しかし。 ロスタイムでソン・フンミン選手が土壇場で追いつき、同点にしました。 このとき、ソン・フンミン選手が看板を越えてサポーターたちと共に喜ぶ姿がとても印象的でした。 かつてW杯で一勝もできずサポーターから多くの非難を受けていた韓国代表でしたが、このアジアカップでの健闘によって、サポーターとの一体感を取り戻した、みたいです。 (こういう一体感、とても好きです) このように、摂理のサッカーでは「最後まで諦めない」精神が大切にされています。 鄭明析先生もかつて2点差で負けていたところを、神様からの感動を受けて諦めずに走った結果逆転したという話を聞きます。このように、諦めなければ必ず奇跡が起こることを鄭明析先生は教えてくださいました。 また、こんな話もあります。 「自分の位置を守りなさい」 サッカーで言うなら、自分のいるポジションの役割を果たすこと。 ゴールキーパーならゴールを守ること、フォワードならシュートを決めること。 その役割を果たすために集中すべきであり、またディフェンスでも自分のいる位置を守ることが大切です。 聖書でも… コリント人への第一の手紙12章14-18節 実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 同27節 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。 私たちはキリストを頭とした一つの体。そして、各個人に与えられた「個性」と「使命」があります。 これを守ることが大切なのだと、鄭明析先生はサッカーを通して教えてくださいました。
…というわけで。 今までほぼ毎日更新をしていたこのブログですが…。 少しの間更新頻度が下がります。具体的には…毎週日曜+α更新になります。 これは私に任されていた「位置」と「すべきこと」に集中するためです。 これまでブログを毎日更新することが私の「使命!」と思って最善を尽くしましたが、主がさらなる希望を与えてくださり「このようにして毎日しなさい」と教えてくださいました。本当に感謝します。 というわけで、これからしばらくは皆様にお会いできる日が少なくなりますが、どうかご容赦ください…(^_^;)

摂理のスポーツタレント 愛するサッカーマン達・・・

こんばんはー! 摂理の農業人はサッカーの試合に参加しました(^^)/ 摂理の農業人は摂理に導かれてからサッカーを始めました! しかも、最初からゴールキーパーです。 格闘技をしてきたので、サッカーのボールの蹴り方とは違う蹴り方の癖がついております(;^ω^) なので、修正するのに時間がかかりましたし、今でもたまに格闘技蹴りが出てしまいます(-_-;) 昨日のサッカーは農業人の所属するチームは直前のメンバー調整などにより、ポジションを試合開始5分前に決めるという準備不足・・・ 結果として、試合は負けてしまいました(^^;) しかし、色々な事を悟り、反省する良い機会になりました!!! なにより、摂理のスポーツは勝つ。負けるだけが全てではありません!!! 自分たちの準備不足で負けた事は悔しいし、申し訳ないと思います・・・ ですが、サッカーの大会自体は本当に終始愛と平和の大会でした(^◇^) サッカーのタラントを持つ人々がエキシビジョンマッチをしてくれました! 先生が「スポーツは芸術だ」とおっしゃった事が本当に分かる様に、芸術的なプレーが多く見れました!!! 足元の技術だけではなく、心情的なパス。味方を活かすプレーや声掛け。相手を思いやりながらプレーする平和のサッカー。 感動しました。 特に二人の中心的な位置にいる人が、トップからバックまで常に走り続けていました!!! まさに先生の姿を感じました(^◇^) サッカーのタラントを持つ愛するサッカーマン達・・・ その個性を見て、たくさん学びました!!! 摂理の農業人も気合を入れて頑張ろうと思います(^^)/ 個人的には摂理の有名ブログを書くあの方と一緒にサッカーが出来て、恵みでした(*´▽`*) あの方もサッカーのタラントの光を放ち、準備不足のうちのチームを何度も助けて下さりました(@_@) また一緒にサッカーをやる約束もしました♪ 楽しみにしております(^^♪  

摂理で学ぶスポーツ(サッカー)

今日は僕の経験も含めて摂理スポーツ・サッカーについて書きたいと思います☆   摂理に来る前、僕はサッカーが苦手(正直嫌い)でした… トラウマがあったんです… 268 サッカーの授業での出来事。 僕はキーパーをしていました。 236 相手のセンタリングのボールをジャンプキャッチ! ナイスキャッチ!と思いきや・・・   痛!!   その場で倒れ口元に手を当てると大量の血が流れていました。 オフェンスの子がヘディングしようとしたその頭が僕の顎(あご)付近に直撃したんです・・・ (その時授業担当の先生が全く見ていなくて、先生のところに報告に行くやいなや、「どうしたんだ?」と言われ、さらに衝撃を受けました…)   —————   人々は「サッカーは接触が多いスポーツだから怪我は付きものだ!」と言うかもしれません。 しかし、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師先生が教えてくださったサッカーは違います。 相手チームを敵として考えず恋人として考える「平和サッカー」です!! みんながその精神で取り組むから怪我がないんです。   怪我をして以来、サッカーボールを手にも取っていなかった僕でしたが、 摂理に来てサッカーをしていくうちに、いつしか僕のサッカーへのトラウマは消えていました☆ 今ではユニフォームもスパイクも買って摂理でサッカーを楽しんでいます☆ (ちなみに僕のスパイクは7777円でした!!!)   みなさんも摂理に来て「平和サッカー」を学んでみてください! これまでスポーツが苦手だった人も、トラウマだった人も、スポーツを楽しむことができると思いますし、 バリバリスポーツに取り組んで来た人も今の競技スタイルをより良く変化させるきっかけになると思います!  

摂理の代表するスポーツ サッカーと教育!

こんばんは~♪ 土曜日は教会での時間、家族との時間でどうしてもブログ更新が夜になってしまいますね(;^ω^) さて、今日は久しぶりに教会のスポーツに参加しました! 今日参加したのは、摂理の代表するスポーツのサッカーです(^^)/ 鄭明析牧師もサッカーを通してたくさん教育して下さります! 直接サッカーをプレーする中で! そして、今は御言葉でたくさん教育して下さります(^◇^) ↑ 摂理コミュニティーサイト、マンデーより♪ http://ja.god21.net/Square/LearningCenter/soccer/View/29805?page= 摂理・サッカー箴言ブログ(名言集) http://jmssoccerproverb.blog.fc2.com/ 摂理の農業人は、摂理に出会う前は少林寺拳法をしていたので、蹴り方がサッカーではなく少林寺式・・・ だいぶなおってきても、今でも蹴り方に癖が出てしまいます(;´Д`) 今日は教会のボスが自らサッカーを導いて下さり、鄭明析牧師と共にするサッカーの精神。 摂理サッカーの精神を学びました(*^-^*) 若い大学生達、社会人メンバーの中で一番出来ていなかったのは教会の男性最年長の農業人だったと思います(;´Д`) 凝り固まった自分のスタイル、方法、磨かれていない部分が露骨に出て、本当に恥ずかしく思いました・・・ 「鄭明析牧師と一緒にサッカーをしたい!」 「鄭明析牧師に力を与えて差し上げるサッカーをしたい!」 「自分がたくさん学び、磨かれたい!」 その切実な思いでサッカーの時間を過ごしました(*´▽`*) 普段はゴールキーパーをしている農業人・・・ 周りの兄弟たちの助けもあり、きれいな形ではありませんでしたが、2得点を入れる事が出来ました(^◇^) 鄭明析牧師に捧げたゴールです♪ 同じ時間を過ごすにしても中心に誰をお迎えするかによって、その時間がどの様に変わるか! 本当に悟り深いサッカーでした(^^♪  

サッカーでパスが繋がる秘訣☆箴言

皆さんこんにちは☆Yoです^^ サッカー、週1〜2くらいのペースでやっています。 理想はもっとたくさんやれることですが、時間を出すことに挑戦しています(笑)   サッカーは、とてもシンプルな競技です。 相手のゴールにボールを入れれば良いだけの競技です^^ はい、あまりにもシンプルに表現しすぎました。 でも、一言で言うならば、そのような競技ですよね。 そして、ボール1個さえあれば、どこででも楽しめるスポーツです。 南アメリカの子どもたちとか、よく裸足でサッカーをしている映像を見たりしませんか? 幸せそうにボールを蹴っている姿を見ると、何か胸に熱いものがこみ上げてきます。
裸足サッカー@摂理の御言葉を世界へ

裸足サッカー@摂理の御言葉を世界へ

サッカーをする際に最も大切なことは、ゴールにシュートを決めることです。そのシュートを決めるために、必要なドリブル、パス、トラップ、センタリングなど、様々な要素が入って来ます。 多くの要素を取り入れようとすると、やることが多くなってしまいますが、シンプルにやろうとすると、とてもシンプルにプレーできる部分も有ります。   Yoも、サッカーではドリブルよりも、パスで繋いでシュートまでもっていくスタイルが多いです。 ポイントは3つです。 ①パスを受ける人にボールを送る前に、心を送る。 ②ボールを受ける人と考えが合ったと思った瞬間に、正確にボールをパスする。 ③ボールをパスしたら、パスしっ放しにせず、すぐにまたボールを受けるフォローの動きをする。   自分たちのボールになったら、ポジションを整えて、すぐにパンパンパンと、スピード感をもってかつシンプルにパスを出していけると、自分たちでも驚くくらいアッと言う間にシュートに繋がります。  

サッカーで平和をなす?

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 最近大学1年生に間違われました(笑) 良いのやらどうなのやら分かりませぬ。 ひとまず、健康のために食事内容に気をつけることと、毎週運動をすることは意識をして取り組んでいます。 あとは、お風呂上りに毎日化粧水をつけることですかね。 化粧水は以外と効果アリだと自分でも考えています(笑)   人は見かけが問題ではありませんが、内面(精神、性格、生活スタイル等々)が反映されるように管理することは重要だと考えています。 そして、内面の性格や個性が現れるのが、自分が普段書く文字の形や大きさだったり、スポーツだったり、お部屋の様子だったりします。   客観的にみてよくわかるのは、スポーツでしょうか(^^ 特に、団体スポーツを一緒にやってみると、どういう性格の持ち主なのか、最近は段々とわかる目を持てるようになってきました。 消極的なのか、積極的なのか、自分でするタイプか、周りを支えるタイプか、勝負強いのか、駆け引きが上手いのか、短気なのか、のんびりしたタイプなのか、様々な面が現れてきます☆不思議ですね。   また、スポーツはやっていると段々と熱中してきて、ヒートアップしてしまうこともあります。特に、サッカーをやっていると良く聞く話ですが、敵同士お互いの足を狙って蹴ったり、スライディングしたり、相手の服を引っ張ったり、スパイクでわざと踏んだりなど、様々に胸が痛い話が耳に入ってきます。 (Yoは小学生時代サッカーをしていましたが、中学校以降、選手同士のプレーが荒くなることを知っていたため、小学校を卒業してからは好んでサッカーをしなくなった人でした。)   しかし、平和のスポーツとして、ワールドカップ等々で必ず競技にある種目がサッカーです。サッカーを通して、平和をなそうと、努力しているのです。 しかし、平和が訪れているでしょうか?
平和サッカー?

平和サッカー?

非常に危ないプレーになってしまっていますよね。 これは、プロのサッカー選手たちのプレーです。 如何でしょうか?   プレーする一人一人の心に、平和が刻まれ、平和が核となる考えをもってプレーできなければ、平和な祭典、平和なサッカーはすることは出来ません。 なぜでしょうか?     サッカーは、考えるスポーツだからです。 考えが荒いと、プレーも荒くなり、考えに礼節、マナーがあると、プレーも礼節、マナーに溢れた試合展開になります。お互いにプレーしていて気持ちがいいのです。勝敗は大事ですが、勝敗だけからは得られない充実感、達成感、喜悦感、一体感、様々な良い感情が生まれ育み、平和をなす人格を形成することができるのも、サッカーの素晴らしい特徴です。   そのためには、平和なサッカー、相手を大切にするサッカー、敵を敵だと思わないサッカーをする精神が必要です。鄭明析牧師は、そのような精神をもって、なんと、30代からサッカーを始められました。そして、全世界の若者たちに、サッカーを通しての人生の考え方、また、正しい人格の持ち方を教えてくださっています。   Yoも、鄭明析牧師から習った精神をもってサッカーをするとき、奇跡的なプレーがつながり、最高に一体感を感じる試合ができるときがあります。 つい前回の試合がそのような試合でした。 平和のプレーをし、そのような姿を未来の若者たちが見ることで、全世界の若者たちの希望となれたら、言うことはありません。幸いなサッカーです。 プロ、セミプロのサッカー選手だけが魅せることができるのではありません。 正しい考えをもった選手が、平和と希望のサッカーを魅せることができると信じます。 平和の考えで、平和のサッカーを、全世界に実現だ!   Yoのいるチームは後半になるにつれてどんどんチームの息が合っていき、シュートに繋がりました☆   ボールを送る前に、まずは相手に心を送ること、これが大切な要素だなぁと感じます。   鄭明析牧師は御言葉の中でこのようにおっしゃいました。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より©Mannam&Daehwa

鄭明析牧師の明け方の御言葉より©Mannam&Daehwa

『「やれば」今日得て、「やらなければ」一生経っても得られない。』 (鄭明析牧師の明け方の御言葉より©Mannam&Daehwa)   まさに、パスも「やれば」繋がり、「やらなければ」どんなに前に進もうとしても限界が有ります。 いつも、「やる」という精神と考えを持って、いつも得るべきものを得る毎瞬間を送っていきましょう(^^)/  

摂理のスポーツ! サッカーが出来る感謝♪

ども~! 朝晩の冷え込みが凄いですね(^-^;) 摂理の農業人が住む広島県では、朝の最低気温が5℃より下回る地区もあります(;>_<;) 「寒くなってくると昔痛めた古傷が痛む」と言うのはよく聞く言葉です! 摂理の農業人もその一人です! 大学生時代にバリバリの体育会系の部活に所属し、ハードなトレーニングと試合をしていたので、怪我も何度かありました(-_-;) 特に右足は何度も肉離れをしていたので、少し激しい運動をすると足の神経がパンパンに張ってしまい、足首が動かなくなります… 左目も至近距離からの膝蹴りが入り、数年ほぼ視力が無い状況でした! 今思うとよくそんな状況で部活を続けていたなぁと思います(-_-;) 大学生時代には部活に全力で打ち込んでいたので、引退と同時にスポーツは出来なくなるのかなぁと思っていました! 摂理の農業人と同じ年代の人で現役でスポーツをする人は少なくなってきます(^-^;) しかし、 摂理に出会い、鄭明析牧師の精神と御言葉を学んだ農業人!!! 今でも行ける時はスポーツに行っています! 日曜は家族全員でサッカーに行ってきました! もし、摂理に出会っていなければ休みの日はきっと家でごろごろしていたでしょう(;´д`) 若い社会人や大学生に混じって、今でもサッカーが出来る喜び! 摂理の愛する仲間達と共に汗を流し、共に美しい星や夕焼けを見られる祝福に感謝です(*^.^*) サッカーを通して、鄭明析牧師の精神を学んでいきます(^-^)/ 摂理・サッカー箴言  

平和サッカー蹴り納めしました☆

皆さんこんにちは☆Yoです^^ 今年も残すところ、あと3日になりました。 今日は、長崎市内の某サッカーコートにて蹴り納めをしました! パチパチパチ♪^^)   爽快な青空のもと、早朝からお月様もお目見えして、新鮮な空気の中の蹴り納めとなりました。 平和サッカーを実践すべく、私たちに与えられた面白ルールは、 ①ゴール前以外にはドリブルして攻めることはしない。 ②ゴール前以外には相手チームのボールは取ってはいけない。 ③2人で相手チームの選手に近寄って、肩にタッチをしたら、もう一人の選手がボールを取っていい。   というルールを実践しました〜☆   サッカーとなったら、相手からボールを奪い、自分は奪われまいとして荒くなってしまいがちなスポーツです。 そのスポーツの根本を覆すかのような、相手のボールを取ってはいけない、その代わりにドリブルしてはいけない。パスで繋がなければならない。というルールです。   このルール、やってみると面白いのです。 はじめは何かよくわからない感じがしますが、慣れてくると、パスをつなぐために周りの選手も自分もとにかく仲間とタイミング、ポジショニングを意識しながらフォローで走り回るようになります。 そして、相手のボールをとってはいけないので、相手チームの選手との身体的接触もありません。危険なプレーに陥りがちな部分が発生しないということです。怪我をすることもほとんどありません。   サッカーをしながら、平和にプレーができるので、楽しいです。 そして、考えながら落ち着いて的確につなごうという意思のあるパスプレーができるのも、慣れない未経験者の人にとってもいいですし、また慣れている経験者の人でも、新たなルールの導入に焦ってうまくプレーできないという自分の内面の実力を測る良い機会になりました。   何事も締めくくりが大切ですが、新たな変化のきっかけとなる蹴り納めとなり、参加したみんなが爽やかな笑顔で締めくくれた時間になりました。 平和サッカー、得るものが多いですyo☆^^  

サッカーが楽しくなるコツ

皆さんこんにちは☆Yoです。 今日はサッカーで良い運動をしました。 サッカーというと、どれだけ点を取れるか、どれだけすごいプレーができるか、というところに目が行きがちですが、今日は、ディフェンスは足を出してボールを取りに行かないというルールを設けてゲームをしました^^   ディフェンスがボールに対して足を出さないので、接触して怪我をするリスクが格段に減りました☆ ディフェンスは壁になって、パスのシュートコースと、ドリブルのコースを防ぐというものです。 これだけでも、うまくできれば実は、かなりの確率でボールをカットすることができます。   そして、オフェンスですが、ゴールに一番近い人を中心として、いかに最短距離でゴールを入れられるかを目標に、チームメイト各々が各自の目標を設定してゲームに臨みました。 ゴールに一番近い人を中心にするのは、ゴールに一番近い人にボールがパスできれば、ゴールは必然的に一番入れやすいからです(^^ また、チームとしても、ボールを運ぶ際の目標があるので、チームワークで一つになりやすいです。 サッカーの専門用語で言うところの、ポストプレイというやり方でしょうか。   実際、この方法で、チームメイト2人が1点ずつ得点につながりました。 そして、Yoが史上初と言っても過言ではない4得点を入れることができました。 自分の力ではなく、チームが一つになってボールが繋がったからこそ、シュートすることができ、ゴールを入れることができるようになりました^^   Yoのいるチームは、経験者も未経験者も混ざっているチームです☆ ですので、各々の習熟段階に応じてやれることは違うのですが、お互いをわかって対話しながらプレーするとき、一つになって一体感を持ってプレーできることが、とても気持ちがいいと感じます。   サッカーでもなんでも、対話をよくしながら疎通してやるときに、物事はうまくいくのだなと、感じさせて頂いたサッカーの時間になりました☆  

6時間耐久サッカーで先生の精神を体験。岩崩れても変わりはしない。

こんにちは!摂理の大学生Luckです! 6時間耐久サッカーがどうだったのか、報告してませんでしたね(^^;

自己評価ではありますが、目標にしていた走りきることはできたと思います!

サッカーをやってきたわけではないので技術は下手くそです。

だから走るしかないんです、わたしは!

一生懸命走りましたよそれはもう。

体力の限界を越えた時に自分自身が見えました。

「倒れたあとにすぐ立ち上がる」

副牧会者の方に言われて、自分のタラントに気づけました。

あとは、「細やかさが足りない」という短所も見つけていただきました…

サッカー後はMVP.MIPの授賞式もあり、今回は新しくMUPも選出されました。

ありがたいことにMUP賞をいただいて、神様からのご褒美をいただきました!

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MUPとは most ultimate player の略で、最も極的なプレーをした人に贈られる賞です。

肉の限界を越えた時に、何度も立ち上がってこそ、神様が祝福をくださるのだなと感じるようになりました。

先生の精神「岩崩れても変わりはしない」

この精神を体験できました。

先生とサッカーしたいです!

サッカーで負傷!準備が大事!

こんにちは! 摂理の大学生Luckです!

毎週のようにサッカーしていますが、この前のサッカーではレガース(すね当て)をしないで行きました。

理由は「めんどくさかったから」です。

そう、怠惰でした。

こういう日に限って、悪夢がやってくるものです。

案の定、接触プレーで、すねを負傷しました。

すぐに治って大事には至りませんでしたが、完全に隙があったのを思い知らされました。

このように、信仰的にも隙があるのだなと痛烈に感じとりました。

主よ、隙だらけの信仰生活をしていてすみません!

準備が大事! 怠惰を直す! 隙を見せてはいけない!

そのように自分を戒めて、残りの1日を過ごしました。

以後、気を付けます!

作ったのに使えなかった サッカー大会の雪辱

摂理のサッカー大会がありました。 私は本大会に向けて、1か月近くの間、シュート練習をほぼ毎日してきました。 摂理でサッカーを始めて5年以上が経ちますがなぜかインステップキックが上手くできないのです。 022 だから、強いシュートもなかなか打てずにゴール前ではもどかしい思いをたくさんしてきました。 今年のサッカー大会は学生生活最後の大会でもあったので、しっかり準備しようと思って練習して臨みました。 練習の成果も出ているのは自分でも感じており、ボール持ちもよくなり、パスも次元が上がっているのを感じました。 左サイドハーフをやらせて頂いたのですが、ゴール前まで走っていった時、味方から絶妙なパスが私の足元に来ました。 ゴール近辺には相手のキーパーとフリーの教会指導者と私。
目次

「よし、ここで練習の成果を見せる時だ!」

と思いシュートを打とうと思ったのですが、瞬間、考えが変わりパスをしようとしました。 しかし、体が言うことを聞かずに身体がゴールに向いていてパスも出せず、シュートも中途半端になりました。 結局、相手のキーパーに取られてしまい、絶好のチャンスを逃してしまいました。 1231365-adidas-brazuca-400x270-mm-100 せっかく、シュート練習をしてきて技術を作ってきたのに、使うことができなかったのです。   残念! このように、今まで自分が作ったことがあるのに使わなくて無用になっているものがないのか振り返るようになりました。 作ってきたもの、全てを神様のために使っていきたいです。     0000063072_cf88118aa2ba88de549d08038ae76606n
存在しても作らなければ、無用のものだ。 作っても存在どおりに使わなければ、やはり無用のものだ。   鄭明析牧師の明け方の御言葉より
 

サッカーでの悟り~多くの選択肢から最善を選ぶ~

本日は春休みということもあってお昼にサッカーをしてきました。 サッカーを通して今週の御言葉を悟れるように意識をして臨みました。  
<よいもの>を得るためには、<多くのもの>から見て、また見て、探し、また探して選ばなければなりません。 2017年2月19日主日の御言葉「神様が選んだから貴重だ」から
  多くのもの、多くの選択肢を用意するところから意識して、 その中からよいものを得られるように分別しながらプレーをしました。 サッカーをしながら、多くの選択肢を用意するには以下のことが必要だと感じました。   一つ目、冷静になること 冷静になれば周りが見えてきます。 サッカーにおいても周りが見えれば見えるほどパスの選択肢が増えるものです。 自分の視野を広げるためには、または自分の次元の考えから抜け出すためには冷静になってみることが大事なのだと感じました。   二つ目、実践すること 実践すれば選択肢が増えます。 サッカーにおいては、ボールを持っている人に走って近づいてこそ、選択肢が増えます。 例えば、自分がパスをもらおうとする素振りをすれば相手チームの選手が自分にマークに来ます。 そうすれば、味方のパスコースが空きますよね。 あと、たくさん自分が動けばフリーになってボールの持ち手が自分にパスが出しやすくなります。 といったようにサッカーにおいてもたくさん走る人、たくさん動く人が選択肢を増やすことができます。 人生においても同じです。 自分が実践してこそ選択肢が増えますし、自分が技術を磨いてこそできることが増えて選択肢も増えます。 実践してこそ、良い選択肢がたくさん増やせるのだなーと感じるようになりました。   選択肢をたくさん増やしても、結局は一つの選択しかできません。 どうやって選べばいいのか、御言葉ではこのようにおっしゃいました。  
『強く、よく、変わらないもの』を選びなさい。そうしてこそ長く経っても後悔しない。 全能者三位の考えと一体になり、三位といつもくっついて一緒に生きなさい。 2017年2月21日主日の御言葉「神様が選んだから貴重だ」から
  強く、よく、変わらないものかー。と頭で分かっていてもそれを分別する力がないのが私です。 これも悟れるようにと祈りながらサッカーをしていたら、象徴的な出来事がありました。 私にボールが回って来て、パスをSさんにするかHくんにするかで迷っていました。 迷った挙句、自分では決められないと思い、声に出しました。 「Sさんにパスするか!?Hくんにパスするか!?」と大声で。 すると、相手チームの選手がSさんにマークにいったので、Hくんへのパスコースが空きました。 ここだ! と思って、Hくんにパスを出したら、しっかりと通りました。 このことを通して、悟ったことがあります。 選択肢を多く用意したら、声に出してみること。そうすれば、自ずと最善の選択がどれなのか判断できるということです。 もっと掘り下げると、選択肢を眺めながら自分の頭の中に閉じ込めていないで、外に出して三位に祈ること。 そうすれば、三位が何らかの形で最善の選択が選べるように道を示してくださるのだなと感じるようになりました。   サッカーを通して貴重な悟りを与えてくださった神様と主に感謝します。  

社会人になって初めてのサッカー

社会人になってはじめてのサッカー。
スポーツを通して先生が人生について教えてくださいました。
今日もサッカーで人生を学べるように祈って臨みました。
大学生の時にやってサッカーの感覚と、社会人になってからのサッカーはまた一味違います。
サッカーは目まぐるしくプレーが動いていくスポーツ。
その中でもチャンスは一瞬。
自分の状況が悪くても、チャンスが来た時に掴まなければもう来ることはほとんどありません。
特に若いうちはいくらでもチャンスはあると思っていましたが、
社会人になってくると、一回のチャンスが本当に貴重だと感じます。
一度のチャンスを必ず掴むためにも、どんな状況でも大変でも苦しくても掴んでいこう。
社会で世の中を経験してから、御言葉を意識してサッカーをするとこれまた深いことを体感します。
人生を過ごすなかで経験は増えていきますが、人生を行けばいくほどサッカーで深いことを学べると思うと希望がわきます。
数十年先でもサッカーができるようにするためにも健康には気を付けねば!

副牧会者との最後のサッカー

礼拝後は教会の男性でサッカーを行ないました。 鄭明析先生がサッカーを通して摂理の人たちに人生のことを体験させながら教えてくださるということで、摂理のあらゆる教会ではサッカーが盛んです。 副牧会者の方が遠隔地で牧会者となられるということで、実質一緒にサッカーをするのは最後の機会となりました。 15時から18時という3時間で3試合くらいやりました。   副牧会者と最後のサッカーか、、と感慨深くなりながらプレーをしていたので 走りながら目頭が熱くなる瞬間が随所随所に。 そうすると、プレー自体も熱くなり、いつもよりも走り回ったような気が(笑)。 個人的には副牧会者のアシストのおかげさまで2点のゴールを決めることができて、泣きそうになりました。   両チーム、点のとりあいで均衡した試合でしたが最後にゴールを決めたのは、 なんと副牧会者!! ドラマティックな展開を迎えて試合を締めくくれました。   途中で雨も降ってきたおかげで地面の砂埃もあまりたたないで、健康も害することなくでき、 試合が終わったころには雨もピタリと止んで、話しやすい環境でした。 天候も、試合の展開もすべてを神様が導いてくださったことを心の底から感じることができた時間でした。 いつも働きかけてくださる神様に感謝です!
 

ギプスをとって初めてのサッカー

こんにちは!Luckです! 1か月間のギプスをとったのですが、足に力が入りません。 力が入らないというか、力の入れ方を忘れてしまったような感覚です。 片方の足と比べても、細くなっていましたので、確実に筋肉が落ちているのが分かりました。   リハビリが必要だ(`・ω・´) ということで、リハビリを兼ねてサッカーに行ってきました。 復帰してすぐだったので、あまり無理しないように気をつけながらやりましたので最後まで無事にできました。 キーパーをやっていたのですが、どうしても患部の左足が気になって、ボールに集中できずに何度もシュートを決められてしまいます。   プレーに集中しようと自分に言い聞かせるもなかなか難しい… ミニゲームだったので両チームともたくさん得点を決めたのですが、私が入れらた得点は10点は超えていたと思います(笑)   味方チームの人にも 「おい!Lack!いつものガッツはどうしたんだよ!(笑)」 と、声を掛けられて、いつも通りにボールに食らいつこうとするも やっぱり、足に意識がいって最善のプレーができなかったです。     意識って大事ですね。 意識をボールに集中できていないとこんなにも動きに支障がでるのかと思い知らされました。 この怪我をしていなかったら、こんなにまざまざと感じることができませんでした。 怪我がなかった時もまだまだ意識を集中できていなかったのではなかったような気もしてきて、いい機会を与えられました。     今回は怪我によって集中できませんでしたが、集中できない要因ってこれ以外にもたくさんあるなと感じます。 それは、平素の生活。 普段から生活の中で気になる所があれば、いざという場面、ここではサッカーのプレー中でしたが、そういう時に集中できなくなって最善の行動をとれなくなってしまうということ。 例えば、自転車を指定の場所に置いていなくてサッカーにいったとします。 サッカー中に自転車のことを思い出し、自転車が撤去されていないか気になったりしたら、プレーに集中できないですよね。   それと同じく、普段の生活だと、人への接し方、家族への接し方、部屋での過ごし方、仕事への取り組み方などなど、 生活の中の自分の細かい行動一つ一つが大事な場面へと繋がっていくものだということを感じるようになりました。 一人の時も誰かと過ごせいている時も、本当に一つ一つの言動を大事にする必要がありますよね。 また今日も深いことを悟らせてくださった神様に感謝します。  

左足を使えない状況でのサッカーで悟ったこと

こんにちは!Luckです! ギプスがとれて二回目のサッカーです。 しかし、まだ左足が完全に治ったわけではないので、気を付けがらプレーをしました。 プレーする中でいつもと違った観点でサッカーを見ることができて悟りもありました。   私はどちらかと言えば瞬発系タイプ。 今までは野生の観でサッカーを始めとするスポーツをすることが多かったのですが、 今回、左足を痛めている状態でやっていながらもピッチに立っている以上、パフォーマンスを発揮しなくてはいけません。 だから、左足を使わずして、どうすれば満足にプレーできるようになるのかすごく考えるようになるんですよね。   人間、何かが不足したら考えることで補っていくものです( ̄ー ̄)ニヤリ。 例えば、相手がボールを持っている時、1対1の状態では瞬発的な動きができないため、とても慎重になります。 1~2メートルぐらいの距離を空けながら、ずっと維持してついていくだけでパスコースを切ることができました。 いつもの自分なら、ボールのすぐ近くまで行ってプレッシャーをかけるのですが、その分、動きも激しくなりエネルギーをたくさん消費していました。   しかし、今回のやり方は全然疲れない割にボールも相手からとれるということにも気づきました。 頭を使えば、効率よく物事を進めていけることを実感しました。 スポーツは頭を使ったほうがいいと、誰でも知っていることですが、やっぱり自分自身の体で実感した時に自分の身になるものです。   そう考えると、頭では分かっていても今まで実践してこなかったともいえます。 御言葉も分かっている事はたくさんありますが、まだまだ身になっていないものが多いのではないかと考えました。 サッカーで頭を使って効率よくプレーできたように、 御言葉もたくさん行なっていけば、少ない労力で効率のよい結果を見出すことができるのではないかと思うようになりました。   スポーツを通して悟らせてくださった神様に感謝します。]]>

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