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仕事も信仰も継続的改善!?

ハレルヤ!

 

2019年も始まって早1カ月が経とうとしていますね!

私の職場では業務の効率化やコスト削減のために毎月末に改善提案を行っているのですが、最近は改善のネタが思いつかずに困っています(-_-;)

そこで改善提案が思いつかない原因を考えてみました。

 

①現在のやり方に慣れてしまっており、新たな視点で見れなくなっているから。

 

②効果の大きい改善を考えようとするあまり、身近にある小さな問題点を見逃しているから。

 

➂改善のネタを見つけても、その改善を実行するのが難しそうと判断して諦めてしまうから。

 

④既に何度も改善を繰り返してきており、更なる改善を見つけるのは難しいだろうと考えてしまうから。

 

大きく分けると上記の4つが原因として考えられました。

特に①について、配属したばかりの頃は第三者の視点から改善すべき点が多く見えたのですが、仕事に慣れるにつれて「改善できるかも」といった視点を忘れたり、毎日行っている単純な業務は特に目的も考えず単調に行ってしまうことも多々ありました。

 

このように改善提案が出来ない理由を考えていたら、自分の信仰についても同様の事が当てはまるのではないかと思うようになりました。

 

①現在のやり方に慣れてしまっており、新たな視点で見れなくなっているから。

→信仰生活をするなかで、知らず知らずのうちに自分なりの信仰スタイルが出来てしまっており、自分の矛盾に気づいていない。明け方のお祈りや礼拝など毎日、毎週行っていることも形式的に行ってしまっている。

 

②効果の大きい改善を考えようとするあまり、身近にある小さな問題点を見逃しているから。

→飛躍的に変化することを願うあまり、基本信仰を軽んじたり、現実とのギャップに落胆して長続きしない。

 

➂改善のネタを見つけても、その改善を実行するのが難しそうと判断して諦めてしまうから。

→すべきことでも自分の考えで「難しい、やりたくない」と判断したことは行わないことが多い。

 

④既に何度も改善を繰り返してきており、更なる改善を見つけるのは難しいだろうと考えてしまうから。

→自分の信仰の次元に甘んじて、変化を望まないことがある事。

 

 

このように、信仰生活をしていると次元を上げられずにもがいたり、神様ではなく自分を中心にして生活してしまうこともあります。

 

一方で、摂理人の自負心、月明洞は以前、鄭明析牧師がいらっしゃらなかった時でも、これ以上手の付ける余地が無いほど美しく、雄大だったのですが、鄭明析牧師が出てこられてからも更に開発が進んでいます。

また、鄭明析牧師ご自身も70代と一般的には体や脳が衰える年代であるにも関わらず、もがく中で4,50代の頃のようにサッカーやバレーをしたり御言葉を伝え、日々挑戦し続けています。

 

私も月明洞のように日々御言葉を聞いて実践し、自分自身を作品のように作っていきたいと思います♪

 

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