唾(つば)にも「痰(たん)」があり、「よい唾」があるように、人間の生活の中の考えと行ないの中にも「罪」があり、「義」がある。 <痰>は吐いて捨てるように、<罪>は主の名前で神様の前に告げることで悔い改めて捨てなければならない。 2017年2月9日明け方の箴言から この御言葉を悟った経緯を聞いて、心からすごい!と感動しました。 その経緯がこちらです。
午前1時10分前に起きたが、喉が本当に痛かった。続けて痰(たん)を吐いたら痛みがなくなった。 神様は直接体験するようにさせて、「<罪>は痰と同じだ。痰は吐くように、<罪>は悔い改めてこそ苦痛がなくなる」とおっしゃった。 2017年2月9日明け方の箴言から朝、起きた時、誰でも痰が絡まってのどが痛くなっている経験をしていると思います。 私を含め多くの人は、そのまま痰を吐き出して、そこで終わると思います。 しかし、鄭明析先生はそこから義と不義、罪と悔い改めについて悟っているのです。 凄すぎる。 何の変哲もないような出来事から大きく深い悟りを得るということは、感覚がとても敏感で鋭利なんだろうなと感じます。 この前、散歩しながら痰が絡む度にペッペッと痰を吐いていましたが(土のところに吐いています)、これであのような深い悟りでできないなと痛感しました。 先生のように、小さなことでも大きく深く霊的なことを悟るようになったら、毎日をもっと感動的な生活を送ることができそうだなと思うようになりました。 肉的なものから霊的なものを悟りなさいと教えられましたが、まさに繰り返して日常のものから霊的なものを悟っていけるように、 祈りを深くして、主と神様と神霊に疎通できるように努力していこうと思います。 ]]>
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